救いようがない。
私は台所で、まな板の上に左手を置いて、右手で握った包丁を、その手首に当てていた。
私が居なくなったら、親は泣いてくれるのかな? そんなことを漠然と思いながら。
私は一人っ子。
両親の兄妹には子供が無く、遠い遠い親戚になら従兄弟がいるらしいけど、まず会うことなんて無い。
だから、私は本当の意味での一人っ子だった。
「 おはよう 」
「 行ってきます 」
「 行ってらっしゃい 」
「 ありがとう 」
「 頑張ったね 」
「 お帰りなさい 」
「 ただいま 」
そんな、どこの家庭でも普通に交わされているであろう日常会話の中の挨拶。
そのどれ一つとして、私の家では使われたことのない言葉だった。
私は、テストで良い点を取っても、褒められたことは一度もない。
「 次はもっと良い点を取りなさい 」
私に救いは無かった。
両親ともが同じ態度、同じ意見で私に接するからだ。
だから、私は常に自分に自信を持てない人間に育った。
晩御飯で食卓を囲んでも、私は一切言葉を発することなく、食事を摂るだけ。
父親は、ひたすら会社の同僚の悪口や、近所の人の悪口を話していて、母親は黙ってそれを聞いているだけ。
私が今日、学校で何をしたか、友達とどんな遊びをしたのかなんて、両親が聞いて来たことは一度も無かった。
とにかくひたすら父親が誰かの悪口を言っているのを聞きながらの夕食が、私にとっての当たり前だった。
私はテレビも観せて貰えなかった。
父親がずっと野球を観ていて、それ以外は必ずNHKだった。
だから、私は友達が話すドラマや歌番組の話に、一切ついて行けなかった。
それでも、子供は親を求めるんだなぁと、今になって思う。
その日は、母の日だった。
近くのミニスーパーに友達と行った時、カーネーションが売られていた。
友達が買うというので、友達よりも遥かに少ないお小遣いしか貰っていない私でも、一輪なら、なんとか買えた。
家に帰って、母親の笑顔を見たくて、
「 母の日だから 」
と、店員さんが可愛くラッピングをしてくれたカーネーションを差し出した。
「 なんやのそれ 」
予想外にも、母親の顔は険しかった。
「 え、だから、友達と一緒に買ったから … 」
「 はぁ? そんなんで機嫌でも取ろうとしてるんか?」
私は子供ながらに、言い表せない衝撃を受けた。母親は、カーネーションを受け取ってくれなかった。
「 せめて受け取ってくれてもいいやん … 」
涙声になっていた。
「 泣いても無駄やからね。そんなん返して来なさい!」
「 なんで!? 受け取ってくれてもいいやん!」
泣き喚いても、母親はもう、私を一切無視していた。
こんな環境で育った子供は、一体どうなるんだろう。
幸い私は、非行に走ったりはしなかったけれど。
ただ、原因不明の腹痛だけはよく起こした。
小学校の先生に付き添われて早退してきた私を、母親は渋々内科に連れて行った。
先生が言ったのは、
「 どこも悪くないから、ストレスですね 」
だった。
当時はまだ、鬱だとか精神疾患だとか、全く認知されていなかったから、私も母親も、意味が分からなかった。
つまり、当時の私自身も、分かっていなかったのだ。ただただ、毎日両親の言動に怯えながら生活している、自分の置かれた状況が。
父親が夜勤のある日、私はいきなり母親から、晩御飯を食卓で摂ることを許されなかった。
後ろにトイレ、右横に洗濯機、左横は玄関。その床の上に新聞紙を引かれ、そこにご飯を無造作に置かれた。
「 今日はあんたはここでご飯を食べなさい 」
突然の母親の言葉に、私はびっくりした。
何も、叱られるような事はしていない。
なんで、なんで、なんで、、、、
私は大声で泣いた。
「 刑務所に入ったら、そーゆうとこでご飯を食べるんやから、今から学習しときなさい 」
そんなことを急に言われても、こんな仕打ちをされる身に覚えがないから、私は泣き続けた。
「 食べへんねやったら、捨てるからね 」
そう言われて、やっと食べ始めたけれど、涙と鼻水と、悲しさで、ご飯の味なんて分からなかった。
ただ、隣りの部屋から、母親が観ているテレビの音が、やけに遠く聴こえていた。
ある時、体育の授業で足首を骨折した。
先生の車で送って貰ったけれど、母親にはすぐに病院に連れて行っては貰えなかった。
父親が帰って来て、
「 何を甘ったれとんや! ただの捻挫を、大袈裟にすんな!」
けれど、歩けないのは事実だった。
「 気合い入れたら歩けるんや!」
父親に無理矢理歩かされた。
けれど、当然、歩けなかった。痛みに泣きながらびっこを引いても、二、三歩が限度だった。
結局、次の日の朝、病院に行く事になった。
病院は家の前の一本道だったが、緩やかな坂道をずっと登った所にある病院は、決して近い距離では無かった。
けれど、付き添いの母親は、当然歩いて行くつもりだったし、私もそれが当たり前だと思っていた。
「 あれ、まゆちゃんどうしたんや?」
幼なじみの友達のおばちゃんが、たまたま自転車で家に帰って来たところだった。
後ろから、びっこを引いて少しずつしか前に進んでいない私に気付いて、声を掛けてくれたみたいだ。
目の前の自分の家に戻る前に、私の横に止まって、声を掛けてくれた。
「 大したことないんですよ〜 」
私の変わりに、母親が答えた。
けれど。
「 まゆちゃん、めっちゃ痛そうにしてるで。これで病院まで行くんは無理やわぁ 」
「 いえいえ、どうせただの捻挫ですから〜 」
「 捻挫やったとしても、もしかしたら骨折してるかもしれへん。
まゆちゃん、おばちゃんが自転車で後ろに乗せてったげるわぁ。そうしぃ 」
私は涙を堪えていた。
足の痛みもあったし、幼なじみのおばちゃんの優しさに縋る思いだった。
だから私は、無意識のうちに無言でうんうんと頷いていた。
おばちゃんは私の意思をしっかり確認してから、母親に言った。
「 田中さん、診察券まゆちゃんに渡したらいーわ。あっこいっつも混んでるから、田中さんはゆっくり来たらええ 」
半ば押し切られる感じだったが、母親は外ではあまり人付き合いもしない、大人しくて内気な人として受け止められていたから、すみません、と一言言って、自転車の後ろに頑張って乗ろうとしている私を睨みつけていた。
「 まゆちゃん、ええかぁー? ちゃんと乗ったかぁ?」
「 うん 」
「 ほな、おばちゃんにしっかり捕まっときぃ。坂道やしなぁ、落ちたらあかんで 」
いくら小学生でも、私を乗せて登る坂道はしんどいはずなのに、おばちゃんは何回も私に声を掛けてくれた。
「 まゆちゃん、大丈夫かぁ?」
「 まゆちゃん、痛ないかぁ?」
「 まゆちゃん、もうすぐや 」
私は泣いた。
痛いからじゃなく、泣いた。
病院に着いた時、私の涙を見たおばちゃんは、
「 まゆちゃん診察券貸し。入れて来たげるわぁ。ゆっくり入っといでな 」
おばちゃんは手際よくちゃっちゃとやってくれて、すぐ私の元に戻って来て、病院の玄関のすぐ近くの空いてる席に誘導してくれた。
「 おばちゃん、ありがとう 」
お礼を言うと、おばちゃんはにっこりと笑った。
「 折れてるかもしれへんなぁ。あの調子でここまで来るのは無茶やでぇ。
おばちゃんのことは気にせんでええ。しっかり診てもらいやー 」
そう言って、おばちゃんは帰って行った。
診察結果は、足首にひびが入っていた。骨折よりも治りが遅いと言われ、ギプスを巻かれた。
その夜、父親には良い顔をされなかった。
父親が近所の人の悪口を言う中で一番多く話題にするのが、幼なじみのおばちゃんだったからだ。
借りを作ってしまっただの、近所に何を言いふらされるか分からんだの、少しの間、母親と喧嘩していた。
結局、怖がりの私は、しばらく手首に包丁を当てていただけで、何も出来なかった。
あの時に死んでいたら、今の私は、もっと楽だったのかもしれない。
【 あとがき 】
このエッセイに込めた思いの記事も公開しているので、是非、目を通して頂けると嬉しいです!そちらも読んで頂き、好きが頂けたなら、尚のことHappyなので、よろしくお願いします♪
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「 アナバスと神々の領域 」【1】~【3】- 前編 -
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女性向けボーイズラブですが、ストーリー重視なので、男性の方でも抵抗がなければ、是非是非読んでみて下さい。
また、他のエッセイも読んで頂けると嬉しいです♪
どうぞよろしくお願いします♪
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