「黒影紳士」season2-9幕〜誘い〜 🎩第三章 竹林への誘い
――第三章 竹林への誘い――
「あっ、あれだ!」
サダノブが穂のバイクを運転して、穂を後ろに乗せ前方を走る黒影と白雪を見付ける。白雪のふわふわとしたパニエ入りのスカートが風に靡いて目立つ。
黒影がサダノブのバイクを借りて出て直ぐ、偶然通り掛かった穂のバイクを見付けて今に至る。
「また怪我されちゃあ、困るんですよっ!」
と、鬼の事務員と化したサダノブは休暇欲しさに、追い上げて来る。黒影はサイドミラーを見て、
……何、やってんだ?サダノブは……
と、思い乍ら意気揚々と目的地の人形奉納専門の神社に辿り着き、バイクを止めると白雪をふわりと降ろした。
ヘルメットを取ってやると、白雪はサイドミラーを見乍ら、
「髪型が崩れちゃう……」
と、髪を結わき直す。
サダノブと穂が到着した音で、黒影は其方を不思議そうに見た。
「”何だ?”と言いたいんでしょう?分かりますよ。でも、未だ不運続きなのにバイクに乗る方が如何かしてるでしょ。今月は依頼が詰まっているんですから、此れ以上怪我されたら困るんですよ。以上、事務報告より!」
と、サダノブは黒影に言う。
「怪我?」
白雪は其れを聞いて黒影の顔を見上げたが、黒影はただ微笑んで白雪の頭を撫でた。
……車で来れば良かった……。
と、黒影は思い乍らも白雪の手を引いて住職を訪ねた。黒影はタブレットに文字を書こうとしたがサダノブが、
「だから、来たんですから」
と、其れを止めて中に聞こえる様に、
「すみませーん!」
と、声を掛けた。
住職が見えたので黒影が入ろうとすると、
「先輩、下!」
と、サダノブが言う。黒影が下を見ると、また割れたカップの破片が散らばっているではないか。
……中に入れたくないのか……。
黒影がそう思っていると、住職が其れを見て、
「此れは大変だ。今日は人形を納めに?」
と、内から聞いた。黒影が白雪を見ると、白雪はLillyをぎゅっと抱き締め青い瞳をじっと見ている。
黒影は首を横に振り、ポケットからあの海馬と針金を包んだ黒い布を取り出した。住職に見える様に広げて中を見せると薄い小さな声で、
「切り離して欲しい」
そう言った。
「そうか、此方が……。あんた、其の声やられたんだねぇ。可哀想に」
そう言って住職が手を伸ばし黒い布の方だけを受け取ると、割れたカップの破片が消えた。
「さぁ、取り敢えず中に入りなさい」
黒影は一礼すると白雪の手を取って入って行く。サダノブと穂も辺りを見渡し乍ら入って行った。
中のお堂には何体もの人形が犇きあって不気味な光景だ。
「此のお人形さんが持っていたのが、此れだね?」
と、住職は白雪に聞いたのだが、白雪は全く知らなかったので、黒影はトントンと畳を軽く鳴らすと住職に気付かせ頷いた。
「其れ、気を付けて下さい」
サダノブが住職が調べようとした時に言った。
「おや、君は……」
住職はそう何かを言おうとしたが、サダノブを黙ってじっと見てからふと笑顔になると、
「狛犬さんの言う事じゃあ、注意しない訳にはいきませんな」
と、笑って先に何か祈祷を読み始めた。
軈て其れが終わると、此の海馬について話しを聞いた。
黒影はタブレットに海馬の持ち主とLillyについて、書いて読んで貰う。
「……人間の記憶出来る範囲は頑張ったところで一回の人生程。此の海馬の持ち主が早くに仏様に成ったから、未だもっと沢山の人生を見たい、記憶したいと残っただけ。其の上限を上げる事も出来なければ、一度覚えた事を全て忘却するのも時間が掛かるもの。容易く出来るなら、誰も記憶を失う事を恐れたりしませんよ。此の海馬はもう、疲れきっていらっしゃる。此方で奉納して差し上げて宜しいですね」
住職の優しい説法に、白雪はこくんと頷いた。
黒影も声に出さず、お願いしますと口の動きで答え頭を下げた。
「……で、切り離したい物は?」
と、初めに来た時に黒影が言っていた事を住職は思い出して聞いた。
「先輩の影です」
と、サダノブは答える。
「影?……また不思議な……」
と、住職は頭を捻らせるのだが、黒影の座る影を見た途端に影を踏んでいた自分の足を引っ込めた。
「おや、此れは大変失礼な事をした。先に言って貰えれば……あっ、そうでしたな。今は話せ無いのでしたね」
と、申し訳なさそうに言って謝る。
「いやあ、人形じゃない生身の人間で、こんなに良い影を見たのは久しぶりですよ」
と、住職は笑った。
……影に良し悪しがあるのか?と、サダノブは思い乍らも黒影の影を見ていた。
「何、問題は此のお疲れの海馬さんの方でしたから、切り離す必要は無い。寧ろ切り離さない方が良い。……其の因果は大切に取っておきなさい」
と、住職は朗らかに笑い言った。
黒影も成る程と微笑むと席を立つ。黒影が去り行く姿を見送ろうとしていると、黒影の影が住職の手前まで伸び驚いていた。けれど次の瞬間、其の影は帽子を頭から取り胸に当てると、満足そうにコートを翻し礼をしてスーッと戻って行くのだ。
「……ほんに、良い影をお持ちだ」
そう言って、住職は其の光景を目に焼き付けておこうと思った。
「あっ!すみません、僕ら急いでるんで……奉納金、後で此処に請求して下さい。じゃ!」
と、夢探偵社の名刺を渡すと、黒影の後をサダノブがそれこそ犬の様に慌てて追い掛ける。
「良い影には良いもんがつくものですなぁ。……さぁ、貴方もお疲れの様だ。ゆっくり休みなさい」
そう住職は海馬と針金をまた優しく綺麗に包み、安らかな眠りに還した。
――――――――
「何だかすっきりしましたね」
穂が白雪に言った。
「うん!此れでまたずっとLillyとも一緒だもの」
と、白雪はよっぽどLillyを奉納されるんじゃないかと心配だったのか、無邪気な笑顔で満足そうに答えた。
黒影も元からLillyに問題がある訳ではないと知っていたので、分かってもらえる住職で良かったと安堵して白雪の頭を撫でる。
白雪は黒影を見上げて、
「御免ね、Lillyの所為で喉……」
と、心配そうな顔をした。黒影は、そうか……と気付かれてしまって一瞬きょとんとした目で止まったが、微笑み乍らゆっくり首を横に振る。
――――――――
「さて……神木アートギャラリーでしたね。先に風柳さんが到着してる筈です。俺は穂さんを送ってから、電車で行きます。其の方が帰りは風柳さんの車と俺は自分のバイク乗れて良いですしね。……良いですか、先輩!其れ迄未だ話せないんだから無茶しないで下さいよ!」
そう、サダノブは言って穂を乗せて出発する。
黒影は顔に苦笑を浮かべ乍ら、二人に手を振った。
「おおっ!やっと来たな。久し振りにバイクで来るなんてサダノブから聞いたから……此方が冷や冷やしたよ」
と、風柳は到着したばかりの黒影に話し掛けた。黒影は風柳を見付けて軽く頭を下げるとツカツカと中に入って行く。
「……相変わらず、事件の方が気になるか……」
と、風柳は言って黒影の後を歩いて行った。
――――――――――
……また勝手に走って行く。
私は何時もお迎えを待つだけの子供のまま。
お迎えに来れば、貴方は何時だって笑顔で私を迎えてくれた。どんなにボロボロになっても、笑ってくれる。
……でもね、貴方はきっと気付いていないの。
待ち焦がれる時間が如何に残酷かと言う事を。
其れに気付いてしまう程……私は大人に成ってしまったのだと思う。
――――――――――――
「僕達も行きましょうか……」
サダノブが白雪に言って手を貸した。
……別に良いのよ?誰の手を取ったって……。
「何よ、一人で行けるわよ。サダノブまでお子様扱いするの!?其れに私、黒影の手しか取らないの、知ってるわよね?」
と、白雪はサダノブの手を甲で払い睨むと、腹を立てて中に入って行く。
サダノブは慌てて手を背中の後ろに回して、
「そっ!そう言う訳じゃないですから!先輩が心配すると思って……」
と、走って付いて行く。
白雪は中に入ると、竹が織り成す光の展示品に心を奪われる。
「まあ、なんて素敵なの!」
と、プロジェクションマッピング映像で降り注ぐ和の色彩の笹の葉の中央で、気分良さそうにくるくるとゆっくり回る。黒影は、其れも知らずに床に影絵を置き、舞台と見比べていた。
「先輩!先輩……あれ」
と、黒影を見付けたサダノブが黒影の肩をトントンと軽く叩き、黒影がサダノブの顔を見ると、サダノブは白雪を指差した。
黒影は瞬きもせず、少し目を見開いてじっと見ている。
「綺麗だって言いたいんでしょう?」
と、サダノブは言って笑った。黒影はこくりと頷き、白雪が気付く迄ずっと其の幻想的な美しさに心奪われ、視線を外せずにいる。
白雪が黒影の視線に気付いて走って来る。大人びた美しさから、愛らしい何時もの笑顔に戻っていた。
「こんな所にいたのね。床に座っているから、竹が邪魔で分からなかったわ」
と、白雪は言い乍ら、黒影の隣りにぺたんと座ると影絵を覗き込んだ。
「……事故で舞台から落ちないのなら、何か他に仕掛けてあるのかしらん?」
と、白雪が言う。黒影もそう思っていたので、
……そうだな。変な箇所が無いか調べてみよう……
……開園時間迄あまり時間が無い。手分けしよう……
黒影はタブレットに打ち込んで、白雪とサダノブに見せた。
「了解!」
サダノブは張り切って言う。
「私も今回は参加ねっ」
と、白雪もやる気満々だ。黒影はサダノブの方を向くと、風柳を指差した。
「風柳さんに舞台下を見て来るって伝えれば良いんですね?」
と、黒影に確認すると頷く。
「何があるか分からないから、お二人共気を付けて下さいね。俺も後で行きます!」
そう言うとサダノブは、関係者に事情を聞いていた風柳の所に向かった。
――――――――
「舞台を使う演目は何時からですかね?」
風柳が主催者に聞いている。
「お昼過ぎぐらいです。今回は日本舞踊の方々に雅に踊って貰おうと、お呼びしたんです。折角の機会なので、一番人が集まる時間にしたのですよ」
と、言う。
「舞台……結構高さがありますね。安全性の確保はされましたか?」
其の質問には、
「昨日、きちんとリハーサルで踊って貰いました。日本舞踊は大体擦り足なので、足袋が滑らない限りは落下だなんてとても。其れに念の為に20センチ程の低い柵も竹笹と同じ色で誤魔化していますが、舞台の手前にあるんです。もし、行き過ぎても其れが当たるので、上手くあちら様でカバーすると言ってくれました」
と、安全性には気を配っていると言う。
「……こう言う事は言い辛いかも知れませんが、此のイベント自体に恨みを持ったり、変な脅しとか脅迫はありませんでしたか?日本舞踊の方々も含めて」
などと風柳は根掘り葉掘り聞いている。
「いいえ……心辺りがありませんね。日本舞踊の方々も知人の紹介でとても快く引き受けて下さいました」
と、言うのだ。……今のところ、事件に繋がるヒントは無しか……と、サダノブは二人の会話をちゃっかり聞いた後で、
「風柳さん!黒影先輩と手分けして、一応舞台下に何かないかチェックして来ます」
と、今来たかの様に竹の間から出て来て言った。
「ああ、分かった。……宜しいですかね?」
風柳が主催者に許可を求めると、
「ええ、勿論。入り組んで暗いですから気を付けて下さいね」
と、主催者は快諾し、心配してそうも言ってくれた。
――――――――
「ねぇ、黒影?」
薄暗い舞台下をタブレットの明かりで照らし乍ら歩く黒影に、白雪は言った。
黒影は何だと言いたそうに振り向いて顔を傾げる。
「最近、良く私の頭を撫でるね」
と、白雪は言う。……そう言えば、そうだったかも知れない……黒影は思い返すとタブレットに、
……嫌だったか?……
と、書いて見せた。
「別に嫌じゃないわ。安心するし。……でも、偶に子供扱いされているんじゃないかって。頭を撫でられ過ぎて成長まで止まっちゃう気がするの」
と、白雪は舞台下の木造の梁を越え乍ら答える。
……なら、如何すれば良いんだ?……
黒影はタブレットにそう書いて白雪を見てきょとんとしている。
「其れは……自分で考えなさいよ」
小柄な白雪はムスッとして葱々(そそくさ)と先に行く。黒影は慌ててタブレットのライトを頼りに白雪を追う。やっと追い付いたと思った時、白雪の手を取りキスをした。
「……良かった。間に合った」
と、薄い小さな声で微笑む。
「えっ、あ……考えた答えが其れなの?」
白雪は動揺して聞くと、黒影は微笑んで頷いた。
「だっ、駄目ー!何時もそんなんじゃ……困るわよ」
と、最後は口籠もり白雪は言った。
「それに!早く声を治さないと不便だから、黙ってなさいっ!」
と、何時もの調子で怒っている。黒影はそんな白雪を愛しく思い乍ら、また舞台下に何か異変が無いか探す。
……此れは……
三角に近い台形の大きな木片を足元に見付けた。
白雪の手を取り見せた。
「何此れ?」
と、白雪は不思議そうに聞く。
……組み木の一部だ。上の舞台の何処かを支えている……
此れが無いと強度が薄れて崩れ易くなるんだ……
と、タブレットに黒影は書き、何処に在った物か上を照らして見る。
……あった……
黒影は場所を見付けると、舞台設置スタッフを全員呼ぶ様に白雪にお願いして、自分だけ残った。
……此れだけの大きさなら舞台に人が乗った時点で落ちる……影絵の舞台は崩れてはいないが、人為的に何か起こそうとした人物がいるのは間違いないと黒影は考えた。
黒影も少し外側に行ってみると、丁度サダノブが来た。
「先輩!……さっき白雪さんと入れ違って、今度はペシャンコにならないかと心配しましたよー。あっ……後、風柳さんと主催者さんの話を聞いて来たんですよー」
と、盗み聞きの成果を自慢気に話し聞かせる。
……と、言う事は、昨日のそのリハーサル後に此の木片が意図的に誰かに抜かれたって事だ。本当に此のイベントの失敗を願ってる奴はいないのか?もう一度詳しく、主催者と主催者に日本舞踊を紹介した知人とやらにも、良く話を聞いた方が良い……
と、黒影はタブレットに書いてサダノブに見せる。
「そうですよねー。此れだけの規模で何も問題が無い方が、やっぱり不自然ですよ。……舞台スタッフは如何します?昨日のリハーサルからのアリバイと、直して貰ってからもう一度舞台チェックして貰いましょうか?」
と、サダノブは黒影が話せないから、何時もより頑張って黒影が言いそうな事を考えて言う。黒影は微笑んで頭を撫でてやると、
「何です?くすぐったいですよ」
とは言ったものの、サダノブは犬みたいに喜ぶ。黒影は、
……ポチは此れで十分なのか……
と、勝手に納得した。
――――――――
しっかり舞台の修繕が終わると、黒影は舞台の上に立っていた。日本舞踊専用の舞台では無いので其処迄は広く無いが、プロは歩幅や歩数を変えて踊れるので、恐らく問題の無い範囲だ。下の竹だけでも、平に切れないか頼んでみたが、其処はやはりメイン作品なので変更出来ないと言う事だった。舞台端へ行くと少し違和感を感じる。何処かで感じた事のある違和感だ。
……此れはもしかして……清水の舞台?……
後ろにいたサダノブに端に来る様に手招く。
「いやー、怖いですねー此処」
と、サダノブは前方に下がっているのが気付かないらしく、景色だけ見てそう言った。
……馬鹿、足元見ろ。前に傾斜がある。少し下がっているんだ。此れは態と下から見え易くしているのか、否か聞いて来い!……
と、黒影はサダノブにタブレットで伝える。
「あっ!本当だ。じゃあ聞いてみます。ほら、丁度真下にスタッフさんいるし。すみませーん!」
そう大声でサダノブが下を通り掛かったスタッフに声を掛けると、そのスタッフは自分の事かと立ち止まり辺りを見渡す。
「上ですよ、上っ!……此の舞台って、何で手前が下がってるんですかねぇー?」
と、サダノブは恥ずかし気も無く大声で聞いた。
「ああ、そのくらい下げると丁度竹に被らず迫力があるように見えるんですよー!」
と、下にいた女性スタッフは両手を口の横に当て、出来るだけ聞こえる様に答えてくれた。
「有難う御座いますー!参考になりましたー!」
そう言うなり、サダノブは大手を振ってにこにこしている。
……穂さんが見たら恐ろしい剣幕で睨まれるのだろうな……
と思い、黒影は声も出さず苦笑した。
「あっ!先輩大変だっ!」
と、サダノブが急に言った。穂さんに怒られる自覚があったのかとサダノブを見たが、サダノブは下の通りを未だ見ている。
黒影は、サダノブの隣に立った。
……何!?……思わず黒影も困惑する。
「……スタッフの格好……、先輩の言っていた犯人像じゃありません?長いフード付きの羽織り、皆着てますよ!」
と、サダノブはスタッフパーカーと影絵を思い出して言った。
……此の中から身長175センチ前後の男を今から探すだと?ただでさえ、舞台から落ちる謎も未だ明らかになっていないのに、時間が足りな過ぎる!……落ち着け。風柳さんが何か情報を聞き出したかも知れない。昨日のリハーサルからのアリバイで多少絞れる筈だ……
黒影は焦り始めている。
「……黒影?」
白雪が静止したままの黒影を見て、打つ手が少ない事に気付いて手を引っ張る。
「舞台が使われるのは昼過ぎ。未だ開園しても時間はあるわ」
と、言う。
……だが、開園すれば客が増えて動き辛い。スタッフも捕まえて話を聞き出せなくなる。其れでも今は其の時間に掛けるしかない。
黒影はタブレットに書いてサダノブに、こう見せた。
……風柳さんを呼んでくれ。此の舞台前で張って貰う。僕らは調査を続ける……
「そっか。怪力の風柳さんなら、多少舞台に何か影響があっても支えてくれそうですもんね!直ぐ呼んできます」
サダノブは風柳を直ぐ様呼びに行く。
……そう言う理由じゃなくて、重点的に此処に警備を置きたかっただけだが。まぁ良いか……
と、黒影は思った。
「呼んで来ましたよー!」
サダノブは風柳の背中を押して無理矢理連れて来た様だ。
「此処が犯行現場にならないようにしっかりお願いします。僕等は其の間、調査に周ります」
と、サダノブはやっと説明した。
「そうだな、此処さえ何事も無く遣り過ごせたら良いんだからな。然し、一人で止められるか如何か。何か分かったら直ぐ連絡をくれ。其の方が対処し易くなる」
と、風柳は言う。
「勿論です!じゃあ、お願いします!」
サダノブは次に白雪と黒影の背を押して調査に乗り出した。
「……で、先輩先ず何からするんでしたっけ?」
と、サダノブは立ち止まって言う。黒影は呆れ乍らタブレットに文字を打つ。
……唯でさえ時間が少ないのに何も考えずに動くなっ!先ずは始まると聞けない、主催者と日本舞踊を紹介した知人との関係を聞きに行く。其れからスタッフ名簿だ……
と。
「そうでしたね」
サダノブは相変わらずちゃっかりと頭を掻いて笑った。
……絶対、基本忘れてやがったな……
黒影はそう思ってサダノブを睨んだ。
「何でしょうね……やっぱり先輩に何時もの感じでいてもらえないと、調子狂っちゃいますね」
と、サダノブは笑う。
黒影はそれもそうかと溜め息を一つ吐くと歩き出す。
何時も通りっていうのは平常心を保つにはとっても大事な要素だ。
黒影はそう思ってコートのポケットから缶珈琲を取り出して飲む。
「あっ!白湯かお茶って……」
サダノブが其れを見て言ったが黒影は、
……此れで何時も通りだ……
と、書いて見せると無邪気な笑みで笑う。
「全く、困った人だ……」
そう言い乍らサダノブは、仕方無いと許してしまった。
黒影はカツカツと靴音を鳴らして足早に歩き出す。如何やら何時もの調子が戻って来た様だ。
……僕は黒田 勲と言います。此のイベントの警備体制に不備が無いか調査を依頼されて来ました。喉の調子が悪いので文章で失礼します。
何点か質問にお答え下さい。
……主催側と、演者側の金銭交渉は上手く行っていましたが?……
……其れとあの舞台の先を下げる事に不満が出た筈ですが、何で納得されたのでしょう?……
……最後に、貴方にあの演者を紹介した方は何方で、どんな立場の一人だったのでしょうか?……
と、黒影はタブレットに打ち、主催者に読ませた。
「そうですか……喉を。私は主催者の原尾 章宏(はらお あきひろ)と言います。さっきも警察の方に色々聞かれて……何かあったんですか?」
と、原尾 章宏は聞いた。
……こう言う大掛かりなイベントは脅迫文とかの悪戯の恰好の餌食になりますからね。まあ、殆どは悪戯ですが、此の会場で大規模な展示は初めてらしいので、念の為です……
と、黒影は書いて見せると、心配要らないと言う様に微笑む。
「そもそも此の”木霊と採光のイベント”には日本舞踊を採用する案は無かったんですよ。ですが、此の和風の展示会のデモンストレーションにお呼びした、藤川流の先生が是非にと言うので合わせてみたら、其れはもうぴったりで。此れからも機会があれば……と言う事で、特別に安く踊って下さると言う話しだったので、本当に助かってます」
黒影は頷くと、
……藤川流ですか。今は少なくなった伝統的な橋川流と合併した新舞踊派の藤川 香(ふじかわ かおる)さんが総師でいらっしゃいましたね。今回は橋川流の橋川 流山(はしかわ るざん)元総師も出演されるのですか?……
と、黒影はタブレットで聞いた。
「ええ、お詳しいですね。橋川 流山師範はもう現役から退いたそうですが、藤川 香さんが是非にと推してくれたお陰で、芸術の普及の為ならばと特別に引き受けて下さったんです」
……其れは実に素晴らしい。流山元総師の踊りを観る機会はもう無いかと思っていたのに。……新、旧の舞踊にアートのコラボレーション、楽しみです。
と、黒影は書いてにっこり笑う。
「あっ!舞台の最終チェックをするんだった。もし宜しければ一緒にいらっしゃいますか?」
と、原尾 章宏が聞いた。
「勿論、見ておきたいですよね、先輩?」
サダノブが言うと、黒影は軽く頭を下げて微笑む。
黒影は勿論、舞台に其処迄興味は無いが、舞台上のチェックをしようと思っている。
竹の装飾の上に作られた舞台は、下から見るより上がるとかなり高い。
「黒影!気を付けてねー!」
と、風柳と下で見上げた白雪が言った。
黒影は白雪に手を振って、聞こえているとアピールする。最初に見たのは、舞台の緩やかな傾斜の先にある、落下防止の柵だった。約20センチ……確かに十分に見える。何度か、引っ張ったり押したりしてみたが、両端にしっかり止められているので多少しなりはするが、何度も体当たりでもしない限りは問題無い。
とても此処から落下するようには思えない。確かに舞台の上は舞踊をするとあって磨き上げられ、足袋でも履けば滑りは良くなるだろうが、落下防止の20センチのバーには梯子の様に15センチ感覚で細い渡し木乍らもきちんと備えていた。
「……昨日のリハーサルでは、滑ったり危なかったりはしなかったんですか?」
サダノブは高い所があまり苦手なのか、おっかなびっくり下を覗き込んで原尾 章宏に聞く。
「特に何の問題もありませんでした。踊りに集中しても柵で気付くので安心だって皆さん言ってましたよ」
と、原尾 章宏は答えて笑った。
何の糸口も見付けられないまま、開場時間になってしまった。
会場は忽ち大入りになる。
黒影は原尾 章宏に借りたスタッフ名簿を眺めている。
「……如何ですか?」
サダノブが、黒影に聞いたが、黒影は頭を横に振る。特に怪しい人物も見当たらない。黒影はイマイチ腑に落ちない顔で舞台下に行き、風柳の袖を数回引っ張る。
風柳の顔を見上げると、悲しそうに首を横に振った。
「喋らんだけで随分可愛いな」
と、風柳が冗談を言い揶揄うので、黒影は睨むと思いっ切り風柳の片胸を殴る。とは言え、風柳は馬鹿力なのでびくともしないのだが……。
「まあ、そんなに怒るな。苛々したところで空回りするだけだ」
と、風柳は何時もの様に笑うのだが、目は人の群れを傍観している。傍観していると言っても風柳は何も気にせずにいる訳では無い。多くの人がいればいる程、違う行動をしようとする犯人は、逆に浮いている様に見えるからだ。
「今のところ、違和感は感じない……。……妙だ」
風柳はそう言った。客やスタッフの中に、未だ違和感を感じる人物が見付からなかったからだ。
――――――
午前11時。日本舞踊の面々が会場裏、スタッフ出入り口から入って来る。
彩の稽古着と風呂敷。
専用の控え室で、化粧をしたり着付けがあったり、道具のチェック等でてんやわんやしている。出入り口にごちゃついた人だかりにチェック出来る筈も無い。
化粧をしてしまえば最早誰かも分からない。唄や楽器の人達、黒子の最終チェックなど、バタバタが落ち着いたのは12時頃だ。
其の儘流れ作業の様に支度が出来れば舞台へ直行する、凄まじい速さ。
終われば汗を拭き、スタッフの羽織を引っ掛けて休んでいる。流石に部外者が立ち入る隙も無く、黒影は舞台表から見守る事しか出来なかった。
🔸次の↓season2-9 第四章へ↓
お賽銭箱と言う名の実は骸骨の手が出てくるびっくり箱。 著者の執筆の酒代か当てになる。若しくは珈琲代。 なんてなぁ〜要らないよ。大事なお金なんだ。自分の為に投資しなね。 今を良くする為、未来を良くする為に…てな。 如何してもなら、薔薇買って写メって皆で癒されるかな。