「黒影紳士」season3-3幕〜誰も独りなどにはしない〜 🎩第五章 さよならなどにはしない
――第五章 さよならなどにはしない――
「はぁ……どうしよう、サダノブ……どうしたら私は黒影の所へ行ける!?黒影の影無しでは、私はあの人の所にすら行けない。黒影が死ぬ気で私達を守って犯罪者になるかも知れないと言うのに……。私だって!あの人を守れるのなら……あの人の盾になって死ねるのなら、幸せだったと言えるのに!」
白雪はサダノブのジャケットを掴んで、必死に泣き乍らそう言うではないか。
「何を言っているんです!?死ぬだなんて言葉、白雪さんが言っては駄目ですよ。先輩が悲しみます。……白雪さん、俺が絶対先輩を引き摺ってでも連れて帰ります!だから……だから、先輩を止めるから!
何時もみたいにクタクタのボロボロになっても、笑い乍ら帰って来ますから!お願いですから……また美味しいお茶作って下さい。先輩だってまた帰って来て一番に白雪さんの珈琲で疲れを癒すんです。何時も通り……先輩が一番安心する何時も通りにまたならなくちゃ!
先輩と白雪さんに、さよならは似合わない……。似合わない事は先輩はしないです。
だから……
だから……其の手を離してくれませんか?……俺、さよならにしない為に行かなきゃいけないんです」
サダノブがそう言うと、白雪の手が力無く滑り落ちる。
「……そうよ。……私が似合わないと言った事はしないわ黒影は。……信じて良いのよね?サダノブ……黒影を護って上げて。……さよならは似合わな過ぎるわって……私が言っていたと伝えて。……黒影が死んだら後を追うからって伝えて。そうしたらきっと、あの人意地でも帰って来てくれる気がするから。二人で……生きて帰って来て」
白雪は下を向いた儘サダノブにそう言った。
「分かりました。必ず伝えます。俺も……行ってきます」
黒影の部屋の前でドアに凭れてサダノブは寝るつもりだ。
ただ、眠って起きるだけを待つだけなのに……なんて苦しいの?
貴方に届かないと言うだけで、何でこんなに悲しいの?笑顔が良いって言うのなら、誰でもない……貴方が笑顔にしてくれなきゃ駄目なのに!
白雪は階段を降りる途中で座り、階段に流れる様に横たわる。
私も夢を見るわ。貴方が無理をするから、心配で少し疲れたの。
でも大丈夫にしてくれるわよね。
貴方が生きて帰れば、例え永遠の眠りに囚われても、サダノブも連れて二人で起こしに来てくれる未来が見えるから。
そうしたら、とびっきりの笑顔で……粗目の入った甘い珈琲を淹れて上げるわ。お休みなさい……。
……黒影……。
――――――――――
「先輩!先輩!」
ギャラリーにはいない。やっぱり最短ルートで確実な影から向かったんだ。もう閉じてしまったのか?
サダノブは焦りを押さえつつギャラリーの中を走り抜ける。
「あった……あった……!」
諦め乍らも、一筋の希望を残して行ったんだ!
本当は……先輩は願っているんだ。
自分と反対の考えの俺に、真実じゃない……正義の答えを見付けてくれたらと。
捨て身になっても信じてくれているのなら、行くしかないっ!最後迄付き合いますよ!
サダノブは覚悟を決めて、狛犬の二匹を合わせた大きな野犬の姿で、其の影に飛び込んだ。
「真実の丘」の世界で嗅覚を使い、黒影を早く探そうと走り回る。
近い……焼ける匂いがする。
サダノブは人間の姿に戻り、上空を見上げる。
霧野 悠宇は先輩が厄介な世界を作る事を既に知っている。
先輩がいたら直ぐにでも霧野 悠宇は殺しに来た筈。
其れが霧野 悠宇を引き摺り出す方法だ。
……居た。
また空中でやり合っているのが見えた。
気付かせないと!
「其の戦い……意地でも邪魔させて貰うぜ!」
サダノブは、天空から落ちる霧野 悠宇の影に、あの金色の瞳をギラつかせ、体中に冷気が沸き立つ程の渾身の威力で影に拳を叩き混み、上空にガガッと氷柱を伸ばす。
更に霧野 悠宇の目の前に尖った氷の、槍を下から突き出した。
当たったら死んでしまう。微妙にずらし乍ら邪魔をしなければ。
黒影は未だ炎を纏っているだけで鳳凰の姿にはなっていない。……未だ、大丈夫だ。
巨大な天空に突き上げる氷の槍に黒影が気付き、霧野 悠宇が作る爆弾を避けて旋回し、サダノブ目掛けて突っ込んで来る。
地面から少し手前でスピードを下げ、斜めに旋回して着地した。
漆黒のコートが真っ赤な炎を纏い、バサバサと音を立てる。
「サダノブ!何をしてるんだ!」
サダノブは思いっきり黒影の腕をガッシリ持つと、二度と離さない勢いだ。
「離せ!彼奴が降りて来るぞ!」
黒影は霧野 悠宇が下の様子を伺っている姿を見上げていた。
「……一つ、死ぬ気なら此の腕を今、貰う。
……二つ、白雪さんが先輩が死んだら後を追うと言った。
……三つ、白雪さんがさよならは似合わな過ぎると言った。
……四つ、此の大地を壊すと嘆く者とは誰か。
……五つ、此の大地を壊せば其奴が来ると、俺の直感が言っている。
……六つ、こんだけ理由があれば生きられる。
だから……あえて此の腕を意地でも離さない」
と、サダノブは落ち着いた少し低い声で、そう言った。
「……嘆く者は来ない!そんな簡単に現れやしないんだよ!神でも奇跡でもないっ!あの人は、さよならを言ったただの人間なのだから!」
黒影は霧野 悠宇が下に降りてくるのを確認して、焦って走りたくてサダノブごと引っ張ろうとする。
「そんなに走りたきゃ、此の大地をぶっ壊し乍ら走りますよ!死に物狂いだったら最後迄足掻いて全部やってみれば良い。先輩が一番最初に俺に教えた事……やってみなきゃ分からないじゃないか。今、証明して下さい。やってみると言うまで、俺は走らない。あの言葉が嘘になるから。霧野 悠宇、随分でかい爆弾作ってますよ。突っ込まれたら二人共あの世行きだ」
上空を見上げ、サダノブが笑った。
黒影も其れを見上げてる。
数秒で爆弾ごと吹っ飛ばされるだろう。
「分かったよ!やってみれば気が済むんだなっ!」
黒影はやけになってサダノブに言った。
「……流石先輩!此の儘走りますよー!」
サダノブはにっこり笑うと黒影の腕をガッシリ掴んだ儘、二人で走り出す。
黒影はサダノブに掴まれていないもう一方の腕を伸ばし、掌を前方に掲げた。
業火の炎を竜巻の様に噴き出し乍ら、其の火の中を潜って走り抜ける。
サダノブは冷気を纏いバキバキと氷柱を足元から作り、走った跡に樹氷さながらの道を築いて行く。
花々が枯れてあの天国の様に美しかった「真実の丘」の景色が地獄の炎と凍て付く寒さに変わって行く。
「……また、そんな無茶をして……似合わない癖にさ」
其の者は真っ黒な裾の華が美しい着物を肩に羽織り現れた。
「……君の大切な物を私も大切に思っているのだよ」
「貴方はっ!」
……黒影はさよならを言って去って行った、懐かしい其の姿と声を見て思わず立ち止まった。
「私の世界を貸して上げよう。……「正義崩壊域」を。……其の真実を見るのは黒影……お前しかいない。其の意味を知ったら、また酒を飲もう。お姫様をあんまり泣かすな……幸せになれ。サダノブ……黒影を手助けしてくれて有難う」
そう言うと、貴方は相変わらず呑気に……まるで蝶を掴もうとする子供の様に、ふわりふわりと天に手を掲げて目を閉じた。
「あの人、誰っすか?」
サダノブが聞いた。
「古い友人だよ。僕よりももっと沢山の世界を作り愛して来た人だ。名前は色々らしい」
と、黒影は其の人物をそう紹介する。
貴方は羽織る漆黒の着物を片手で持つと、踊る様に幸せそうな笑顔で円を描いた。
その円が引かれる先から世界はみるみる変わり、「正義崩壊域」の真っ暗な夜の廃墟と化す。
霧野 悠宇は何故か其の大地に立った儘、動かない。
「借りはまた愚痴でも聞いてくれたまえ。
安心しろ……「真実の丘」にまた戻る。此れは世界では無く、”領域”を引いただけだから。正義とは見えてはならない悪と同じ深淵の物だ。反対の様で近く、近くの様で遥か遠い。伸ばされた手を掴み上げるならば、其の瞬間が一番危険なのだ。其の手が我が身を引き摺り得るかも知れぬ物だと言う事を忘れてはならない。離してしまえば後悔が心臓を刺し続けるだろう。一度救い上げた手は、二度と離してはならない。離した途端に其の者がまた深き闇に沈むからだ。
サダノブなら分かるね。此の意味が。
此の世界の誰よりも祝福を受けなさい。……お前程、悲しみを背負った者を私は見ていないのだから。
誰だって……心に世界を持っている。
……お前の世界は余りにも尊くて、私にはまだ眩し過ぎるよ」
そう言うと、朗らかに何時ものほろ酔いの笑顔で、貴方は着物を羽織り烏に也て闇夜に溶けて消えた。
烏が消えると霧野 悠宇は歩き出し黒影を睨んで、
「貴様、また違う世界をっ!」
と、やはり夢から派生した「世界」と言うものは、夢ほど自由が利かないのか、「世界」を黒影が増やしたと勘違いした霧野 悠宇は憤る。
そして、此の「正義崩壊域」さえ、割れたアスファルトや瓦礫だらけの大地に手を突き、時を早め様としている様だ。
「あっ!時夢来が無い!今は拙いですよ、止めないと!」
サダノブが焦っている。
「今、吹き飛ばせば良い」
黒影は空いた腕を後ろに持って行き、体を少し屈ませまた炎の竜巻を前方に繰り出そうとした。
……其の時だった。
霧野 悠宇の地面に着いた腕が、ガクガクと奇妙に大きく震え出したのだ。
「……何が起こっているんだ?」
黒影とサダノブは何事かと顔を見合わせると、辺りを警戒して見渡した。
其の間にも霧野 悠宇は、まるで背中に巨大な何かを乗せているかの様に地面にじりじり体が近付いて行く。
「サダノブ、地面か?」
そう言い乍ら黒影はサダノブにまだ片腕を掴まれていたので、少し屈んで地面にもう片方の手を着いたが何も起こらない。
不気味に思ったサダノブが、
「おい!霧野 悠宇!何が起きているか教えろ!」
と、事もあろうか犯人に聞いている。
だが、何かに苦しそうな霧野 悠宇は必死に、
「時間の速度が変わらない……重い!……重い!」
そう言った瞬間ばたりと何かの重さに耐え兼ねて、べったりと地面にくっ付いた様になる。
普通に倒れたのでは無い。顔も上げられず頬の肉が何かに押された様に下方に皺を寄せ凹んで来た。
「サダノブ、分かった。あれは重力だよ!」
黒影は慌てて霧野 悠宇に手を伸ばそうとした。
けれど、サダノブは腕を引っ張り、其れを阻止するのだ。
「サダノブ、離せ!霧野 悠宇が潰されてしまう!」
黒影は咄嗟にそう言ったが、サダノブは辺りを見渡し、
「先輩の古い友人さんの言葉……思い出して下さい。俺には確かに言いたい事が良く分かった。先輩に救われた人間だからこそ。
霧野 悠宇の手を取れば、巻き込まれて先輩の手も重力にやられる。下手に手を出しゃ、骨折どころじゃ済まない。引っ張ろうとしても千切れる。手を伸ばしちゃいけないんですよ」
と、言った。其の言葉に黒影も確かにそうだとも理解はしているが、
「彼奴……まさか潰されて死ぬのか?此の僕の目の前で殺人が行われるのを黙って見ていろだと!?其れが此の「正義崩壊域」なのか?正義も届かない場所……そう言う事なのか!?何であの人はっ……信じていたのに……!」
黒影は落胆の色を隠せない。共に長く語らい、笑い、共に泣き……分かり始めていると思っていたのに……。
「先輩……最後迄、真実を見極めないと。きっとあの古い友人さんは、誰でもない先輩に真実を見て欲しいと言っていたんですから。……また酒を飲みたいって言う人が裏切ったりしないですよ。信じましょう、あの人を」
サダノブは落胆する黒影に優しくそう言った。
……其れでも……此の人には真実だけが全てなのだと思うから。
今見極めねば、きっと……ずっと後悔するに決まっている。
「何が祝福だ!此れが必要悪の幕開けか?冗談じゃない。……全部、全部あの人の言葉は嘘だった!」
黒影は裏切られたと思い、地面を見て悔しがっている。
サダノブは大丈夫かと顔色を伺おうとしたが、黒影は顔を逸らしてしまうだけだ。
「あっ……先輩っ!あれ見て下さいよ!」
サダノブはパッと明るい声で霧野 悠宇を指差すのだ。
黒影が其の声に顔を上げて霧野 悠宇を見ると、未だ息を切らしてしんどそうではあるが、徐々に上体から起き上がろうとしているのだ。
「お前……大丈夫なのか?」
相手は先程まで死闘を繰り広げていた敵だと言うのに、黒影は思わずそう聞いていた。
霧野 悠宇は其の場に座った儘、何故か両方の掌をひっくり返しては戻してを繰り返しマジマジと己を見ている。
「夢が!夢が見当たらないっ!」
そう、悲痛な叫びを上げた。
「無い……だと?」
黒影は見えないが、何か異変があったのだと気付き言う。
「先輩!……今のうちに、良いから、確保!確保ですよっ!」
サダノブは霧野 悠宇の元へ、黒影の腕を引っ張り走る。黒影は、
「話は後で聞く」
と、だけ言うと愕然としている霧野 悠宇の両手を後ろに回して親指を合わせ、黒いコートのポケットからビニールの結束帯で締め、手錠代わりにし立ち上がらせる。
「おいっ!何処に行くんだ!俺はもう夢を操れないんだぞ!」
と、顔を硬らせ乍ら言うではないか。
「まさかっ……お前、能力を失ったのか!?」
黒影は驚いて霧野 悠宇の顔を見た。
「ああ、何がなんだか……」
と、霧野 悠宇は落胆しきった薄い声で、現実を受け入れられない様子である。
「先輩如何します?本当か分からないですよ?」
と、サダノブは怪しんで黒影に聞いた。其の会話に霧野 悠宇は、
「ほっ、本当だよ!……現実に戻れるかも分からないんだ!」
そう見捨てないでくれと言わんばかりだ。
「……え?如何やって連れて帰ります?」
サダノブは思わず頭を傾げる。
兎に角、此の「正義破壊域」からも出なくては行けない。
「此処は領域だから多分土台になってる場所も時間も「真実の丘」で合っている筈だ。「真実の丘」と同じじゃないかな」
黒影はそう考え、とりあえず影を前方に伸ばす。
そしてサダノブに、
「ほらポチ、僕は彼を連行している。試しに突っ込んでみろ」
と、影の先を指差す。
「えっ!壁にぶつかったりしませんよね?」
サダノブはオドオドし乍ら黒影の顔を見て聞いた。
「多分な。……あ、そうだ。連行したいから氷で通ってくれ」
と、しれっと黒影は言うのだ。
「ちょっと!其れって明らかに実験台にしてますよね?」
サダノブはちょっと不機嫌そうに返す。
「何を言っている、あれだけ腕を掴んでおいて。炎でも大丈夫だったのだから行ける筈なのだが。サダノブの夢か、僕の夢か何方に行くかは分からん。ただの確認だよ」
と、実験テストを確認と言って変えただけなのだが、サダノブは何だ確認するだけかと、あまり考えずに納得した様だ。
其の様子を見て……やっぱり普段は馬鹿だと、黒影は笑いを堪える。
「じゃあ、行って来まーす!」
サダノブは冷気を全身に纏い突っ込んで行った。
……特に衝突音は無い。
……何処かには繋がったか。
黒影は早く知りたくて、未だか未だかと待っている。
暫く待つと冷気を纏ったサダノブが、勢い良く戻って来たものだから、危うく黒影に衝突する所だった。
「危ないじゃないか。少しは考えろよ」
思わず黒影は言う。
「はぁ、すみません。俺の夢の空っぽ空間でした」
と、サダノブは黒影に報告する。
「良し、じゃあ帰るか。サダノブの夢経由、ギャラリーから影絵だ」
と、黒影は言うと、
「おいっ!まさか、あの影の中に俺を放り込む気じゃないだろうなっ!」
と、霧野 悠宇は怖がっている様だ。
あれだけ強がっていたのに、今やただの一般人と何ら変わりはない。
「帰りの片道切符があっただけで良かったと思ってくれよ。行きは一部の能力者しか通れないんだから。此れから念の為、氷で覆わせて貰う。寒いだろうが、あの影を通る一瞬だ。通ったら僕の熱風で直ぐに溶かすから安心して良い。因みに本体が云々は出まかせだろう?僕と同じタイプだね。現実に戻ったら僕の探偵社兼家の何処かに転がってる筈だ。今頃怪力刑事と能力者しかいない所に行くのだから、無駄な足掻きはお勧めしない。色々聞きたい事もある。協力して貰うよ」
黒影は仕方なく安心させてやろうと説明する。
「……分かったよ」
霧野 悠宇は渋々言った。
「良し!……だ、そうなので、サダノブが凍らせた彼を持って突っ込んでくれ。僕は直ぐ後に続くからぶつからない様にな」
と、注意して霧野 悠宇をの背中をポンッと押し、サダノブに預けた。
「ではっ!」
サダノブが霧野 悠宇の足元から、バリバリ音を立てて氷漬けにして行く。首まで凍らせると霧野 悠宇は、恐怖にか寒さにか判別出来ない程青ざめて震えていた。
サダノブは冷気を纏って凍った霧野 悠宇を足を前に持ち、影に走って行く、
「だっ、大丈夫かよっ、此れ!ぎゃーーー!」
と、恐怖に叫んだ声が響き渡る。
「丁度良いお灸だなっ」
黒影は火を纏って少し浮くと、飛んだ儘真っ直ぐ滑空し、影へ姿を消した。
其の頃にはもう、沢山の長い眠りは目覚め始めていた。
――――――――――
……正義を誤った者から其の者の力を崩壊させる領域……其れが「正義崩壊域」の、真の姿だった。
其の後、「真実の丘」は再び花が息吹き、光注ぐ何時もの姿を取り戻していた。
「正義崩壊域」はどの世界も崩さず、其の物悲しい廃墟の姿とは真逆のもう一つの「聖域」とも言える。
僕らは生きていると、時に使命感と言うものに駆られる時がある。
其れは正義や勇気を与えてくれる原動力なのだと思う。
其れでも人は間違った方向へと、只管に信じ突き進んでしまう時がある。
……正義は簡単に歪んでしまうから、答えの無い不確かな物だから。
其の地はアスファルトの枯れ切った割れた大地から、凶悪な力のみを呑み込み、罪の重さと言う重力の負荷で其の地に正せよと平伏せさせるのだ。
審判を下すでも無く、たった一人であの人は……きっと今も孤独感を抱き乍ら廃墟を彷徨い、正義をあくまでも静観し、時に正す為ならば破壊神として君臨するのだろう。
誰よりも平和を求め、深い愛で其々の世界を眺めながら……。
「遣る瀬無い」……其の言葉を言う度に、また儚く遠くを眺め心に泪を流すのだ。
せめて……其の愚痴ぐらいタダで聞いても悪くはないのに。
あの人の「献杯」は、呑み込んでしまった其の大地からの、せめての謝罪と弔いだった。
だからあの人は……僕に正義や悪を語る事を不要とし、両者の真実を見よと言いたいのだ。
本当の善悪の一番近くは自分の中にあり、許す者と許されざる者の交渉にて、結局は罪の重さも軽さも決まるのだ。
法も人の様に生き物だと言う。
どんなに必要とされていても、時代が過ぎ使われなくなれば消えて行く。
今を生きて今を守る事に見誤る事がなければ、どんな真実にも目を背けずに歩むだろう。
日々事件は起こりただ只管に走る。
此の終わらない悲しみを憂いては、真実は曇るのだ。
善悪は鏡の様に動いても、背中合わせで出会う事は決して無い。
然し真実は両者の中に存在する。
正義の中にもやはり変動する限り、真実がある。
此の世界の全てが不変でない限り、揺れ動く人の心の数だけ、真実は永遠に存在し続けるのだ。
……だからあの人は”真実を見る目”を信じている。
――――――――――――――
黒影は目覚めると、自室のドアをゆっくり開けた。
サダノブがズルズル廊下の床に押されて行く。
黒影は慌てて頭をぶつけない様に、腕を掴んで止めた。
其の手の感覚に、サダノブはスッと其の手を反射的に取り、ふと目覚める。
「……なんか、朝からラッキーが降って来た」
と、嬉しそうに黒影を見上げて言った。
「……お疲れ様。サダノブが来なかったら、きっとあの人は現れなかった。誤解も解けて、また美味い酒を飲めそうだ。……有難う」
黒影は珍しく手を取られても怒る事もなく、優しい声で言い微笑んだ。
「白雪が大変な事になっているな……」
まるで階段から落ちかけの様に眠っている白雪を見て、黒影はクスッと小さく笑う。
きっと黒影が起きたら必ず階段を通ると思い、踏まれてでも出迎えたくて、あんな所で待っていたのだろう。
「サダノブ、白雪を部屋に運ぶから、先に避けて一階に行っていて貰って良いかな?多分霧野 悠宇も其の辺で転がっている筈だしな。可哀想だから早く見付けてやってくれないか」
そう黒影がお願いすると、サダノブは白雪を見乍ら小いさめの声で、
「今朝は気分が良いからバッチリ任せて下さい!」
と、言って胸を張ってポンっと叩く。
「有難う」
静かに二人で話してサダノブが降りたのを確認し、黒影は白雪の隣に行き、そっとお姫様抱っこをして大切そうに部屋のベッドに寝かし付け、帰って来た事が起きて直ぐ解る様に、ベッドのサイドテーブルにシルクハットを置き静かに部屋を出た。
霧野 悠宇は探偵社の床に転がっていたみたいなので、頑張って引き上げているサダノブを手伝ってやる。
リビングを見て風柳の方へ軽快に歩くと、
「時次、時次兄さん、只今。無事に戻って来ましたよ」
風柳は、椅子に座ったまま腕組みをして、こっくらこっくらと頭を揺らしていたので、耳元でそう報告する。
「あっ、勲!はぁー無事か。サダノブはっ?」
時次か兄さんで呼ばれるとつい、黒影を勲と呼んでしまう癖は相変わらずで、起きて辺りを見渡す。
大体、黒影が風柳を時次、時次郎、兄さんのいずれかで呼ぶ時は、甘えているか有難うの気持ちの時に呼んでくれているのだと、最近になって風柳は気付いた。
「此処にいますよー!」
探偵社側でサダノブは手を挙げて、ひょこっと顔を出し、
「霧野 悠宇、お土産でーす」
と、言い笑った。
「凄い土産だなあ。然し……二人とも無事で本当に良かった、実に良かった!」
風柳はそう言ってにこにこ満足そうに笑うと、霧野 悠宇の取り敢えずの結束帯を見て、
「手錠に代えるよ。前の方が楽だしな」
そう言うと結束帯を切り、霧野 悠宇の手を前に回すと手錠を嵌めた。
観念した霧野 悠宇は大人しかった。
「風柳さんにも聞いて貰いたいです」
黒影が少しツンとして言うので、風柳は如何したー?と、話を聞こうと、探偵社の応接間の適当なソファーに座った。
「さあ、警察に引き渡す前に、少し話をしようか。……僕等の情報は自分で調べた物だけか?」
黒影は夢探偵社の能力者についての情報漏洩を未だ気にしている。
一応にも社長なのだから、今日は其方の仕事みたいだ。
「早く休めば良いのに……」
タブレットを持って来たサダノブはボソッと言う。
「ん?喧嘩売っているのか?」
あの営業スマイルで、黒影はサダノブに言う。
笑顔なのに後ろに炎の殺気が見えて、サダノブは背筋に悪寒が走る。
「いいえ……」
サダノブは凍り付いた笑顔で冷や汗を掻き乍ら答えた。
「……すみませんねー。で、如何でしょう?」
黒影は犯人と話している訳では無く、あくまでも探偵社として話を聞く様だ。
「あれ、名前……何だっけ。副署長さんの息子さん。……荒井……何とかだよ。一度接待ゴルフの荷物番に行ったんだ。能力者なんかが要るから此の街は変な事件ばっかりで、其の能力欲しさのハイエナがわんさか来る。だから治安が周りに比べて悪いんだ。業績で比べられる此方は溜まったもんじゃないって愚痴で意気投合したんだよ。間違いじゃないじゃないか、実際そうなんだし」
と、霧野 悠宇は話した。
「……能力者なのは霧野さんだって一緒でしょう?」
黒影がさっきまで戦っていた相手に「さん」付けまでして話をしたのには、サダノブは流石に気に入らなかった。
「俺は其の人から話を聞く迄、夢に入れるのは気付いていたが、何にも使った事が無いよ。黒影と言う男がいて、其の能力者は今、探偵社をしているから、出世したいんなら使えば良いって教えてくれたんだ。苛立ったさ、俺は能力を使わずコツコツ働いて、其奴は能力を使って周りにわんさか犯罪者を集めておいて、其れで正義面して稼いでるって聞くじゃないか。
生活の為なら此方だって一緒なんだよ!だからちっともあんたの過去を知っても憐れみも無ければ情けも感じなかった」
と、霧野 悠宇は怒り半分に言ったのに、黒影は未だ死んだ営業スマイルで、
「そうでしたか……。いやはや、大変なのはお互い様って事ですよ。うちは別に理由が出世だろうが、点数稼ぎだろうが、何ら関係無く成功報酬をいただければお受けしますよ。慈善事業じゃあ無いのでね。貴方に関する依頼も受けました。貴方の能力解明と確保を、貴方方の関係者から」
風柳は黙って聞いていたが、此れには黒影に注意する。
「おい!其れは守秘義務だろう。其れに、其奴は犯人でクライアントじゃないんだぞ?」
と、相手にする事は無いと言う。
「もう、知ってますよ、霧野さんは。ねぇ?だから犯行に及んだのですから。一日で12件……焦っていたのですよね。僕等の様な者に其のうち嗅ぎ回られる。事前に下調べをし、流行り出した長期眠る事件の調査だとか、見廻りだと言って警察手帳を見せれば、誰にでも近付けた筈です。……そうやって、一人……また一人とコツコツ長き夢に誘った」
黒影は気にせず話しを続けた。
「だから能力者が嫌いなんだよ!
……だから、俺はあんたみたいな汚い仕事を引き受けて警察まで裏で操る様な能力者を消してやるって。
……そうだ此の世にそんな者、要らない!だから新しい因子を持つ者も、能力者も夢に閉じ込めたんだよ」
と、霧野 悠宇は黒影を睨み言った。
「何だ……たった其れだけですか、恨み言は。
貴方も大した事がありませんねぇ。夢なんてまるで僕の影みたいな能力だから、どんな人だと思ったら……正直、ガッカリしましたよ!」
其処迄言った次の瞬間、黒影はバンっ!と、立ち上がると霧野 悠宇の前の机を目が覚める様な音で叩き付け、
「そんなもんはな……自分に与えられた仕事がまともに出来てから言え!こっちは、警察だろうが、探偵だろうが、能力者だろうが、一般人だろうが、場数が違うんだよっ!未だプロにも成れない甘ちゃんのお前に、うちの社をとやかく言われる筋合いは無いっ!
……さあ、うちはプロしかいないからなあ……どいつからぶっ殺されたい?僕は瞬きする間に君の心臓だけを、影の中に吸い込んでやろう。
サダノブに芸術的な氷の棺でも注文するか。其れとも純真無垢に見えて真っ黒な懺悔付きにしますか?
……生きて現実に帰れただけマシだと思え」
と悪魔の様に、にんまり笑うと黒影は椅子に座り背後から巨大な影を伸ばし、其の影は今にも霧野 悠宇に覆い被さる様に、手をじわじわと伸ばしている。
「……さあ、契約と行こうか。もう君は一般人だ。能力が無ければ証拠も消えた。此方は調べるのも骨が折れる。
良い弁護士を教えてやる。見逃しても構わない。其の代わりに、警察が今回我が社に払う筈だった成功報酬の2倍を君が支払う、悪い話じゃないだろう?此れから多少は留置所だろうから連帯保証人を付けて下さい。
僕は正義では無いが、貴方が望むならば最高の手腕で君を守ろう。如何する?カード各種使えますよ」
と、黒影はにっこりまた営業スマイルに戻った。
「……ほら、お客様が怖がるでしょう?ちゃんと影、締まって」
白雪が起きて来て慌ててお茶を勧めた。
「えっ?どーう言う事?」
サダノブはさっぱり分からない。然し風柳には分かった。
「まさかっ!身柄の受け取り交渉、吊り上げる気かっ?」
黒影は風柳の方を向くと、
「流石、風柳さん。……でも惜しい。最悪、二重取りします。副署長さんの息子さんからの情報漏洩のペナルティです。契約は絶対ですから。彼はもうただの一般人なのです。それなりの目撃承認も記憶が薄れ続ける限り、絶望的。如何しても身柄が欲しかったら、意地でも僕が探しましょう。其の代わりに、当初の3倍の成功報酬で。其れ程迄に証明は難しいのだから、安い方だ。素直に諦めていただきたい。
……関係者全員の記憶を消すだけなら、一件ずつ廻るのだから当初の2倍のお値段でお受けしますとお伝え下さい。
其れが今後とも、仲良く出来る最後のベストな選択だ。……此方の被害に比べれば、僕は此れでも優しく言っているつもりですが。
……此方もね……慈善事業じゃあ、ないんですよ」
と、黒影はニヒルな笑みを浮かべた。
「……まるで悪魔の契約だな。……まあ、お前が気が済むのなら俺は何方でも構わん」
風柳がそう言うと、黒影は無邪気な笑顔で笑う。
「僕は悪魔でもなければ正義でも神でも無い。……だから楽しい。……真実は僕の心の中だけ。宝物がまた増えた。……幸せで仕方が無い。変な能力はあれど、たかが人間でいられる僕は幸せ者だ」
そう言って黒影は、粗目の入った甘い珈琲に舌鼓を打つ。
其の後、此の交渉を上手く成功させ、涼子さんと穂に真っ赤な着物と最上級の日本酒を贈ったのは言うまでもない。
サダノブにはサファイアボンベイと其の記念グラスセットと休暇を。
風柳には着物と温泉を……念の為に温泉のチケットを2枚用意して。
黒影は笑顔で休暇に白雪と手を取り、白雪のショッピングに付き合って何時もの様に洋服を買ってやるのだ。
其れでは何時もと変わらないので、其れも良いのだが……偶にはと、庭のハーブを使った、あの拘り抜いたイタリア料理をご馳走して、黒影はウィスキーを白雪はシャンパンをグラスに入れる。
「あんまり飲み過ぎないでね」
「其れはこっちの台詞だよ」
「……乾杯」
「……乾杯」
……なんて、軽やかな気持ちだろう。
此れが身勝手な我儘だと言われようが、僕の幸せで自由なのだ。
―――season3-3はとりあえず完―――
で、す、が〜やっぱり未だ未だ、ネット史上最大級黒影紳士は、推理ミステリーでも何だか分からないファンタジーもあるジャンル超えしちゃう小説として続くのです^ ^
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お賽銭箱と言う名の実は骸骨の手が出てくるびっくり箱。 著者の執筆の酒代か当てになる。若しくは珈琲代。 なんてなぁ〜要らないよ。大事なお金なんだ。自分の為に投資しなね。 今を良くする為、未来を良くする為に…てな。 如何してもなら、薔薇買って写メって皆で癒されるかな。