此の街にありふれた愛を 第1幕 愛、擦り抜ける 二頁
「探して欲しい人って?」
此の場に不釣り合いな、草臥れた黒のジャージを着た男が隼人に話し掛けた。
「ああ、あんたが……例の……」
隼人は其の男を上から下まで舐める様に見ると、馬鹿にした様にクスッと小さく鼻で笑った。
どうせ噂の奴と言う者は、所詮「噂の」から抜け出せない小者だと勝手に決めつけていたからだ。
その形(なり)と言い、とても腕利きの探偵だとは思えなかった。
女は噂って言葉が好きな生き物だ。
何でも大袈裟に話し、大袈裟に返してくれる人を好む。
隼人はミラーボールに艶めく黒のスーツに、胸元に咲いたチーフで模った真っ赤な佐天の薔薇は燃える様に、浮きだって見えた。
何もかもが自信に満ち溢れていたあの頃……。
たった一人の女が現れるまで……。
其の女の名は、夏緒(なお)と言った。
岸島 夏緒(きしじま なお)。源氏名も下の本名である。
ボディーラインに沿ったミニスカートのスーツを着ていたが、魅力的と言うよりも……よっぽど「可哀想」と言う言葉が先に出る。
水商売を終えた夏緒は、黄色のスーツから私服に着替える事も無く、まるで迷い込んだ様に初めは此の隼人がNo,1として君臨していたホストクラブを訪れたのだ。
「お疲れ様。何処の店?」
誰もが夏緒を訝し気な顔で見た。
そう……五代 大夢(ごだい ひろむ)と言う探偵が、此処を訪れた反応と変わらない。
黄色いスーツは店の新人への貸出品と分かる程安っぽく、一昔前のデザインを思わせた。
そのスーツから見える自慢である筈の手足も極端にか細く……否、貧相と言っても過言ではない。
骨に皮が辛うじてくっ付きm筋張っている状態に窺えた。
店長が思わず、シャンパンを一気に飲み干して浴びた隼人を呼び付けた。
シャンパンタワーが美しく輝いている。
「あの女……金を持っているのかも分からない。悪いがちょっと探りを入れてくれないか」
そう店長から言われ、渋々店の為ならばと席に付いた。
何処の店だか分ければ、大体この近辺であれば収入も分かる。
「気に入らないわ、貴方の其の自信過剰を絵に描いた様な先程からの振る舞いも、貴方程度がNo,1のこんな陳腐な店に来た自分自身も」
と、夏緒は初対面にも関わらずそんな事を言った。
隼人は怒りもせずに笑った。
「そうですね、何か失礼があった様だ。その点においては謝罪します。しかしながらレディ……ものの数分で僕は貴女に嫌われたのです。僕は一応に此の店No,1なのですよ。此れは店全体の失態として改善しなくてはならない。改善点をご教授出来ますか」
と、下手に出てみる。
きっとシャンパンタワーで大騒ぎをしていたから、気に食わなかったのだろう。
きっと大人しい雰囲気の店が好みなのかも知れない。
若しくは……案内がヘマをしたか、単純に機嫌が悪いだけかも知れない。
此処で陳腐なプライドなどでキレる方が美しくない。
プライドなど一銭にもなりはしない、この煌びやかなだけの世界で。
「偽物の自信よ、貴方のは。私は夏緒。心配しなくても大丈夫よ。金なら持っているから。あれ……あのシャンパンタワーで使ったシャンパンよりも、もっと良いシャンパンを頂戴。ピンクのシャンパンタワー……見てみたいわ」
そう夏緒は言った。
「分かった、今準備させますよ」
隼人は手を叩き、新人を呼ぶともっと良いシャンパンを用意させる。
「この辺の店じゃないの?銀座……でも無さそうだ」
隼人は服装を軽くもう一度見るなり、まるでクイズの答えを探すように聞いた。
「あら……残念だけれど言えないの。代わりにはい……」
そう言って夏緒が店のシャンデリアを移す、漆黒の鏡の様なテーブルの真ん中に、ブラックカードを滑らせた。
「成程。ちょっと失礼……」
隼人はそのブラックカードを持って、店長のいるカウンターへと向かう。
偽のカードかと思われたが、店長は真面目な顔をして深く頷いた。
……如何やら本物らしい……。
「じゃあ遠慮なくカモらせて頂きますよ」
そう言ったものの、爽やかな笑顔で隼人は戻り、夏緒にカードを返し言った。
「勝手にしなさい。……それより、ちょっとマニキュア塗っても良いかしらん?」
夏緒はそんな事を不意に言うのだ。
「マニュキュア?」
思わず隼人は聞き返す。
「ええ……匂いとか問題なければ。直ぐに終わらせるわ」
などと言うのだ。
そう言ったものは化粧室等でする物だと思っていた隼人は不思議に感じたが、上客である事には変わりない。
そのくらいはまた不機嫌になられるよりはマシだと、
「構いませんよ」
と、だけ答えた。
手を見れば栄養不足を絵に描いた様な爪……。
白っぽく何も塗っていないし、磨きもしていない。
ホストクラブに来る客は精一杯のお洒落をして来る。
総てが流行物の塊だ。
服は最新の有名モデルが着た入手困難な物。髪型も化粧だって有名な予約困難な美容室にスタイリスト。ネイルサロン一つにしても、エステにしてもどれも最新を奪い合うかの様に競い合うのだ。
時々、此処に来る女共は社交界の噂好きな貴族に見えてくる。
けれど、僕は其れを飽き飽きする程見聞きしているのに、何時も初めて聞くような素振りをし、散々プレゼントして貰っている。
本心では……どうでも良いからさっさと其の金寄越して帰れよハイエナ共が……なぁ~んて、思ってはいなかった事にしよう。
何が愛だか分からないうちに夜が明けてしまう。
そんな夜明けを何度迎えた事だろう。
帰れば如何に豪華なスーツや物で身を包んでも、シャンパンの匂いだけがこびり着いて離れはしなかった。
愛は何時しか……シャンパンに埋もれた息苦しいものだと感じていた。
何の飾り気もなかった夏緒がたった一本の指に真っ赤なマニュキュアを塗った。
僕の胸元にある真っ赤な薔薇のチーフにそっくりの色……。
其れは小指だった。
僕らは発泡するゴールドピンクに仄かに染まったシャンパンタワーを見詰めた。
「季節外れの桜の様だわ。ほら……私の思った通り。私は
全てを思い通りにしてやるの。貴方の野心よりも深い愛の野心を以て……」
そう……夏緒は言った。
その貧相な体格からは想像もつかない言葉だった。
……女の……野心……。
其の時、夏緒を見るとニヒルに笑ったのだ。
舌舐めずりをして、舌先にあるピアスを覗かせた。
まるで夏の化け物でも思わす、真っ黒な長いストレートの乱れて手入れもしていないであろう髪から、其の舌と小指のマニュキュアだけが薄暗い店内に浮かんで見える。
桜……。
シャンパングラスが運ばれて来ると、
「僕は……隼人です。コールしますか?」
と、聞いてみる。
勿論、自分で大金を払って実現させたシャンパンタワーだ。
誰もがコールして騒ぎたくもなるものだろう?
然し、夏緒は違った。
「要らないわ。私は散りゆく桜を見たかっただけ。自分の姿などには興味も無いの。美しい物を常に見ていたいだけよ。私は桜の木の下から這い上がって来たのよ、隼人。どうぞ宜しく」
などと、夏緒にとっては冗談のつもりだったのだろうが、シャンパンタワーを目立たせる為に幾つか照明が下とされた所為か、更にニヒルな笑みの口元とマニキュアが浮かび上がる。
目の前には、流れ浮かぶ……淡い紅を差した散っていく桜……。
何時からだろう……
ゴールドシャンパンの流れる姿が、金の流れ落ちる様に見え始めていたのは……。
その夜、夏緒が見せてくれたのは……真夏の夢桜だった。
ーーーーー
「一ヶ月後……」
「えっ?」
僕は細く壊れそうな夏緒を優し抱いたある夜明け、青白く浮かぶその可哀想な体を大切にシーツに包み、聞き返した。
「一ヶ月後……隠れん坊をしましょう。本当に私を愛しているなら、本気で探してくれる?」
と、夏緒はあのマニュキュアの塗った小指を見せた。
「なんだよ、急に。そんな冗談は止めてくれ。一緒にいよう」
飾り気の無かった夏緒の唯一の飾り気は、其の出会ってから落しもしない……所々が剝がれ始めたマニュキュアだけだった。
そう……言えたら良いのだが、実は違う。
夏緒が飾り気無いのは、僕の店に遊びに来る時だけだ。
後々聞いたが、その方が目立って飾り立てた女に飽きた男が寄って来ると画策していたらしいのだ。
そして、あの貧相な程痛い気な体型は、実は夏になると極端に食が減り、拒食症にも近くなる程瘠せてしまうと言うだけだ。
初めて出会った次の日には、それは美しいナイトドレスで現れ、髪も艶めき別人ではないかと思った程だ。
ギャップ萌えに言い寄るホストは数知れず。
あの日も、ホストからしつこく言い寄られて逃げた挙句、あの姿で僕の前に現れたのだ。
僕は多分……夏緒の事を心底愛していたとは思う。
食事もする様に、出来るだけ一緒に摂る様にしていた。
半同棲生活だったとも言える。
飾らないで欲しい……そんな、独占欲すら言いはしないが持っていた。
「私は本気で言っているのよ。とっても難しい隠れん坊だから、一人……噂の、良い探偵を隼人にはハンデで紹介して上げるわよ。……ねぇ?」
「ん?」
僕は少しこの時、怖いと思った。
夏緒とは出会ってから当たり前に毎日会っていたのに……。
そんな冗談だと思っていても、いなくなると思っただけで、不安を感じる。
「愛って……何?」
君がいなくなる事よりも、嫌われる事よりも……
一番恐ろしいのものは
愛し愛されていると思っていた相手からの
其の一言だった。
そして僕は其の時思い出したのだ。
確かに君は初めから言っていたんだ……。
僕は自信過剰だと……。
そして一ヶ月後……君はいなくなった。
胡散臭い例の、噂の探偵とやらの名刺を残して。
ーーーー
五代 大夢(ごだい ひろむ)……。
彼が、僕が探偵になるきっかけをくれ、絶望まで与えた人物だ。
夏緒がいなくなってから、僕は血眼になって夏緒を探した。
あんな巫山戯た約束が本当になるなんて。
あのマニュキュアの塗った小指を、自分の小指に絡め僕は笑った。
「何を言っているんだ。きっと僕が見付けてみせるさ。何処に逃げたって無駄だよ」
そう言ってシーツを被った夏緒をあの日、更に強くくるんで抱き締め、捕まえる様にすると笑った。
夏緒も楽しそうに笑っていた。
照り付ける太陽が消してしまったんだ。
眩し過ぎた真っ白な太陽が見せた幻想……。
一ヶ月、毎日会ってもお互いの事は詮索しなかった。
僕が聞かなくとも、何時か夏緒から機が来たら話してくれるだろうと信じていたからだ。
夏緒といる時間は長く、あまり仕事を長時間している様にも見えない。
ホストクラブに通うのに、体を売る女だってゴロつきいる。
もしそうであっても、僕は何も責められた立場では無い。
やたら羽振りも良かったのもあり、聞くのが怖かったのかも知れない。
何をしているかも知らないし、住まいだって知らない。
そんな夜の出会い独特の延長線上の儘に、僕は長い夢を見ているのだと思う。
其れは今も……変わらぬ悲しい夢の儘だった。
散々夜の街を聞いて回ったが、行方の分からないまま。
僕は10日後、夏緒の身を案じて名刺を見たのだ。
始め会った時には馬鹿にしていたあの五大 大夢から数日後、連絡が店にあった。
「夏緒さん、見付かったぞ!話したい事があるんだ。出来れば今直ぐ!誰にも聞かれたら不味い……そうだ、埠頭の辺りで落ち合おう。今直ぐだ!」
そう五大 大夢は僕を急かし、何も答えられる暇もなく電話を切った。
あんなに探し回った夏緒が、こんなに早く見付かるとは思ってもいなかった。
勿論、僕は直ぐ様タクシーを拾い、店から飛び出す様に埠頭へと向かう。
「探偵ってやっぱり凄いんだな……」
埠頭へ向かう道中の車内から、窓の外を見詰めそんな事を呟いた事を今も鮮明に覚えている。
その時はそう思えたんだ。
……その時はね。
「五大さーん、来ましたよ」
僕は約束の埠頭へ着くと、詳しい約束場所を決めていなかった事に気付き、五大さんを呼び乍ら夜に染まった海を時々不安になっては眺め、歩いて探す。
早く夏緒に会って安心したかった。
……会いたい……会いたいっ!
気が付けば走り出していた。
無我夢中で幾つもの倉庫を走り抜ける。
自分がいたのが何番倉庫だったかも分からない。
だけど、フォークリフトの様な物が、ガシャンと何かを置いた音がして、その倉庫へ向かい中に入ると足を止めた。
夏緒に出会えたから止まったのでは無い。
夏緒との思い出に止まったんだ。
真っ暗な筈の倉庫に、其れは床に乱反射し揺れては流れ落ちて行く。
あの日の……桜……。
……「桜の木の下から這い上がって来たの」……
そんな君の言葉が脳裏を掠めた。
散って行く……
泡となって……君が此の夜に消えてしまいそうで……。
何故に散る華も美しい哉。
堪えていた涙が……君がいないと言う現実味を帯びて溢れる。
「いるのか?……」
やっと変わらなかった筈のあの日々に戻れるのだと……そんな安易な事を思っていた。
だから……
普通の探偵なんて大嫌いなんだ。
淡く揺れる華の様なシャンパンタワーの後ろにゆっくり回ると、オークリフトのパレットが山積みに置かれていた。
どれももう使わなくなったのか、何処かしらが割れたり壊れたりしている。
真っ赤な……あの日の僕のチーフの様に
真っ赤な……あの日の君の塗ったマニュキュアの様に
真っ赤な液体が流れて来て、僕の足元辿り着き靴を包んで行くのだ。
其の先のパレットの間を覗き込んだ。
隙間から此方を瞬きもせず凝視する目が見える。
「五大さ……」
君じゃなくて良かった。
そうあの時思ってしまった僕は、其の後ろめたさからか……将又恐怖からか、探偵と言う者を嫌いだと口にする。
本当は……そう口にする度に思っているんだ。
其れが例え職業だとしても、貴方が僕の身代わりに殺された様な気がして……。
貴方の様に、死んで事件を解決出来なかった、無念の探偵にだけはなりたくはなかった。
僕の夏は未だ……終わってなんかいないんですよ。
終わらせませんよ。
どんなに成り下がっても、僕は探しているんです。
本物の桜を……。
死んだあんたになんか……あんたになんか……分からない儘で良い。
僕は貴方のいた此の場所……
此の椅子……
此の時折窓にの外に見える電車の景色を眺め乍ら、此の夏も幽霊を探している。
真っ赤なマニュキュアの遺体が上がろうとも
貴方が死んだ時の姿を見ても
僕は諦めたりはしない。
最低でも何でも……生きて此の事件の最期を見届けると
あの日の桜に誓ったんだ。
夏にも枯れない……負けられない生き方が、こんな者ですらあるんですよ。
✨続きは次回更新までお待ち下さい。
大体五千文字前後で毎回更新🆙します。
更新は不定期になります。