黒影紳士 ZERO 02:00 〜閃光の樹氷〜第二章 毒針の行方
第二章 毒針の行方
「……で、科捜研は何と?」
黒影は行き慣れた署長室に通され、珈琲を一口頂くと早速聞いた。
「体内に針状の傷があり、其処から致死量の毒物が検出された。だが……針の形状はダーツに違いないんだ。けれど、何度家宅捜査しても、他のダーツの針や縫い針、画鋲まで調べたが、毒が検出されない。……消えてしまったんだ、毒針が……。これ以上の家宅捜査は此方も難しくなって来ているのはもう気付いただろう?」
と、資料室で調書を見た後ならば、当然気付いているだろうと、話した。
「ええ、勿論。既に些か家宅捜査も通常以上に頻繁に入り過ぎです。これ以上の許可は署長自ら許可を下ろしても、上の目に止まる。……それで僕なのでしょう?」
黒影は最後にニヒルな笑みを浮かべた。
「また警察は数だけで無能とでも言いたそうな顔だな。そうは思うかも知れないが、此方は何の能力も無しに頑張っているんだ。そう怪訝になるな。昔からのよしみじゃないか」
と、署長は何とかして黒影の機嫌を取ろうとしている。
「ええ……。逃亡犯を捕まえる時の、良い使いっ走りでしたけどね。……然程もう恨んでいませんよ。あの時は毎日死ぬかと思いましたが、今は大事なクライアントには変わりありません。探偵社を設立した当初も警察からのおこぼれ仕事があったお陰で、業界No.1に迄登り詰めさせて頂いたのだから、感謝はすれど、恨むなんてとてもとても……。それより、あれは能力か何かか?と、聞きたいのですよね?更に、そうであれば手に終えないから、能力者犯罪特務課を貸すから割引きしてくれないか?……と、交渉したいところでしょうか」
黒影は署長が言おうとしている事を推測し、どうせそんな事だろうと思っている。
「……黒影……。風柳から何も聞いていないのか?」
と、署長は異母兄弟だが仲良く同じ屋根の下に暮らしているのに、珍しい事もあったもんだと、署長自ら机から、応接セットの黒影の前のソファーに座りに行った。
「何の事です?義兄(あに)からは何も聞いていませんが……。何か特殊な任務でもしているんですか?」
と、黒影は聞いた。
「否、特殊と言うか……。脱獄した佐田 明仁と高梨 光輝を追っている。風柳が行くと言って聞かなかった。風柳の能力は私も知っている。だが、特務課とは言え、能力者は風柳たった一人……。後は何の能力も持ち合わせていない、チームの結束力だけが自慢の輩だ。私は反対したのだよ。あんな桁外れの能力相手に馬鹿な事を言うな!と、叱りもした。……そうしたら風柳の奴……此れを渡してな……」
署長は背広のポケットから、衝撃の事実を黒影に見せた。
……「辞表」と書かれた封筒だ。
「……俺の親父の為に……。風柳さん……此処迄……」
ショックを先に口に出したのはサダノブの方だった。
「……受理は?」
黒影は低い静かな声で署長に聞く。
確かに、刑事は定年があるから、定年後は夢探偵社でも手伝ってくれと、余りの忙しさにそう言って笑った。
然し……風柳にとって、天職であった事は黒影にも分かる。
自分が意思表明をしなかったから風柳が動き、勲を不安にもさせてしまったのでは無いかと、考え込んでしまう。
「こんなもの、私は受け取った事がない。見た事も無いから、扱いも分からん。だから、風柳の気が済んだら、焼き芋を焼く火種に丁度よさそうだから、使おうと思ってな」
と、署長は言ってにっこり微笑んだ。
目の前の数奇な運命の黒影と風柳の兄弟には、確かに辛い仕事ばかりを、他が出来ないとは言え、頼み過ぎて来た。
恨まれても当然なのに、皮肉で済むぐらいなら容易い。
「……すまんな。止める事も出来ないなんて。署長失格だ」
と、儚い目で署長は黒影に謝罪した。
止めるべきだと分かっていても、止められなかった。他に少しでも見つけ出せる希望を持てそうな者は、居なかったのだから。
能力者犯罪者を捕まえるのに、能力者の力を借りる事は、あまり心地良いものではないだろう事ぐらい想像出来た。
然し此の弟の黒影と言う男は、能力者犯罪に長けた探偵社として、君臨する。
兄は自ら、能力者犯罪を止めに突っ込んで行く。
どうもこの兄弟の事はあまり理解し難い。
「構いませんよ。風柳さんには風柳さんの想うところがあるから動いているんです。僕の出る幕ではない」
……人間として生きている事を忘れるな。
そんな事を教えてきた風柳だから、黒影には少し分かる気がした。
相手が能力者だろうが、其の力が桁外れだろうが、普通の人間と同じ……犯罪者は犯罪者。
あの真っ白な正義の虎は……如何なる者あの大きな金と瞳孔の大きな黒い目で、犯罪者を捕え離しはしないだろう。
黒影に少しでも今回の事件の負荷を減らす為に無茶をした事は分かる。
サダノブの父親が関わる繊細な事件だ。
其処に鸞まで関わっている。
慎重にしか進めない黒影の為に、風柳は佐田 明仁の身を案じ、先に動き出していたのだ。
「……やはり、今回の件は能力者かね?」
と、署長は黒影に聞いた。
何とも今回の被害者は種を売る程のマジシャン。
何らかのマジックかも知れないし、能力者にやられたのかすら判断し辛いのだ。
「……能力者ですよ」
黒影は、調書を読んだだけなのに、何を今更と言う風にさらりと答える。そして、
「単純な話です。能力を切ったから消えただけです。家宅捜査は無駄ですよ。此方で怨恨の可能性が無いか調べてみます。丁度先日、弟子の利田 司(きだ つかさ)のショーを見て来ましてね。僕、酔って種を明かしてしまったのですよ。其の詫びに師の突然死があったなんて言うから、人助けついでに解明してみようかなと、興味を持っただけです。ですから、ご依頼なら少しお安くしますよ。真相解明、犯人の身柄引渡しに、何時もの強い弁護士を付けられた時と、再犯防止の出所後の追跡経過観察のアフターケアセット付き。どの道手に負えないんだ。それ以上は此方も命が掛かっているんです。お勉強は出来ませんよ」
と、黒影は今回もやはり契約には手厳しい。
「……何%オフ?」
署長が副署長に上生菓子を持って来させる。
「紅葉かぁ〜……もう見頃も終わりか。それもまた良き哀愁哉……15%」
と、黒影は会話ついでに割引き率を話している。
「あぁ、美味しいじゃないか。サダノブも食べてみろ」
黒影はサダノブにも、折角だから早く食べるようススメた。
「20%にはならんか?」
「……ん〜、これは美味しかった。じゃあ、こうしましょう。僕は風柳さんが、定年までじっと今の夢探偵社を業界No.1に君臨させておくのが夢みたいなものなのです。だからね、署長のその焼き芋じゃあ、ちょっと信用出来ないのですよ。こういった契約にはやはり、お互いの信頼と信用が一番必要だと考えていましてね……」
と、黒影は言うが一気に言うので、結果的に何が言いたいのか署長は混乱して来る。
「詰まりは……如何言う事かね?」
署長が聞くと、
「其の風柳さんの辞表、此方で厳格に処理しましょう。今の時代は情報時代ですからね。そんな物の処分を一人でしたとバレたら上から大目玉だ。僕が代わりに綺麗さっぱり影に保管してしまえば良いでしょう?其の処分手数料込み込みで、15%オフだったら納得してくれます?」
と、黒影はにっこり笑うと署長の口にも、あ〜んと一つ上生菓子を口に詰め込んだ。
署長は暫くもぐもぐと咀嚼し、
「美味いなっ。まぁ、手間が省ける。それで良いよ」
と、契約書にサインをし始めた。
サダノブはしかと此の時、気付いて黒影の悪魔っぷりにドン引きしていた。
たかが、辞表をシュレッダーに掛けるか、焼き芋と一緒に焼くかの違いで、ただでさえ高額桁違いの依頼取引の5%が、間に上生菓子一個と信頼が云々の頭の混乱に乗じて、ちゃっかりほぼ言い値で契約成立させているのだから。
更に言えば、警察に言われなくても、この件は黒影の趣味で解決しようとしていたものだ。
ほんの人助けに、幾らふんだくっているか考えるとサダノブはゾッとするのであった。
ーーー
「さぁ〜て、出資金のスポンサーも付いた。幸先の良い事件解決への一歩と成りそうだ」
と、黒影はご機嫌で社用車のエンジンを掛けた。
帽子は助手席に置き、ダッシュボードから、サングラスを掛け、エンジン音の調子を聞き、ニヤッと笑う。
「今日も良い声で鳴いてくれるな、ベイベー!」
と、警察署内の駐車場だと言うのに、行形スタートダッシュをキメ、猛スピードで漆黒のボディのスポーツカーを飛ばす。
ミニパトの婦警もいたが、黒影だと分かっているので、キャーキャー言うだけで、違反切符も切る気ゼロである。
「先輩、何処へ行くんです?」
後部座席のサダノブがひょっこり、運転席と助手席の間に顔を出す。
黒影は既にエンジンを掛ける前に、ナビに何処かの住所を入れた様な動きをしたからだ。
「下手くそマジシャンの利田 司(きだ つかさ)と哀れな囚われ妻、佳子(よしこ)の住むアパートだよ。あのマジシャン……意見を参考にと引っ張って、こっぴどく説教してやらんとな」
と、黒影は言うのだ。
「説教しに態々行くんですか?」
サダノブは呆れ顔で聞く。
「それより、シートベルトは伸ばすなと言っただろう?勿論説教はついでだ。師であった 広瀬夫妻の事を「さ、き、に」聞きたいんだ」
と、黒影は「先」に聞く事に意味があると言う。
「先に何を聞くんです?」
サダノブはシートベルトを戻し、座り直すと聞いた。
「俺が思うに、素人って奴は言葉を間違える。例えば、利田 司が「変死体」を「突然死」と言った例もそうだ」
黒影はエンジンを聴くと一人称が俺になり口調がワイルドになってしまうが、一人が変わっている訳ではなく、根本的には同じで口調だけが別人になってしまうと言う、注釈を入れておこう。
「普通に考えて「変死体」なんて普段から使ったり聞いたりしませんからね。刑事ドラマの中ぐらいですよ。実際にあったら、悲惨過ぎて朝のニュースにもならない」
と、サダノブは言った。
そう、ニュースになりもしない悲惨過ぎるニュースはネットで、事件好きの格好の検索の的として、水面下でじわりじわりと広がって行くものだ。
「そうだが。……だが、「突然死」は良くある。病気でも病巣が見当たらず、一瞬で倒れてそのままあの世生き……何て現場に出会したら「突然死」と、言いたくもなる。この場合、対処がギリギリまで健康そのものであった姿の確認をしている……と、言うのが前提なんだ。僕等はこれから、師の広瀬邸を案内して貰うフリをして、利田 司に、広瀬 孝治の健康状態が確認出来た最終日時を確認する。サダノブ……余計な事を言って口を滑らすなよ」
と、黒影はこれからする聴き込みを台無しにするなと、事前に釘を刺す。
「その前に、其の口調で凄むの止めて下さいよぉ〜」
サダノブは黒影の口調や態度の変化に、あの気の弱そうな利田 司がまともに話せるかの方が心配である。
「おっと、此処だっ!」
黒影は多少行き過ぎた目的地に戻る為、助手席に軽く手を掛け、バックミラーをサングラス越しの鋭い流し目で見ると、ハンドルを片手で器用に揺らし、何と前に進んでいるのと同じ速さでバックして戻るではないか。
一度前進を止める為、急ブレーキを踏んだので舗装のなっていない道路の砂埃が舞い、其の中を通過しているのだ。
「見えてる?!ねぇ、見えますーー?!」
サダノブは辺りが埃が舞い見えないので、生きた心地がしない。
「ベイベーが大丈夫だと言っている。それより、利田 司を呼んで来る準備でもさっさとしろ!」
と、黒影は愛車のことベイベーの事は何でも分かって当然と、涼しい顔をして言う。
「いんや、いくら先輩のベイベーでも周囲の建造物との距離なんか分かりませんね!適当に言って!」
サダノブは黒影に嘘も大概にする様に言って、車を出ようとした。
未だエンジンは掛けたまま、黒影は待機する様である。
「サダノブ……」
「はい?」
サダノブが振り返ると、黒影はサングラスの端を摘み少し下げた。
「……俺の技術を甘く見るなよ……」
と、ニヤッと笑うとサングラスの端をトントンと軽く押した!
「マジっすか!?それ、小さい頃、欲しかった奴!」
サダノブは食らい付き気味で叫んだ。
「……夢があるだろう?漢の童心の浪漫が詰まってる」
と、黒影は嘘では無いと、証明したかった様だ。
まさか、サングラスの方に、バックする際の車体サイド、後ろが、フィルターの様に映し出されていたなんて……読者様と、夢探偵社一部の秘密にしておこう。
ーーー
「先日は如何も。お邪魔します……」
利田 司は、気弱そうに車体の低い社用車に、頭をぶつけそうになり乍ら、そう言って乗車する。
「気をつけろよ」
注意した訳でも無く、黒影は気を遣って言ったつもりだが、利田 司はビクッとした。
ヨレヨレのTシャツをインナーに、アウターとズボンはジャージ姿である。
スニーカーも何年選手かと聞きたくもなる程の、何度洗ってももう染み込んだくすみを感じる。
「頭……気を付けた方が良いっすよ」
サダノブが、黒影がハンドルに手を添えたと同時に言った。
「えっ?…………嗚呼嗚呼ーーーっ!」
車体がガクンとしたかと思うと、余りの速さとGの急激な負荷で利田 司は身動き一つ出来ずに絶叫した。
「……何だ?此れでも今日は安全運転のつもりだが?」
と、黒影は絶叫の意味も分からず車を走らせた。
「で?……何処かな?師匠の家は」
黒影が今回調べるのは、あくまでも種を明かしてしまった詫びであると事前に伝えており、警察からの依頼と言う事は内密に行動している。
更に、既に調書から師である広瀬 孝治の自宅の住所は分かっていた。
ナビに入力するでも無く、サングラスの端に地図が見えていたので、体裁を整える為だけに聞いている。
――――さて、これからが、事情聴取のお時間だ。
黒影はこの猛スピードの運転にも落ち着いてきた、利田 司に先ず、こう切り出した。
「今日、奥さんは?」
黒影が聞くと、
「今日はパートに行っています」
と、答える。
「パートって言っても、夜はテーブルマジックを手伝うんだろう?」
黒影は忙しいのではないかと、気になり聞いた。
「ええ、僕より忙しくしていますから、家の事は僕が……」
と、少し気落ちした声で利田 司は答える。
「ん〜?……責めてる訳じゃないさ。其の家々の遣り方がある。主夫ってやつだろう?……ただ、そうだなぁ〜バランスから言って、もう少しあんたの仕事を考え直した方が良いかも知れないよ。それも良い職と出逢えるかは運命みたいなもんだ。俺が言えた義理じゃあないな」
黒影はこんな時思う。
もし上手く収入が希望通り入らないとしても、天職だと思うか思わないかは別にある。
幾ら苦悩しようが其れが良いと言い、そんな事を言っている利田 司を愛した、妻の佳子もいる訳だ。
仕事、病、恋愛だけは他人が一般的模範で物を言っても通じぬ物がある。
それに、其処迄口を出してしまえば、他人様の幸福価値観を変えてしまう、半強制的な物言いとなり、相手が納得したとしても後の人生に誰も責任等取れないのだ。
この世には決め付けてはならない事がある。
自論で論破するだけでは、この場合は相手の幸せを壊すだけに過ぎない結果にもなり得ると考えるべきだ。
だから何も言わなくて良い……。
合うか合わないか、本人が気付くまでは。
「意外だな……先輩、叱るかと思った」
サダノブには、黒影がエンジン音を聞いて人が変わったみたいになっている状態であるのに、大して追求しなかった事の方が不思議だった様だ。
黒影にとっては今は、そんな生活の多少の問題は後回しで良い。厳しいなりには今迄何とか遣り繰りして来ているのだから、問題ない。……探偵は職安でもボランティアでも無いのだ。
然し……何時もの様にそう割り切ろうと思った時、涼子のほんの細やかなチャイナドレスの嘘を思い出した。
「……そうか……其の手があった」
黒影は呟いた。
エンジン音が凄まじく、後部座席の二人にはその閃きは聞こえなかったが、黒影にとって……其れは好都合な事であった。
それよりも……肝心な話だ……。
黒影はサングラスの下に隠れた瞳を「真実」が欲するままに赤く輝かせた。
「師匠であった、広瀬さん夫婦とは関係は良好でしたか?ある程度先に、ウチの探偵社でも調べさせて頂いたのですが、広瀬さんご夫婦には、未だお子さんがいらっしゃらないのですね?他にもお弟子さんが二人。……と、なると広瀬 孝治さんは中々のマジシャンだったと窺える。人間関係等はこう言う事件の臭いがする物には、先ず確認が必要なんですよ」
と、黒影は真っ直ぐ赤信号を見上げたまま聞いた。
「師匠はテーブルマジックだけじゃなくて、他のマジックも全般的にやるんです。だから、何時脱出マジック等で死んでもおかしくは無いから、子供を作っても責任を取れないと……。だからって、夫婦仲が悪い訳でも無いんです。奥さんの佳子さんだって子供を望まないのを理解していて結婚したらしいですし、側から観てもおしどり夫婦でしたよ。僕なんかは他の兄弟子の……加藤 悟(かとう さとる)さんと薮木 道(やぶき とおる)さんって言うのですがね、二人より出来が悪い物だから居残り練習ばかり。……それでも師匠は厳しいながら根気良く教えてくれましたし、練習が長くなると佳子さんの手作り料理を食べさせて貰いました。まるで家族みたいに……。だから、警察は佳子さんを疑っているみたいですけど、僕は違うと思います」
其の利田 司の言葉に、黒影は思わず喰らい付く様に興味を示した。
「警察が来た事を佳子さんから聞いたんですね?……其れは何時頃でしたか?広瀬邸を最後に訪れた日も知りたい。……大体で良いです。参考までに……」
と、黒影は言ったが、これが聞きたかった事だ。
正直、他の話し等は如何でも良い。警察が聞き取りしそうな話しだからこそ、ついでに聞く。
これは参考でも、大体で良い訳も無い、アリバイだ。
「確か師匠が亡くなった次の月命日ですよ。墓は遠いらしかったので佳子さんが、仏壇で良かったらと……未だ解剖に回されて、ご遺体も無い状態でしたが、手だけでも合わせたくて行ったんです。其の時に、警察がしょっちゅう家を荒らして行くから、片付けが一人では大変だと嘆いていたんです。だから、手を合わせたついでに、お世話にもなったのだからと思って片付けを手伝いました。其の後はまだ家宅捜査があったりと忙しいからと断られ、会っていません。……それに、あんまり未亡人の家に出入りするのも、僕も気が引けましたから」
黒影は其れを聞いて、一瞬後部座席の利田 司をサングラス越しに鋭い目で見た。
……嘘……だな。
其の嘘が何の為の嘘なのか、黒影には大概の検討は付いている。
「今迄は広瀬さん夫婦が守ってくれたかも知れない。……けれど何時迄も……守られてばかりはいけない。何方にせよ、一人立ちせねばいけない時らしい。……さぁ、着いた。「突然死」したとされる状況と、場所に案内してくれないか」
黒影はそうエンジンを停止し、言った。
……何時迄も……守られてばかりはいけない。
サダノブもそんな風に思っているのだろうと、考えていた。黒影もまた、幾ら鳳凰付きの狛犬だからと、サダノブにばかり手を焼かす様な自分ではいたくなかった。
分かっているんだ、誰よりも。
例え守れなくても、守ろうと思っていてくれる誰かがいるだけで、人は強くなれる。
でも、其の強さはあくまでも借り物なのだ。
たった一人で戦う時には消える、借り物なのだ。
だから、甘え過ぎたくは無いと思う。
けれど……目の前に在れば、そうもいかないのが人間では無いだろうか。
何も頼らずに生きられたならば、楽になる気もあるかも知れない。
それが……切なさを呼ぶから、人は思わず頼って生きて行く。
ならばこう考えるしかないのだ。
頼った分、頼られて良い己で在る事。
其れが唯一、誰かを頼る己を赦せる気にさせてくれるものだ。
利田 司は、そんな頼れる人間を失ったばかり。
だが、気が動転して「突然死」と言い張っているのではない。
守られたが為に、「嘘」を吐いている。
「真実」を捻じ曲げる「嘘」は守りではなく、毒にしかならない。
逆に僕に疑わせてしまったのだ。
利田 司が犯人ではないかと……。
然し、「事実」はもっと単純なものであった。
到着するなり、一行は現在容疑者とされる、亡くなった広瀬 孝治の妻、広瀬 美沙の案内で広瀬邸の同敷地内にある練習場に向かう。
「ご自由に……」
と言った、広瀬 美沙の目の周りには薄っすら隈が見え、連日の家宅捜査の所為もあってか、疲労困憊の様子が窺えた。
黒影は中へ入ると、利田 司の案内も無く、三台のダーツの的の前へと颯爽と漆黒のコートを広げ向かうのだ。
まるで其の的に吸い込まれる様に……。
散々調べた後の、ダーツの矢も針迄確認する。
「あのぉ……」
利田 司は何か物言いたい様であった。
黒影は其れも特に気にはせずに、こう話たのだ。
「何故此処を調べているか気になる。だが、利田さんは言葉にする事が出来ない。何故ならば言いたい言葉がこうだからだ!「何故、其処で師匠である広瀬 孝治が亡くなったのか分かっているのか?」とね。……其の問いならば簡単にお答えしよう。利田さんが真の第一発見者だと言う事が僕には分かっている。本来ならば、最容疑者は広瀬 美沙ではなく、貴方だった。……然し、其れを知った広瀬 美沙は恐らくこう……貴方に行ったのです。「疑われてしまうから、練習に来て、何も見ずに帰った事にしなさい」と。……だがね、僕は利田さん……貴方を疑っている訳では無いのです。何故ならば、その後殺害されたご遺体は「変死体」と、警察により呼ばれた事を広瀬 美沙さんは知っている。だから、広瀬 美沙さんは「突然死」では無く、「変死体」であると認識している。だが、利田さんだけが、第一発見者であり「突然死」と言うからには、理由があるんです。詰まり……「事実」は、広瀬 孝治は亡くなった直接……何も外傷らしき物が見られなかったと言う事になります。其れにも関わらず、貴方の目の前で倒れ亡くなった。貴方は、病気か何かだと思って広瀬 美沙さんを慌てて呼んだ。……これが、広瀬 孝治さんが亡くなった後の二人の行動となります。……何方が第一発見者でも、僕は疑いはしなかったですよ。然し、嘘の証言は事件を混乱させます。広瀬 美沙が貴方が犯人にされない様に言ったとしても、貴方には真実を語って頂きたかった。……こうなるであろうと言う憶測で嘘の行動をしなければ、広瀬 美沙さんもあんなに疲弊する程、しつこい取り調べや家宅捜査を繰り返えされなくて済んだのですよ。少しは甘え過ぎたと反省して欲しいものですね」
と、黒影は淡々と声を荒げるでも無く注意し、現場を見て周る。
屡々、人は捕まるかも知れないと勝手に思い込み、嘘を付いて身の潔白をしようとする。
誰だって、無実の罪で捕まりたくは無いのだ。
……そう思えばこそ、事件を錯乱はさせたが当たり前の反応なのかも知れないと思う。
黒影は刑事ではなく探偵だ。
「真実」を追えれば其れで文句は無い。
誰が第一発見者だろうが、今更ご遺体の認識の違いで分かっていたので、気にも留めない。
一番大事なのは……調書から犯人が能力者だと分かった以上、此の犯人の能力と居場所を突き止める事だ。
想像した犯人像が犯人に近い程、大捕物も有利になる。
間違え過ぎては怪我人を出し兼ねない。
……勝負は……これからだ。
見えない犯人を睨む様に、黒影は辺りを見渡した。
洞察力と観察力の勝利か、犯人の逃げる知恵が勝つか……
誰も未だ計り知れぬ迷宮の中である。
数々の何に使うかも想像し難い、マジックに使用されるであろう道具が彼方此方に点在する。
其の多くは聞いたところで安易と教えられないのも熟知
している。
「……ならば……人からだな……」
黒影は帽子を被り直すと、利田 司に問う。
「兄弟子二人と食事は共にする事は?」
そう聞くと、利田 司は、
「在るには在りますけど……時々です。僕はほら……出来損ないですから、師匠が特に気に掛けて誘ってくれたんですよ」
と、言うでは無いか。
「其処迄自分の事を卑下しちゃいけない。……これからって事もある。……ならば、ある意味申し訳ないが、「出来ない子程可愛い」と言う言葉の通りに、他の弟子よりも可愛がられていた事になる。……其れ対して兄弟子達は嫉妬の様な感情を持ったとは考えられるかな?」
黒影がそう聞くと、利田 司は暫しの間を置き考えてから、
「其れは考え辛いですね。……兄弟子は二人共、独立してから人気マジシャンとしてイベントに引っ張りだこ。唯一出来の悪かった僕を恥やら目障りだとは思ったとしても、嫉妬どころかライバル心一つ持ちやしませんよ」
と、苦笑するのだ。
「何だか聞いていてこっちが悲しくなってきましたよ。其れでもマジシャンを辞めようとは思わないんだから、逆に天晴れと言うか……根性だけは座っていると言うか……」
サダノブが聞いていて呆れて言う。
「そんなにまでマジシャンに拘るには、何かあるんですか?」
黒影が利田 司に聞くと、
「大きな理由がある訳でも無いんですよ。……未だ学生だった頃に、師匠のマジックを見たのが失恋直後で。食べる物も味気ない、何もかもが如何でも良い……。そんな時に偶然見たら、夜の中にキラキラ輝くステージがあって……其処から大量の白い鳩が飛び立った。最悪な日が、その月明かりに向かう白い鳩を見ているだけで、自由に……幸せになれる気がした。夢なんですよ……夢物語みたいな…本物の夢……。だけど、未だ僕にはそんな大仕掛けのマジックを買う金も、技術も無い。だからコツコツ……誰の目の前にもあるテーブルから、夢だけ見ているんですよ」
などと答えるのだ。
「……鳩を飛ばすのに、下を向いていては飛ばせないではないか……」
何も考えずに、偶然黒影がそんな言葉を口にすると、利田 司は其れに対し、
「ああ……確かに、そうでした」
と、勝手に何か答えを見出した様であった。
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お賽銭箱と言う名の実は骸骨の手が出てくるびっくり箱。 著者の執筆の酒代か当てになる。若しくは珈琲代。 なんてなぁ〜要らないよ。大事なお金なんだ。自分の為に投資しなね。 今を良くする為、未来を良くする為に…てな。 如何してもなら、薔薇買って写メって皆で癒されるかな。