世界名🌎「Prodigy-神童-」⚔️第一章　産声を上げた光

此方は黒影紳士season2より約20年前に書かれた戦闘系ファンタジー。
🔗黒影紳士season 3-1より連鎖発動‼️
黒影紳士season3-1から、頻繁にProdigyより登場人物達が参戦します。
是非、season3-1幕前後に挟んでお読み下さい。

⚠️この作品だけ、データがあるだけになってしまいました。
最後までお読み頂けますが、概要程度の纏めになってしまった事をお詫び申し上げます。
本来は長編でしたが、Prodigyが好きだと言う病床にいた子にプレゼントしてしまったのです。
ですから、仕方ないと微笑んで頂けると幸いに思います。

――第一章　産声を上げた光――

　恐ろしき…………悪しき血を持つ者…………
　正軍のゴットハンター（殺し屋）…………

　誰もが彼の事をそう呼び恐れた。

　Prodigy（プロディジー）と呼ばれる新しく神の力を持って産まれた人種と、昔からいた人種の二つの種がこの世界に生存している。初めは共存を望んだ二つの種も、Prodigyが青年に達する時に、発する膨大な力に恐れを成し、その恐怖はやがて戦いを招いた。先住民の種は、Prodigyの力に対抗する為、「正軍」という組織を作り上げる。
　初めはProdigyに対抗する為だけにあった正軍だが、突如Prodigyを狩り出した。そして捕らえたProdigyにProdigy狩りをさせるという策を始めたのだ。先住民の種のリスクも少ないこの作戦はやがてProdigyという種を激減させた。残されたProdigyは同じ種により追い詰められ、戦いをよぎなくされている。生きる為だけに…………戦いは終わる事はなかった。

　ザインは将軍からの命令を受け、まさに今軍へ帰ったところだった。ザインの服は戦闘から帰ってきたばかりだというのに、汚れも争った跡もない。只、出掛けた時と違うのは、右頬から右目にかけて長く切り裂いたような傷が縦についている所だけだ。
　ザイン程の者の顔に傷を残す者がいるなんて…………
　正軍の医療係を担当していたDr.は、ザインが将軍に報告する為、長い廊下を歩む姿を見て、そんな事を思っていた。
　ザインはどんな戦いだったかは報告しない。
　何時だって結果だけだ。殺して来たか…………そうでないか。ザインの戦う姿を知っているのはザイン自身だけだ。けれど、他の軍の者が彼を恐れるのは、将軍に嫌われ無理難題な戦いに駆り出されても、必ず帰って来たからだった。

　ザインは一人の少女のProdigyを狩るように命じられていた。ザインが命じられた地に行くと、その街の民は歓迎した。
「早く、あの悪魔を倒してくれ。」
　ザインも悪魔の種と呼ばれるProdigyだったが、何も気には留めなかった。民衆が正軍の白い制服を着たザインをProdigyの少女のいる家へと案内した。中にはProdigyの父親らしき人物が、少女を抱いて蹲っていた。父親はどうやらProdigyではないらしい。母親がProdigyだったのだろう…………。ザインがそう思った時だった。
「渡さないぞっ！！…………この子の母親はProdigyではなかった。けれど、Prodigyを産んだ罪で俺と同じ…………人間に殺された。」
　ザインに父親らしき人物がそう言った。ザインにはProdigy特有の心を読む力がある。男は願っていた。

　…………この子は、俺にとって…………最後の希望…………
　俺達は只…………生きたいだけなんだ…………

　それがわかるからこそ、ザインは剣を抜いた。
　ザインの体に巻き付いていた、剣の鞘を留めていたベルトが、剣を抜くと同時に無数の龍と化し、悲しみのようなうめきを上げ、ザインの周りを慈しむかのように舞う。父親に抱かれていた少女は、このProdigy特有の神に与えられし力を見ていた。怒りも…………殺意もない静寂だった。ザインの心だけが悲しくも…………誰にも届かずに恐怖に悲鳴を上げていた。まるで呻きを上げる龍だけが、その心を映しているようでもあった。

　これが…………「神の裁き」
　そこにいた民衆の全てが、その真実を始めて知った。こんなにも暖かい慈悲に包まれている事を…………。少女は父親の腕の中で震えていたが、もう…………何も怖くない気がしていた。
「もう…………いいの。もう少ししたら、覚醒して皆を殺してしまう。」

　父さんでさえも…………
　もうこれ以上…………
　大事なものを失わない為に…………

　少女はザインに心と言葉でそう言った。少女は父親の包む腕を優しく解き、ザインの方へと歩み寄る。ザインを包んでいた龍が…………近づいてきた少女をそっと包んだ。少女はその龍の暖かい温もりに抱かれながら言った。
「私も…………覚醒したら、こんな力を持てたかしら…………。」
　ザインは優しく…………どこか物悲しい笑みを浮かべ、何も言わなかった。少女は神に祈るように、両手を組んで…………どこか懐かしい光に包まれていくのを感じていた。ザインの心に、少女の言葉と想いがシンクロして響いてきた。

「この日が来るのを待っていました。」
　…………あなたには…………この暖かい光が見えないのね…………
「生きなくてはいけないのですね…………貴方は…………」
　…………今なら見える…………
　生きることなんて、望んだことないけれど
「…………どうか…………」
　…………この力の本当の意味を…………
「…………どうか貴方にも…………」
　…………同胞よ…………
「神のご加護を…………」

　そして…………少女は包まれた龍の中…………砂のように消えた。龍だけが…………悲しみに哭くように行き場を無くし、その場に蠢いていた。
　ザインは任務を終え、正軍の元へ帰ろうとしていた。神童（Prodigy）として産まれ、戦い続けて生きる意味を考えながら……。数々の宛のない疑問は、けして答えを得る事などないとわかっていたのに。
　血を見るか……血を流すか……僕等のような異質な種さえ生まれなければ……平和という言葉の意味を知る事の出来た人達もいる……。何時まで続けなくていけないのだろう。生きたいという願いは、何処まで醜く強さだけをこの体に与えるのだろうか。この体が心を失うまで、この龍は己を喰らい尽くす気か……。僕には彼女が聞いた声など聞こえない。何時か……僕が死ぬ時にも聞く事が出来るだろうか。僕はその時、その声を聞ける程の自我を持っているのだろうか……。

　そこまで考えた時だった。ザインは自分の背後に隠れていた殺意に気がついた。ザインにはわかる……殺意の中にある悲しみ……それは……Prodigy特有のものだ。ザインは素早く地面に片膝をつき、背にある長剣に手を伸ばし言った。
「自分から狩られにくるとは、いい度胸だな……Prodigy……。」
　ザインの後ろには上下両端が鎌になっている武器を持つ、肩程にまで伸びた柔らかそうな髪を揺らせる男が立っていた。右目には眼帯がある。ザインはその眼帯を見るなり、相手が自分と同じ戦う者だという事を悟った。その男は言った。
「何時か狩られるくらいなら、殺りに行った方がマシだ。正軍の飼い犬と同じにされるとは侵害だな。」
　それを言い終えた瞬間、男の武器の鎌は月のように光り、ザイン目掛けて振り落とされた。
　鉄と鉄が軋み合う、ガラスを裂いたような甲高い音が響いた。ザインの長剣が男の武器に触れるであろう瞬間、男の持っていた武器は急速に回転し、大きなスクリューのように男を守った。ザインの持つ剣は男に触れる間もなく無残に弾き飛ばされる。長剣が弾かれると、ザインのか細い体も反動で弾かれ、顔の右側に縦に深い傷を負い血が流れた。ザインは顔に流れる血を腕で拭いながら、その男の持つガード能力が自分と同じ、チェーンガード（武器連動型防御）だと知る。ザインの顔から流れる血を見た男は嬉しそうにこう言った。
「どうだ……俺と同じ目になった気分は。」
　ザインの目は辛うじて瞬時に閉じたので視力は無事だったが、血が滲んで前がよく見えない。ザインの頭の中には、先程自分が殺した少女が最後に残した言葉が浮んでいた。
　けれど、ザインは迷いを消すかのように言う。
「痛かねぇよ、ちっとも！」
　そう……あの少女の心の痛みに比べれば……こんな傷、どうって事もない。ザインは赤く染まる視界を無視して、男目掛けて突っ込んでいった。その瞬間に、長剣から龍も呻き声を上げて男の方へと目掛けて行った。
「なっ、なんだ、このガードはっ！」
　男がそう叫んだのも無理がない。ザインの長剣から伸びた龍が男の武器に噛みつき、その回転を止めたのだ。男はその時、ザインが竜神使いのProdigyだと気づいた。ザインはゆっくりと……まるでもう、戦いが終わったかのように言った。
「安心しろ……そいつはガード。攻撃はしない。」
　しかしその言葉とは裏腹に、男の手にあった武器の枝の部分を龍が噛み砕いた。そう……主に危害を加えるものをこの龍は排除している。ガードは本来身を守る術でしかない。しかし、この竜神は主そのものを全てから守る術を持っている。男はProdigyとして、ザインとのガード能力が桁違いな事に気づく。Prodigyの能力は様々ではあったが、この一つの武器で防御と攻撃を発動出来るチェーンガードには、ガード発動時には主を守るが、その間は全く攻撃が出来ないという弱点がある。男は同じタイプの武器でこんな異常な戦闘を初めて体感したのだ。ザインは頬に伝う血を手で弄ぶように撫でてこう言った。
「しかし、Prodigyの戦いで、攻撃は無力。ガードを解かれた者……それはすなわち……死を意味する……。」
　チェーンガードのリスクは、武器を破壊されると同時に、攻撃もおろか、ガードも出来ない事だ。男はそのザインの言葉に……自分の死を覚悟した。
　男は諦めたのか、折れた己の武器を杖に、地に片膝を立てるように滑り落ちた。
　そして、小さな微笑を含ませこう言った。
「死を覚悟せずに……戦いを挑んだりはしない。只……只よぉ……どうしてこうも……俺等は生きる事が下手かねぇ……同胞よ。」
　男の目は悲しみを湛えているようでもあった。
　男の心の声がザインにも聞こえた。ザインはこの男の言葉で、この男もまた自分と同じ様に、好きで戦っているのではないのだと知る。
　男の戦う理由はただ一つ。戦わなければ生きる事すら出来ない宿命にあるからだ。この男だけではない……きっと、この世界に生きるほとんどの人は、戦う意味を知らずに血を流す事しか出来ない。

　神は何の為に……俺達（Prodigy）を産んだのだろう……それが……俺達の産まれてきた意味か？
　……そう問う暇もなく戦いに明け暮れた。そんなの考える暇もなかった。俺達の半数は自殺する。でも……俺は我武者羅に生きてきた。
　だから……もういいのかも知れない。
　やっと……終われる……

　ザインはその男の心の声を聞きながら、男に背を向けて男の方を振り向くわけでもなく、空を見上げて言った。
「お前さぁ……死ぬなよ。あんなにさっきまで生きようと頑張ってたじゃん。俺、任務終えた。だから……だから、お前を殺す意味……ねぇと思う。」
　男の耳に響いたザインの声は、さっきまでの戦いとは別人のように、無邪気な少年のような声だった。そしてザインは少しだけ振り向き、男の方に目をむけこう言った。
「お前さぁ……革命って……信じる？」
　男の見たザインの口元は、まるで小さな少年が、これから悪戯でもするかのような、笑みに歪んでいた。男はザインという一人のProdigyが神童なのか、悪魔の子なのかわかる術もなかった。
　けれどザインは自分のように迷いながら戦い生きている。それはわかる。そして……何かを変えようと、迷い戦っていたのだと……。

　それがザインの……戦いだ。

　長い廊下を過ぎ、ザインは軍の兵士達が見守る中、将軍の前に敬意を表するかの如く、
　深々と片膝をつき、片手を胸に当て報告した。
「ご苦労だった……下がってよい。」
　まるで王座かのように荘厳たる椅子で、将軍は足を組み、ザインをあしらうように手で軽く払ってそう言った。将軍はザインがまだ死なない事が気に食わないのだろうと、Dr.は心に思った。隣にいた兵士がザインを睨みつけるように見ながらこう言った。
「……Justice（正義）の名を語る魔物だ……。」
　じゃあ、お前は正義なのかと、思わず聞き返したくはなったが、Dr.はあえて何も言わず医務室へと戻った。正軍にいるProdigyこそが神に選ばれし者だと思い込んで驕っている奴に、何を言っても無意味だと思ったのだろう。
　ふちのない眼鏡を外し、ほっと溜息を漏らすと医務室のドアをノックする音が聞こえ、慌ててDr.は眼鏡を掛け直す。
「どうぞ。」
　静かにドアが開き、その向こうにはザインの姿があった。ザインは無言のままに診察用の小さな丸椅子に腰掛ける。軍の誰もが恐れ嫌うザインだったがDr.はそんな事を気にした事など一度もなかった。彼にとっては誰でも怪我をした患者は平等だったし、ザインがどことなく遠い昔……まだDr.が子供の頃、いつも助けてくれた兄に面影が似ているからだ。何時も兄には自分が助けられていた。だから兄はよく傷だらけになった。遠い記憶を振り返ってみても、兄が自分を守ってくれた後姿が何時もあった。
　だから……兄に似ているザインの傷を治療できるのは、恩返しのようで嫌いじゃない。あまり多くを口にしない……そんな所もよく似ている……。
　そう思いながらも多分、もう治らないであろう、顔の右側についた傷を消毒する。無表情なザインの左目がぴくりと動いた。きっと傷にしみたのだろう。やはり鬼神と言えども、生きる者。痛みは誰にでも平等にあるのだ。
「終わりましたよ。」
　そう言ったDr.の口元は包帯で隠されていてわからないが、目は優しかった。Dr.はザインの部屋を出ようとする後ろ姿に小さくこう言った。
「治らないとわかっている傷ならば……治療しない方が痛まない……そうは思いませんか……。」
　ザインにその小さな言葉が聞こえたのか、聞こえなかったのか知る事は出来なかったが、ザインはドアの前で立ち止まり、Dr.に背を向けたまま顔だけちらりと振り向くとこう言った。
「……それはお前も同じ事だろう……。」
　そう、静かに言って医務室を去った。Dr.はこの時、自分の体中にある古い傷の事をザインが悟っている事を知った。驚きにも似た怯えのような感覚を受ける。けれど、その感覚を認めたくはなかったのか、気のせいだと自分に思い込ませようとしていた。
　……だからなんだ。医者のくせに体中包帯で隠していれば、誰でも火傷か何かの傷だと思うのが当然だ。きっとザインがこの傷の事を知っていると勘違いしたのは、己が傷の事を気にしていたからに違いない。もっと干渉につけこまれないように強い精神力が必要だな。そうは思ってみたものの……ザインの言葉に何故かショックを感じずにはいられなかった。
　兄に似ているザインが言ったからか？もしかしたら……本当に兄だったらなんて……そんな下らない期待を持ってしまったからか？
　けれど、何度考えようとも、兄は幼い日に出て行ったきり、それ以外は何も知らなかった。
　それにザインは過去を話すような奴でもなさそうだ……。考えても何も答えを得る術などなかった。
　ザインは何時も悪魔のように心無い表情で人を見下すように冷たく笑い、悪魔のように真実を見透かしている。それでいて、他人には一切干渉させなかったし、弱点どころか全てをベールに覆い隠している。何か深い事情があってそうなったのか。それとも元より邪悪な人物なのか……。心の闇より外傷の方が軽いのかも知れない。

　ザインが廊下を出ると、将軍が待ち構えるように其処に居た。
　ザインは何時と変わらぬ無表情で冷酷な目つきで出迎える。将軍は何時もの事でもあったからか、そんな彼に気を留める事もなく、ザインの横を何も無かったかのように通り過ぎるかに思えた。けれど、ザインは嫌な予感を感じていた。何時も将軍はザインに命令を下す時、素っ気無い仕草で命令だけをさらりと言い残すのだ。ザイン自身も、将軍に嫌われている事は承知の上だった事もあり、こんなやり取りは珍しくはない。
「次は……名だけの楽園に行け。」
　やはりザインの横を通り過ぎる瞬間に、将軍はザインの耳元でそう言った。ザインは立ち止まったまま、振り向く事もなく将軍に返した。
「わかった。」
　と、一言だけ……。ザインはそのまま自室へと戻った。部屋とは言いがたい、コンクリートの壁に、小さな鉄柵のついた窓……簡素なベッドの置かれた牢獄のようなものだった。ザインは正軍の証でもある白いコートをベッドの上に脱ぎ捨て、自分もベッドに腰掛けた。
　”名ばかりの楽園”それは、Arcadiaの地を意味する。Arcadia（アルカディア）の意味は理想郷だが、その地は今……廃墟そのものだった。昔あるProdigyが覚醒した時、その小さな村は壊滅したと言われている。しかし、その後……そのProdigyがどうなったか、村の者も全滅したので誰も知るよしもなかった。それ以来、そのProdigyでも稀な巨大な力を人々はマザーコア（母なる核）に住まう、Prodigyの生みの親の仕業だと考えた。そしてArcadiaは、初めのProdigyが産まれた地として、Prodigyにとっては「聖なる地」だが、人々は「名だけの楽園」と呼び、恐れて近づく事もなかった。今となってはただの言い伝えられた嘘か真かも分からない伝説の一つでしかない。
　あそこならば誰も近づこうとはしない。Prodigyが隠れるのならば、うってつけの場所だ。何でもない……何時もと変わらない、狩りをするだけだ。けれど、ザインの心の中には、違う不安が立ちこめていた。その地に何度行こうとした事か……。ザインは一度はその地をProdigyとして見ておきたかったと思っていた。Prodigyが産まれた起源を知りたかったのもある。知ったところで何か考えがある訳ではなかったが、自分がずっと宛もなく問い続けた答えが其処にあるようにも思っていた。
　けれど、行こうとする度にザインの頭にはある声が聞こえてきて、ザインはその声に阻まれるかのようにその地を踏まずに此処まで来たのだ。
“行ってはいけない……行っては駄目”
　そんな声が……脳裏に焼きついてならなかった。
　しかし、命令に逆らえば今度は自分が追われる身……そんな事を考えている暇はない。たかが見知らぬ声ぐらいで足を拒んではいられないのだ。何を恐れる事がある……馬鹿らしい。
　そうは思ってみるものの、ザインの決意とは裏腹に、体中の血がそれを止めようとする。何時も見る幻覚が……またザインの頭をよぎった。

　大量の破壊されたマネキンだ。マネキンなのに血があふれ出ている。どこもかしこも血の海だ。一番ザインの足元の近くにあるマネキンがこう言う。
「来ないで……なんて……なんて……恐ろしい子。」
　ザインにとってのArcadiaはマネキンの楽園そのものだった。しつこいぐらいにマネキンは、ザインの頭の中で蠢いては繰り返す。
“行ってはいけない……来てはいけない……
　育ての母の事も何もかも忘れてしまっていたザインだが、この感覚に襲われる度に、そのマネキンが母の嘆きのようにも感じられた。ザインは脳裏に焼きつくマネキンの声を振り払うようにベッドの上で俯きながら、憎しみに満ちた声でこう小さく言った。
「……ガタガタ……うるせぇんだよ……。」
　牢屋のようなザインの部屋の中は、小さな窓から零れ落ちた一筋の月の光が差していた。
　皆マネキンになっちまえ……。
　ザインは心の中で、今まで殺してきた命の罪の意識から逃れるようにそう、強く思った。
　真っ赤な月が、部屋一杯にザインのその心を映し照らし出す。

　月を見上げれば　何時も理由なく悲しくなった。それは僕らの立つ地が、数々の命の消滅の上に成り立っているからかも知れない。
　あの丸い月が、母体の中で安らかに眠っていたあの感覚に戻していく。子供のように純粋なままの心になった僕は、今という時間に涙した。
　優しくなればなる程、胸が焦げ落ちるように締め付けられる。優しくなればなる程、この世界の痛みが鮮明に感じられるからだ。
　辛さを知って優しくなれるのは、きっと同情なんかからじゃない。痛みを知り、それを恐れる子供になるからだ。正軍の飼い犬になって意味もなく殺し続ければ恐れる暇もない。……この世界の悲しみから、少しだけ解放される。
　ザインは思う。あの月はザイン自身を映す鏡なのだと……。そして鏡の月に反射した優しさは、この世界では悲しみに映り、傷つき醜く成り果てた体全体を晒すように包んでくれるだろう。だからこそ、生きられる……こんな場所で……こんな自分でも。
　人はきっと、知らない間にその何かの力に気づくのだろう。憎しみは憎しみしか産まない。優しさは優しさを創造する。だからこそ余計に優しさが悲しみに見える。僕らは……今、どんな形であろうとも、確かに生きている事を肌で感じている筈なんだ。
　僕は己がひたすら強くなりたいと願っているのだと、ずっと勘違いしていた。悲しみに呑まれないように必死になっている自分の姿が許せない時もあった。
　何故、僕は戦うのだろう。この世界の何を其処まで憎んでしまったのだろう……そう思っていた。
　でも……本当は違った。僕はこの地の悲しみを感じたんだ。でも現実は、それに捕らわれて泣いている時間などない。だから、自分でも無理して強がっているのだと思っていたが、その悲しみを終わらせたかっただけだ。
　この小さな窓から希望を探すように月を見上げては感じていた。消えた命の多さを見上げて僕が悲しくなったのは、けして生きていた者の執念でも憎しみでもない。
　何故……途切れる事がないのか……。
　その偉大とも言える漠然とした永遠の苦悩だった。
　人は何処かで強さを示し、誰かに自分という存在を知ってもらう事で安らぎを得る。しかし、時にその為ならばどんな手段も厭わないようになってしまう事もある。犠牲の上に成り立った存在証明は、満足感を得る事も無く……永遠の空腹感を作ってしまうものだ。
　月が泣いているように思えた。……この声が……何故にこんなにも届かないのか……そう、嘆いた日もある。
　優しい光に照らされて、僕は母体に戻り同じ苦しみを聞いていた。子守唄は……何時だって、温かい涙を流す母の唄だった。

　解き放てばいい……悲しみを知り、弱さを知った心を。
　泣いてばかりでは、優しいだけではきっとこの悲しみは終らない。恐怖を駆り立てに行こう。己が逃げて来た……悲しみを受け止める為に。例え月に映すこの憎しみに似た悲しみが、何時か反射してこの身に戻って来ようとも。
　母よ……この血に塗れた姿が見えますか？
無力な僕はこんな事でしか、生きる事も……貴方を愛する事も示せない。どうか貴方だけは……こんな姿を見て泣かないで下さい。
　今だけは……僕を見捨てて下さい。

　何時か……本当の安らぎの中で、眠りにつける日まで。

　例え悪に心を鬼にしてしまっても……僕は貴方が産み出したこの悲しい地で生きている。こんなに月が真っ赤で美しい日に、僕はもう……迷いはしない。
　今日で、最初で最後の決意。血の様に真っ赤に流れる涙は、貴方だけに贈ろう。何故だか恐怖も何も感じない。生まれ変わるんだ……この真っ赤な月の下で。

　我が命……その月に捧げよう。

　ザインの先程までの言動とは裏腹に、その表情は微かに優しい笑みを浮かべるが、頬を伝う涙だけが月明かりに赤く映っていた。
　そしてザインは突如表情を変え、まるで月を喰らい尽くす獣のように決意に満ちた視線を月に投げる。長剣を出し、小さな窓から入る一筋の光にそれを掲げた。そして掲げられた剣先はザイン自身の首元へと向きを変える。
「神よ……我、死に様見届けるがいいっ！」

　ザインがそんな事になっていようとも知らず、Dr.は記憶を辿って、兄の事を思い出していた。
「貴方がProdigyだったなんて……」
　Dr.の脳裏に母の悲痛な言葉が浮んでいた。幼い頃……外へはあまり出なかった。同い年ぐらいの子には”人殺し”と石を投げられた事もあった。僕は……誰も殺してないのに……何時もそう思って泣いてばかりだった。Prodigyではない兄を……どんなに羨ましく思った事か……。
　けれど、兄は何時だって自分を守ってくれた。
　だからこそ、兄を羨む事はあってもそれを妬みや憎しみに変える事も無かった。
　街の大人達が僕を何度も殺しに来た時も、身を呈して僕の前に兄は立ちはだかった。兄は人間だったから殺されはしない……だから兄は僕の盾になってくれた。Prodigyでもなかった兄が其処までして守ろうとしてくれた姿は、神の子や大人達よりも何倍も強く大きく見えた。
　本当はそんなに強くもなくて体が弱かった筈なのに、きっとそれは兄の信念の大きさだったのだろう。
「なんだ、お前！邪魔する気かっ！」
　大勢の大人がまだ子供の兄の前に立ちはだかる。
「構うな！殺されるよりマシだっ！」
　そう言って、一人の大人が兄を払おうと、鎌を振り落とした。兄はその時、怪我をした。
「その子は違うわ！Prodigyじゃないのよ、やめてっ！」
　母がそう言って兄を抱きしめると、
「何時か殺してやるからなっ！」
　と言って、大人達は僕を睨みつけて一時退散してくれた。
　母は何時も無茶をする兄を守った……けれど、僕を守ってはくれた事は一度だってない。けれど、それでも生きていけると思った。兄だけが……何時も怪我を増やしながら、僕を守ってくれていたから。
　あの頃は……僕も下手な治療しかしてあげられなくて……下手に巻いた包帯は、何時だってほつれそうだった。僕は泣きそうな顔で、下手な治療をすると、兄は何時もこう言った。
「心配すんな。」
　そう言って……笑った。
　その笑顔に安心していたから、僕は何も疑わずに兄を信じていた。けれど、兄は僕に一つだけ隠していた事があった。
　兄もProdigyだったなんて……初めは信じられなかった。どうして？……あんなに優しく笑う兄なのに。母からしたら、僕はもしかしたら兄を隠す為の囮だったのかも知れない。僕がProdigyとして死ねば、兄だけは上手く逃げて助かったのかも知れなかったのだから。今思えば、だからこそ母は兄だけを庇い、僕を守ってはくれなかったのだろう。
　……でも
　……それでも、少しだけ嬉しかった気もする。
　だから、兄を責める気にはなれなかった。ずっと自分だけがProdigyだって思っていたから、同じで良かったと……安堵した。兄はその秘密を僕にこっそり教えた後、僕の手を取って人気の少ない森へ連れて行ってくれた。兄はガード能力を持っていなかった。だからバレずに済んだのだと言った。Prodigyは産まれた時からガード能力だけは持っているのが普通だったから、どうしてかと疑問に思った事もある。
　けれど、僕らはProdigyというだけで既に異質な存在なんだ。だから……深く考える事もなかった。
「大丈夫。……このまま騙せれば、お前を守れる。お前がもう少し大きくなって覚醒の日が近くなったら、この街を出よう。」
　そう言った。僕は安心して兄の手をとり家路についた。

　けれど……その安心は、束の間だった。帰ってきた僕等が目にしたものは……亡き母の姿だった。
「母さん！」
　兄が母の元へ駆け寄った時、また街の大人達が勝手に入ってきて、
「お前もProdigyだったんだな。Prodigyを二人も産むなんて！魔女だ……こうなって当たり前だっ！」
　と、言った。きっと僕等の会話を誰かが聞いていたんだ。僕は母が死んでくれた事で安堵してしまったのかも知れない。だからこそ、兄とは違って母の亡骸に近づく事さえしなかった。血まみれの母の亡骸を抱き、その言葉を背に聞いていた兄は、静かに立ちあがった。
　立ちあがった兄の手には無数の龍が蠢き……大剣が出現した。兄は……その時覚醒した。龍の力は小さな僕の生まれた町を呑み尽した。僕だけを残して……。何度か僕の前にも龍が襲っては来たが、龍が僕の体に当たっても触れた感覚がなかった。何故か僕の体だけを何もなかったようにすり抜けたのだ。僕だけが、違う世界にいるのか、時が止まってしまっているようだった。辺りは血の海と化し……兄は手にした長剣で、僕にもその矛先を向けようともした。けれど……兄は僕を殺さず……逃げるようにそのまま姿を消した。
　その地は……Arcadia。僕だけが知っている……Arcadiaの伝説の真実。あれからどれ程、兄を探し続けただろうか。医師になる勉強をしながら逃げ回った。けれど、誰も殺しはしなかった。
　逃げて逃げて……最後に辿りついたのは、正軍だった。ここなら……兄に会えるかも知れない。
　医務室にいれば人も殺さないで済みそうだ。僕は自ら……正軍に寝返った。
「ザインは今度、Arcadiaに行くらしいぜ。つい最近任務から戻って来たばかりなのに、もう次だってよ。あいつも無愛想面してないで、他の奴らみたいに将軍に媚びを売れば良いものを……。案外本当に戦いが好きなのかもな。とんだ鬼神様だよ。」
　丁度、診察にきた一人の兵士がそう告げた。
　Arcadiaと言う言葉を聞いた時、妙に何か……嫌な予感がしたんだ。僕は……ザインの部屋へ足を運んだ。きっと何時もの無口だろうけれど、傷の具合を見に来たとでも言えば口実になる。ザインの部屋の前に辿りつくと嫌な予感が焦らせたのか、僕はノックする事も忘れて建付けが悪く、軋む音を立てるドアを開けた。
　そこには……信じられない光景があった。
　懐かしくも恐ろしい……記憶によく似た光景……。
　ザインがザイン自身に剣を向けている事など、どうでも良かった。驚きはしたが、その壮絶なる光景に思わず息を呑む。それはその姿が鬼神と言うよりもまるで神そのもののようにも見えたからだ。月の光を受け、それを死に変えてでもその自らの器で受け止めようとしているようにも見える。幻想的で圧倒的な光景だった。まるで今にも月を突き刺してしまうかと思える程だった。
　……僕は、この時、神の力を見たんだ。長剣から放たれた龍は自らザインを守り……自害しようとするのを食い止めた。あの龍……昔見たものと同じ……。
　僕はこの時知った。ザインが僕の兄であり、そして……ガード能力を備えて産まれて来なかった理由を……。そして……彼が今まで、どんな戦いからも帰ってきた真相も。……それに、何故……僕だけを殺さなかったのかも……。

「なんで……だよ。」
　ザインは一筋の光の中崩れ落ちた。そして……
「何で、今ごろ救うんだよっ！」
　そう叫んだ。床についたザインの手に、一粒の涙が落ちていた。真っ赤な……血のような涙だった。
　ザインの俯いた泣き顔をDr.はゆっくり持ち上げ、こう言った。
「やっぱり……ね。貴方は……死ねない……。」
　と。ザインは憎しみにも似た目をDr.に向け、持ち上げられた顔を逸らす。自害しようとした事を知られた事を痴態だと思ったのか……それとも、邪魔だと言いたいのか……。そして何時ものような無愛想な声で、
「出ていけ。」
　そう言って長剣をしまい、立ちあがり背を向けた。Dr.はその言葉に立ち去るどころか、こう言った。
「私と同じだ。Arcadiaで産まれし、初めのProdigyだ。」
　ザインはその言葉に思わず振り返る。
「何を……言っている。」
　静かに……問いただした。するとDr.はおもむろに右手を顔の辺りにまで上げた。その手から出てきたのは半透明の地球の映像だった。ザインにゆっくり話を聞いてくれと言ったところで、彼はそれを承諾する筈もなければ、話を聞いたとしても信じてはくれないだろう。だからこそ、Dr.はその球体を見せながら話をした方が良さそうだと判断したのだ。
　よく見るとDr.が手にしている地球の中心に赤い光が見える。
「これは……地球の核（コア）となる、Prodigyのマザーコア（生みの親）の住んでいた地。しかし、数年前……我等が神（母）は、地球（コア）を捨て空へと昇り、僕等をこのエデン（地球）に産んだ。それ故に……僕達は地に落ちた種、「悪魔の種」と呼ばれた。そして貴方が……はじめてエデン（地球に）堕ちた、Prodigyの生まれ変わりだ。僕等の母は大いなる大地の神……マザーコアそのものだ。」
　今更、Prodigyの歴史なんかを知ったところで、何が変わるって言うのだ。そう思ったザインは冷めきった口調でDr.に言った。
「だったら何だ。」
　ザインの冷たい言葉に、Dr.は何の躊躇も見せずそれどころか、それを楽しんでいるかのように、一つ大きな溜息をやれやれと言わんばかりに吐いてこう続けた。
「さっきも言ったでしょう。僕もProdigyだ。……つまり……君は、僕の兄だ。」
　ザインはその言葉にふいをつかれたのか、少年のようにきょとんとした目で疑いを露わにしてこう言った。
「はぁ？……証拠は？」
　Dr.はいかにも、ザインが自分を馬鹿扱いしているのが伝わり、ショックを感じたが、今は理解してもらわなければと、落ち着きを取り戻し、
「その龍を纏う剣……それでは、この俺を切れない。」
　と言う。ザインは、ああそうかと言ってDr.を切って試そうかとも思ったが、Dr.の唐突な馬鹿話に付き合っていられるかと、
「偶然だろ。」
　そう言って、如何にもDr.を見下した視線で見るとそう返した。そして、いい加減この茶番劇に苛立ちを感じてきたザインは、
「他にもProdigyは沢山いるだろ。俺はこの剣を拾っただけだ。この剣の本当の持ち主がお前の兄であるProdigyかも知れないだろ。」
　そう言って、兎に角Dr.をあしらおうとする。
　けれど、Dr.はこんな事を言う。
「貴方はArcadiaで産まれた。俺はずっとあんたを探していた。……俺は知っている。貴方が産まれた（覚醒）した真実を。」
　ザインの心の中にあったマネキンの楽園でしかないArcadiaの記憶。自分の覚醒した時の事すら覚えていない。この剣の事だって……本当は気がついたら手にしていた。
　何も知らない……俺は……自分の過去なんて……興味ない……ザインはそう思うと、苛立ちを更に深めて、
「下らねぇ……。」
　そう言っただけだった。
　Dr.はザインにProdigy特有の心を読む力を利用して、ザインに話し掛け、映像を見せる。

　僕は見た。貴方という鬼神の産まれた瞬間を……幼い鬼神は神の剣を手に入れ、そこにいた全てを壊し尽くした……

　その心の言葉と共に、ザインの幼き覚醒した時の姿が映像としてザインの脳裏に入り込む。

　無数のマネキン……ゴルゴタの丘……

　ザインの見た幻覚そのものだった。そして……Dr.の悲しそうな心の声が呟いた。

　この僕……以外は……

　そして小さく言った。
「その剣が……君を守った。……主人である証だ。」
　と。Dr.の心の中にはザインが覚醒した時の惨劇の過去が蘇っていた。

「止めてよ……お兄ちゃん。……神様……どうか……お兄ちゃんを止めて。」
　小さい頃の自分がそう言って泣いていた。
　兄はまるで鬼神のように……荒れ狂う悲しみに呑まれているようだった。泣くだけで何も出来なかった無力な自分をDr.は責めずにはいられなかった。何故、兄弟なのに兄を止める事が出来なかったのかと。
　何時か……幼い頃に何時ものように母に虐待を受けた時、こんな世界……無くなってしまえばいい。そう、心底思った。けれどそれが現実になった時、自分がそんな事を願ってしまったからだと思った。だって……ザインが覚醒したあの日……周りが血の海になっても、死体がどれ程降ってこようとも何も感じなかった。
　怖かったのは……兄が自分の知らない何かになってしまったようだったから。……それだけだった。そう感じた時、既に感づいていたのかも知れない。兄が……姿を消す事を……。ずっと兄が消えてからDr.は考えていた。
　兄は本当は、僕を助けて守ってくれていたのではないのかも知れない。単に母に可愛がられて自分だけが生き残る為の茶番だったのかも知れない。そんな事、考えたくもないし兄を信じていたかった。……しかし、例え殺せなかったにしろ兄はこの僕でさえも……殺そうと剣を向けていた。

「貴方ははじめてこの地に降り立った、Prodigyのオリジナル。その剣のガードが解けるのも、オリジナル直系の血を引くProdigy……つまり、僕だけだ。……だから……貴方は僕だけを……殺さなかった。」
　否……殺せなかっただけかもしれない。そう心で思いながらも、Dr.は何処となく悲しみを込めた口調でそう言った。
　けれどザインは冷酷さを纏い強い目でこう答える。
「じゃあ……人違いだ。俺の母親は……俺が殺した。」
　Dr.はそんな殺意にも似たザインの目を見てもなおも話を続けた。ずっと……探し続けた人を前に、今ごろ何を屈する事があろうか……。どうしても確かめたかった真実が、今わかろうとしているのに。
「Prodigyの魂は体をもたない。貴方が殺したのは、物質的な体を得る為の殻（シオル）だ。」
　Dr.の必死の説明ですら、この冷酷な鬼神の前では無力なのだろうか。ザインは、
「下らねぇ……。」
　そう再び悪態をつくと、
「お前が出て行かないなら、俺が出て行く。」
　そう言い放って、その場を去ろうとした。
　ここで、折角出会えたのに！Dr.は何時もの平静で穏やかな声とは変わり、まるで懇願するかのように言った。
「待てよっ！……俺はずっと探していたんだぞ。Arcadiaを前に自害しようとしたのは、思い出すのが怖いからだろっ……兄貴っ！」
　その言葉に、部屋を出ようとしていたザインの足取りがぴくりと止まった。そして次の瞬間、ザインの長剣は抜かれDr.を押し倒しその首元へと当てられた。
　全てを見透かすような冷酷な目……
　昔、全てを切り裂いたあの鬼神がDr.の目の前に再び現れた。
「邪魔なんだよっ！」
　ザインはDr.にそう言い放った。しかし、この窮地の中……Dr.は口元に笑みを含ませてこう行った。
「そんなに……」
　俺を……
「殺したい？殺せば良い……。あんたのガードも解かないし、俺もガードをしない。……その為に、生きて来たんだ。真実を知る為に！」
　そして、おもむろに口元に巻いてあった包帯を解いた。Dr.の口元には傷なんかなかった。
　昔……兄が自分を守った時に治す事の出来なかった傷への償いだった。体中にあるのは、母が僕を嫌ってつけたものだったり、石を投げつけられた時に残ってしまったものだけど……。
　Dr.の悲しい心がザインにも聞こえる……否、見える。

　教えてくれ……何が正しい？
　何故、誰も愛してくれないの？

　そう問い続けた、Dr.の幼き日の迷いが。
　Dr.の心の声はやがて映像を帯びてザインの心に伝わってくる。Dr.はザインに見せようとしているのではない。そのあまりの悲しく強い想いにそれがザインにも見えてしまうのだ。その景色は……幼いザインとDr.が手を繋いで森の中へ行く後ろ姿だった。Dr.が母親から虐待された後に限って、ザインは何時も幼いDr.の手を取って母から逃げるように森に出かけた。
　その時だけはDr.は安心して、この世界の柵から解放された。帰らなくてはいけない頃になると、何時も兄のザインはこうDr.に言った。
「大丈夫だ。何時だって守ってやるから。」
　そう言って笑った。Dr.が何時までも信じていたいと願う景色がそこにはあった。

　もう……笑ってくれないの？
　……兄ちゃん……

　Dr.の目からは一筋の涙が見えた。
　ザインは曖昧だった記憶の中に……大事なものを見出した。あんなにも守ろうとしていた弟を、今自分の手で殺そうとしている。剣を持つ手が、自然にカタカタと震えた。何故忘れてしまたのかと自分を責める気持ちでいっぱいだった。戦ううちに……大事なものさえも忘れてしまっていたのだ。何時も母親の暴力から守ってやれなかった弟を、ザインは悔いていた。森に行くと、自分の無力さが妙に大きく感じた。……けれど、家に帰る前に言った言葉は本心からだ。Prodigyを憎む誰かからも、母親からも……弟を守れるだけの力が欲しかった。
　生きる為だけに強くなりたかったんじゃない。
　変えたくて……強くなりたかったんだ。

　Dr.が何も変化がなかった事に、静かに目を開けると、子供の頃と変わらなく微笑むザインの後姿があった。そしてザインは、
「やめた。……お前……弱そうだ。」
Dr.は微動だにせず、ザインの後姿を見る事しか出来ない。何故、ザインの気が変わったのか、無意識の景色を見せた事を自分でも気付かなかったDr.はわからずにいた。けれどその表情に、鬼神と言われたザインの心に、子供の頃と変わらない何かがまだ残っていると確信出来た。
「兄弟だとは……認めてねぇぞ。」
　ザインの言葉に、Dr.は呆然とする思考の中で言った。
「……どうしたら……。」
　その問いに、
「死を望まない程の……強さを持て。」
　そう、ザインは答えて部屋を去った。
　ザインはこの時誓った。
　守りたい者がいた。
　そしてこれからも守らなくてはいけない者がいる。
　だから……正義に立てつく反逆者となろう……。
　今を……変える為に………………。

🔸次の↓prodigy 第二章へ↓（此処からお急ぎ引っ越しの為、校正後日ゆっくりにつき、⚠️誤字脱字オンパレード注意報発令中ですが、この著者読み返さないで筆走らす癖が御座います。気の所為だと思って、面白い間違いなら笑って過ぎて下さい。皆んなそうします。そう言う微笑ましさで出来ている物語で御座います^ ^）