親子問題、一歩前進(再び絶縁)
久しぶりの投稿です。
8月末に右足中指を骨折。小さな骨なのにまともに歩けなくなり、しばらく必要最低限の日常を送ることで精一杯に。創作や執筆の頻度も落ちていました。
今日は12月29日。明後日は大晦日。明々後日は元旦。
そんなタイミングで親子問題をテーマにしてしまいましたが、
「2023年のまとめ!」と明るく行く前に、どうしてもここには触れておきたく、書いておくこととしました。
久々の辛い出来事で、一時期メンタル不安定でしたが、最近は「あってよかった出来事」と思えています。まだまだ思い出し怒りはあるけれど。
1.こんなことがありました
昨年の4月にこんなnoteを書きました。
この時は数年間の絶縁を経て、交流が再開したころでした。
しかし、今年の9月末、再び絶縁することに。
1年近く両親と近い距離で交流してみて感じたこと。
両親は、
子や孫は、自分たちの思い通りであるべきと思っている。
子や孫は、「自分たちが喜ぶようなことをしてくれる」存在。
子や孫が本心ではどんなに辛くても、そんなことは自分たちには関係ない。
私が娘に抱く感情「ただ、ここにいてくれて、本当にありがとう」ではないのだと、痛感しました。
両親は昨年8月に弟との同居を解消。私には事前相談もなし。
それなのになんと、結構な近い距離に引っ越してきたのです!!!!!
黙って一方的に越してきて「今度からいつでも会えるわ~~」と母親。
父親は「今度の家を終の棲家にしようと思っている」とわざわざ。
嫌な予感的中。
色々あって、会う頻度も増え、至近距離での交流を約1年してみたけれど、
やっぱり父親も母親も、昔のままでした。
娘の私には自分たちの理解者であることを要求する。でも、私のことには関心がない。
私がどんなに辛い思いをしていても
「あなたが悪い」「努力が足りない」「世の中にはもっと辛い人がいる」
との言いぶり。
自分の中で決定的だったのは、私の娘(彼らにとっての孫)にも同じような接し方をはじめたこと。
実は私の娘は、現在療育に通う5歳児。
これまでの発達検査の結果や医師の見解からも、知的障害だと思われます。就学は特別支援学校にすべきといわれる水準です。発達は1歳9か月程度。娘との時間はとても幸せなものですが、正直タイトで辛く感じるときもあります。
(夫や両親など、「何がそんなに大変なの??」と、近しい大人からの無理解をぶつけられると、余計に辛く感じます)
そんな娘に対して、私の目の前で、母親はこんなことを言いました。
「〇〇ちゃん~、早くママのお手伝いができるようになってね」
「じいじが、○○ちゃんが俺のオムツを替えてくれるのかな、って言ってたよ~」と。
こいつ最低だ。昔と何にも変わっていない。そう思いました。
黙って越してきたのも、いずれ来る介護を期待して、少しずつ我が家に食い込んでいけばいい、そう算段してのことだったのでしょう。
私を利用したい目的があったから。とても悲しい気持ちになりました。
母親に娘の障害のことを伝えても、
「大丈夫よ!!!普通に追いつくから!!!しっかりしなさい!!!」と。
「普通においつく」って、療育や特別支援教育でもアウトな発想ですよね。
この子にはこの子のペースがあり、生き方がある。邪魔しないでくれ。
私自身、親として、子どもの障害を受容し、社会的にその道を歩ませると決めることは、本当に重い決断でした。夫のことも私が説得する場面が多かったし。
しかし、そんなことはお構いなしの母親。
仮に母親にとって、孫が重度知的障害者であっても、娘がどんなにタイトな日々を送っているかも一切関係ない。
「あんたはもう専業主婦なんだし、親の面倒を見る義務がある!!」って前提でものを言ってくる。
特に交流していた期間の後半は、本音を包み隠さなくなってきていたので、非常にしんどかったです。
思えば私の子ども時代、私は母親の感情の掃き溜めでした。
母親、保育士なんですけどね。母親が私にしてきたことは、心理的虐待ですよ。私に対して「昔のことをいつまでも怒ってる」と言いますが、親子関係でどのような心理状態になるのかわからないなんて。保育士なのにありえない。
母親は、保育士を「天職だわ」と言い全力投球、加えて趣味の歌も、結婚前にNHKのど自慢大会で1度だけ今週のチャンピオンになったことが忘れられず、その後も歌の大会に出まくっていました。私に話すのは自分のことばかり。私はうんうんと聞くしかない。「子供が親に合わせる」まさに機能不全家族でした。
大人になって交流した時も結局、「自分の生き方を最優先する」姿勢は変わっていませんでした。まぁそうか、とも思いました。子育てに向き合ってこなかったのだから。
2.改めて祖父母に感謝
私の心のスキマを埋め、支えてくれたのは、祖父母の存在でした。
いま毎日娘と近い距離で過ごしながら、祖父母が見ていた風景を眺めているような気持ちになります。こんな風に時間を掛け、手間をかけ、心を向けてくれていたんだなと。
ずっと祖父母に感謝してきたけれど、娘と生きる期間が長くなればなるほど、感謝の気持ちが大きくなっていきます。
直接、ひ孫を見せて「じいちゃん、ばあちゃん、本当にありがとう」と言えたらよかったのになと思います。せめて、じいちゃん、ばあちゃんが私にしてくれたことで記憶にあることは、娘にもしていきたい。例えば毎日の料理とか、好きなお菓子をそろえておくとか。一緒に五目並べして、私が負けて悔しがっているとハンデつけてくれたりとか(笑)。熱を出したときも黙ってそばにいてくれて、大好きな桃の缶詰を食べるのが楽しみの一つでした。
素朴な日常に幸せを感じる気持ちを育んでくれました。
(母親には熱を出したとき何度か「お前なんか死んでしまえ!」と言われました。朝の支度の風景の中で。5~6歳の記憶。当時は呆然とするだけだった私。いまはその記憶を「不安でたまらなかっただろうな」と思います。)
おそらく、健全な親子関係に育ったひとが抱く、親に対する思いというのは、私が祖父母に抱く感情なのだろうなと思います。
ところで、
9月末に親と交流を断ち、しばらくして自分を見つめなおす瞬間がありました。
なぜ、こんなことをしみじみ感じたかというと・・・
頻繁に連絡をよこすわりに、私の様子を心配しているわけでもなく、
「自分はいつも正しい」を押し付けてくる母親。マジしんどい。
数年前、最初の絶縁の時、アダルトチルドレン関連の本を読みながら、
私自身の「いまここ」の感覚を取り戻しつつありました。
上記の母親の言動に対して、強い嫌悪感を持てるところまでは心が成長していました。
でも、本当はもっと、その場で怒ってよかったのにね。
もし健全な親子関係なら、もっと軽い気持ちで「嫌だ」と言える。顔にも出せる。
まだまだ、私は心の瞬発力が足りないと思いました。引き続き意識して取り組みたいです。もっと、思ったことをすぐに言っていい。
そして、私が元々は「いまここ」の感覚を持つことができていたのは、
祖父母のおかげで、安心して、自然体で過ごすことができた時間があるからだと思います。これは私自身が親になり、強く実感しています。
じいちゃん、ばあちゃん、本当にありがとうね。
3.母娘関係に「女」を使うな!大嫌い!
ちなみに母親は私が本気で怒ると、電話もメールも無視。以前から。
母親は自分の言いたいことは一方的に強く行ってくるけれど、
私が反論すると一切受け付けない。実に勝手である。
その後、父親から遠回しに「もう許してやれ」的な連絡が来る。
ここが本っ当~~~に嫌!!!
母娘関係のコントロールに女使ってる感。ホント嫌。
なんで私と向き合って話せないのだろう。
当事者同士で向き合って話さなければ、信頼関係は育まれないのに。
子ども時代は「親の言うとおりにしなければ、金は出さない」を本気でやる人たちだったので、私は言うとおりにするしかなかった。
しかも両親は、そんな私を「いい子」だと思っていた。私が心の中で何を思っているかも知らずに。
親は、私が結婚したり、パワハラに遭ったりして、「私が変わってしまった」と思っている。いえいえ。表に出せなかっただけ。
私が圧倒的に弱い立場(子ども)だったときから、彼らはきちんと私に向き合って話し合う姿勢をもつべきだったのに。
人それぞれ状況は変わっていくのだから、相手を知ろうとする気持ち、話し合う姿勢は、本当に大切だと思います。つながり続けたいのであれば。
私の娘はいまも、言葉を話せません。言葉の理解もあまりありません。それでも、声色や表情で、娘の思いが伝わってきますから。
娘と過ごす日々の中で、私の親が、いかに私を見ていない・知る気が無い(孫のことも)かを改めて実感することとなりました。
彼らは、私や娘に対し「期待役割を全うしろ」と迫ってくるだけ。
会社での雇用関係みたいな家族関係だよ。
4.「親を許せない」そんな私を許したい
自分に娘が生まれ、特に乳児期の育児の大変さを経験したとき、
「親はほんとうは私を大切に思ってくれていたのではないか」
という感情が芽生えてきて、絶縁を続けていることが非常に辛く感じられた時期がありました。
この感情は半分は当たっていて、半分は外れていたと思います。
たしかに、両親は私を大切に育てたんだと思います。
でもそれは「子供は親の言うとおりにすべきだ」「親の思い通りになるべきだ」の前提付き。
ペットとしては大切にするけど、独立した人間としては認めない。
これこそが、私が感じてきた生きづらさだと思いました。
両親に対して、身体を安全に育ててくれたことについては感謝します。
でも、人間として心を育んでもらえた訳ではなかったことに、非常に怒りを感じます。許せないです。私の娘にもそれを仕向けてくるから尚更です。
「無理して許さなくていい。親を許せない自分を許そう。
許そうとしなくていい。関わらない。離れていよう。」
いまはそう思えています。
今後、また自分たちが困ったら、平気で連絡をしてくるであろう両親。弟も。しかるべきところに相談をしつつ、そんなことはさせないぜ。
…あと、夫はまともな親子関係に育ってきた人なので、
どうしてもすぐに「だって親子だし・・・」「普通の親子は・・・」
つまり「妻のmackyの生い立ちには共感できない」となってしまう。毒親や機能不全家族への関心も薄い。
一番近くにいるのに、正直これはかなりしんどい。
もう夫婦として15年。付き合ってから23年。
付き合っている頃から正直に、毒親問題、実家の倒産、肩代わりした借金のことも、夫には伝えていました。でもあまりピンと来ていない。
夫自身も、両親や弟からかなり失礼なことをされていますが、大して嫌悪感を持っていない。夫が私の実家との距離を近づけてしまうことも多い。
例えば、私は社会人になってからずっと、
何かと理由を付けてお盆休み・正月休みには帰省しませんでした。
私に対しては「お前はいいよな」「家事をしろ」「借金してこい」そんな話ばかり。あとは両親の自分たちの話ばかり。全く以て、心休まる実家では無かったので。夫と交際中の時点では、夫も私の選択を否定はしませんでした。
ところが結婚してから夫は態度を変えました。
「色々あっても、親は子を大切に思ってるんだから。親は大事にしないと」と頑な。私は後ろめたさもあり、結婚後は正月に一度は両親と会うことにしていました。すると、両親は夫を立て、私のことは利用すればいいという態度になっていきました。でも夫は「お前の実家のことだから」と。しんどかった。
ちなみに、親がこちらに越してきて、夫の意向の元直接交流せざるを得なくなった際に覚悟を決めた理由。それは娘の発達遅れにありました。
娘が1歳半の時にコロナ禍となり、児童館も閉鎖。公園も行きづらい。
娘の病院、また当時通っていた教室でも、
「お母さんの関わり方が足りない言葉が遅い」「今はかごの鳥。もっと人とかかわる機会を増やすべき」など、辛くなることをよく言われていました。
これ以上、どうしたらいいの、と。
だから、両親と交流することは、
娘に対して、私や夫以外の大人からの刺激を受ける機会にできる。
娘の発達に繋がるなら、ここは覚悟を決めよう。
そう思いました。
娘にとっては、例えばクリスマスや誕生日に多人数でのパーティーをして楽しい時間を過ごしてもらえた経験は、良かったんじゃないかなと思っています。そういう時期もあった、と。
ただ、この期間を通じて、夫は「ほら、やっぱりmackyは本音では親と仲良くしたいんだ」としか思っていなかったようで。
娘の発達遅れを「母親のせいだ」と言われ、思わされ、追い込まれていた心境は夫には分からないんだな、と思いました。
最近このことで喧嘩をし、少しは話が通じたかな?と思います。たぶん。
そんなこんなで、
当時は一切言い返せませんでしたが、会社での酷いパワハラで休職したことをきっかけに、自分の思考の癖・それを生んだ親子関係を一つ一つ見直し、現在に至ります。思ったことを、少しずつ、当人にすぐに言えるようになってきました。
いい加減「普通」をあきらめて、夫婦として腹くくれないものか。夫氏。
そんな悩み事も一方ではあります。
子供時代の辛い思い出だけでなく、
娘が生まれ、両親と大人同士として改めて向き合って交流してみて、
確信した違和感。これを今後に繋げていかなければ。
色々あってしんどかったけど、一歩前進。心が上向いている年の瀬です。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!!