![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/115538461/rectangle_large_type_2_5ab8bcd86748dfd0c63d0773bd476c2f.png?width=1200)
心配性は、ひとつの才能。
僕には、つい物事を悪い方向に考える癖がある。
ゲームで『HP最大で復活する』みたいなアイテムを拾っても、ろくに使えたことがない。「一度使ったらもう拾えないんじゃないか?」という心配があるからだ。
洗剤、調味料の類いは、在庫切れのことを考えて常にストックを買っておく。
彼女には、それがおかしく思えるらしい。
「なくなったら買いにいけばいいじゃん」とよく笑われる。
彼女はその言葉通り、なくなる度に薬局に足を運ぶし、料理は目分量だし、週末ベトナム一人旅に思いつきで行ったりするし、たぶん復活アイテムはそのステージが終わるころには、インベントリから消えている。
でも僕は、心配なものは心配なのだ。
今日は、笑われてばかりも癪なので、この癖の真の力を考えてみたいと思う。
外出の際、僕はいろいろなものを持って出かける。
財布や鍵はもちろん、ウェットなティッシュとそうでないティッシュ、ハンカチ、メモ帳やタブレット、できれば筆箱、お菓子、文庫本なんかも。
これだけ持っておけば、そのぶん心配がなくなるからだ。
例えば出先でいいアイデアが思いついたら、それを書き留めておいたり。
急に商店街でやきとりを買い食いして、ベタベタになった手を拭いたり。
天狗に攫われて、目が覚めたら山奥だった、というときにも、本があれば退屈はしない。
監禁されている際に、知的遊戯に興じたくなった場合も、紙とペンがあれば『ひとりマルバツゲーム』ができる。
その天狗の里で同じように連れ去られた子供に出会ったら、簡単な手品をして気を紛らわせてあげることもできる。
天狗の長のところに行ってそれを見せたり、お菓子を捧げたりすれば、珍しい人間だと重宝されるかもしれない。
寝床にティッシュを敷き詰めて、そこにいるように見せかけているうちに、天狗たちの目をかいくぐり、里を脱出できることもあるだろう。
しかし、書いていて思ったことがある。
これらの不測の事態はすべて、外出することに起因している。
ということは外出しなければ、アイデアを書き逃すこともないし、天狗に攫われる心配もないはず。
つまり、外出はダメ。
外出は悪。
この悟りの境地に至れるのは、僕たち心配性の人間だけなのだ。