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自販機の世界を考えると、noteを書きたくなった。

正直言って、なんで生きてるのかわからないときがある。

特に書店で、レジ打ちなんかをしているとき。

あまり言葉にしたくはないが、お客さんの中には、僕のことを人間ではないと思っている人がいるような気がする。

会計が終わって、僕は「ありがとうございます」と後礼。

何も言わずに商品を持ち去る相手。

「またご利用ください」できれば僕のいないときに。


こういうことがあるたびに、現実を思い知らされる。

「ああ、そうだった。お客さんにとっては、僕はただのレジ打ちマシーンなのだ」と。

本の在庫を探して持ってくる機能もある、最低賃金のレジ打ちマシーン。

言うなれば、そのへんの自販機と一緒だ。

自販機に「ありがとうございます」と言われたところで、何かを言い返さなくてはいけない道理などない。

そこにあるのは人間と人間の関係ではなく、硬貨と紙幣の行き来。機械と機械の契約。


するとどうだろう。この世の中のほとんどは自販機なのではないか、とすら思えてくる。

自販機たちが街をゆく。

自販機がエネルギーを確保するために、早くて安上がりな食品が流行る。

自販機が電車を決められた時間に動かし、それを利用するのはもちろん自販機たちだ。

それに乗って自販機たちが向かうのは、自分の職場だ。

自販機たちが働く。

しかしそこで行われる職務は、誰でもできるようにマニュアル化され、単純化されているので、特定の自販機でなくてはいけない、ということはない。

自販機たちは、もちろん機械なので、黙って長く働けば働くほどよい。と評価されるが、自身が販売する缶ジュース以上のお金は貰えない。当然。

もちろん、意志などは必要なく、仕事内容に不満をいう自販機などは不良品として処分される。

自販機の世界とは、そういうものだ。


僕はそんな世界を想像しただけで、うんざりする。

それでも「ありがとうございます」と言わなければならない。

そういうふうにプログラムされている。

でも希望もある。

自販機はnoteを書かない。
自販機は小説を書かない。

逆に言えば、noteや小説を書くことが、僕を自販機ではない領域に連れて行ってくれる。

そこで偶然出会った人たちとコメントのやり取りをするあいだ、僕は人間でいられる。

僕はなるべくなら、人間でいたいと思う。

だから今日もこうしてnoteを開いている。


最後まで読んでくれて、

”ありがとうございます”

心から。


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