型にハマれば福来たる!/愛を込めて「SAVE THE CATの法則」シリーズをご紹介したい【第3回】
さっそくですがまとめから入ります。
今回伝えたいのは、本当にこれだけ。
* * *
シナリオライター12年生のしむらです。いろいろ書くシナリオライター。とにかく作るのが好き。パンダも好き。レッサーパンダも好き。
そんな私、SAVE THE CATの法則シリーズも大大大大好き。
▼最近ワークブックなるものも出たそうで!
SAVE THE CATシリーズには、ブレイクさんが研究の果てに辿り着き、私たちに向けて手に取るようにわかりやすくパッケージしてくれた最高の《テンプレ》が紹介されています。
詳しくは前回・前々回の記事を読んでいただければ、私のこの「いや本当に最高のテンプレだな」っていう気持ちは伝わる、はず!
しかし。
私、時々ふと思うんです。
駆け出しの頃の私のままだったら、きっとこの本を読んでなかっただろうなって。
テンプレって、なんか嫌。
テンプレ小説、テンプレ映画、テンプレ◯◯……。
ネットに端を発するのだと思いますが、現代社会において《テンプレ》って言葉、どーーーにもマイナスの意味で使われすぎていませんか?
「テンプレ? あぁ、ハイ。“つまらない”の代名詞的なアレでしょ?」
乱暴に言えばこんな理由で、私も昔は《テンプレ》っていうワードが好きになれませんでした。
(※スプレッドシートとかのテンプレートとかは、使えば便利なので使ってましたが、作品つくりに関することで《テンプレ》って言うのがどうにも…みたいだったというお話です)
そんなペーペー時代の私が、「最強のテンプレで~」などという言葉が帯に踊るSAVE THE CATシリーズを見ていたら、
「《テンプレ》なんて使ってお話を書いたら、みんな同じような内容になっちゃうんじゃない?」
って、思ってたと思うんですよ。
「型にはまって型を破る」
テンプレ=型というふうに言い換えられると思います。
その前提で、ちょっと昔話をさせてください。
「型破りなシナリオライターになりたい」。
テンプレという言葉に抵抗を持っていた時代の私は、そんなことを漠然と考えておりました。学生気分も抜けず、シナリオライターと名乗っていいのかすら躊躇われるような、未だ幼き日々のことです。
そんな折に、なぜだったかは忘れたのですが、打ち合わせか何かに向かう電車の中で、はたと、こんなことを思いました。
「型破りになろうにも、まずは型にはまらないと、破るもんも破れないのでは?」
車窓を眺めながら、飛ぶように過ぎ去る景色のごとく、ヒュンヒュン考えを巡らせていきました。
たとえば、《外側》からなんとなーくしか見たことがない、良く知りもしない型を破ってみせようと思って、「うおお破ってやるううおおおおお」って、若さに任せて破りにかかったとしても、
型の意外な硬さに拳を血まみれにするか、あるいは実像が見えていないぶん、狙いをスカッて外してしまうんではないだろうか。
じゃあ《型の内側》に入ってみたらどうか?
その型がどうしてそんなに頑強なのか。支持され、売れているのかを、知識としてだけじゃなくカラダで知ってみる。
自分の手で、型にハマったモノを安定して作れるようになるまで研鑽してみる。
そこまでできるようになってから、今度は型を、内側から破ることに挑んでみる。
それなら、型が持つ頑強さを、良さを、揺るぎなさを、自分の中に取り込みながら、「新しいもの」を生み出せるんでないか?
そのほうが、シナリオライターとしてよっぽど成長できるんでねぇか?
そう思った途端、型=テンプレにはまらない!なんてよく考えもせずに決めてしまっていた自分自身に「アァン!?何言うんとんじゃ!?」とツッコミを入れたくなりました。
ちなみに私はその感情を忘れないよう、備忘録がわりにツイッターに書き込んでおいたんですが、そうしたらこのツイに対しとある先輩作家から、
「その歳でそれに気づけたのはすごい」
と言ってもらえて、めちゃくちゃ嬉しくなったのも覚えています。
褒められると嬉しいタチなのもあって(笑)
「型にハマって型を破る」という言葉は、以来、私の中で座右の銘となりました。
知識として“知っている”がゼロ地点。体験として“知っている”が1以上
多くのシナリオライターさんに共感いただけると思うのですが、とにもかくにも「まず書いてみること」って、結構威力ありますよね?
外側から《型》を眺めているだけじゃわからない。
まずは型の中に入って、それを書くということを体験してみると、外から見て“知っていた”ときよりも多くのことを知ることができる。
体験したか・してないかによる解像度の差は、舐めちゃあかんほど大きい。
百聞は一見にしかずという耳馴染みのある教えもあるとおり、当たり前のことのようにも思うのですが、若い頃の私はこれがシナリオ制作にはまったくといっていいほど結びついていなかった。
いかんせん当時の私は「自分のオリジナリティ(?)を守ること」に必死すぎて、世にあふれる素晴らしい作品たちがハマった《型》を知ろうとする意欲がほぼなかったと思うんです。
加えて「テンプレなんて」という、完全にネットスラングに毒された思考もあかんかった。
たぶんそのまま行ってたら、拳を血まみれにして痛い思いをしたり、ノーヒットノーランで箸にも棒にも引っかからないシナリオのような何かを量産し続けていたかもしれない。
今思い出してみても、モッタイナイことをするとこだったなあ、と思います。
シンプルな“3つの事実”
第1回でも書いたと思うのですが、本書で紹介されている《ブレイク・スナイダー・ビート・シート》は、いわば面白い物語に共通して刻まれたDNAです。
そういった不変の法則が、型が、テンプレが、「面白い」といわれるエンターテインメントには少なからず存在しています。
それを、かつての私のように《テンプレ=つまらない》と一蹴するのは個人の自由ですが、うーん、もったいない。
も っ た い な い !
もしも、テンプレという言葉のせいで本書に抵抗を持ってしまった人がいるのなら、私は↑の実体験に加えて以下の《シンプルな3つの事実》を伝えたい。
それは、電車で降って沸いた思いつきのその後、シナリオ学校や偉大な諸先輩がたが教えてくれた、目の覚めるような金言たち。
あるいは、そうした人たちに見守られつつシナリオ制作を続けた末に得た、私なりの“明らめ”です。
1.あらゆる物語の構成は、シェイクスピアの時代に出尽くしている
シナリオ学校の授業にて教わった言葉です。これはもう、特に補足することはない。
2.作家性とは、意識しなくてもにじみ出る匂いみたいなもの
シェイクスピアの話とセットで教わり、かつ、身をもって体験したこと。
不思議なんですが、物語って心理学的な側面があって、どんなものをどう書いたってって、しまいにゃ作家のクセとか趣味趣向とか性癖とか(笑)その人ならではの《匂い》が、白黒の文字の中から香ってくるもののようなのです。
ある時、私の物語を読んでくれた友人などから「しむさん節」なる言葉が飛び出したときに、「ああ、自分にもあるのか」と私も安心したことがあります。
きっとそれは誰にでもある。
変に守りすぎようとしなくてもいいし、変に意識しすぎなくてもいい。
3.人生は短い
最近歳をとったのかなんなのか、時間の進みがとても早く感じるようになりました。
ジャネの法則ってやつです。
これから、更に時間の流れが早く感じるようになるのかーと思うと…もうなんかね。私の人生、死に向かってまっしぐらって感じがしますね。
せっかく、せっかくSAVE THE CATのような素晴らしい書籍を──《テンプレ》を残してくれた先達たちが、この世界にはいるのです。
先達が己の貴重な人生の時間を使って見つけまとめあげてくれた《叡智》。それは、どんどん読んで取り入れていったほうが、自分の人生の時間だけでは得られないモノをたくさん得られるんじゃないか。
って、最近めちゃくちゃそう思うんですよ。
プログラマでいうならば、0からコードを書くんじゃなくて、オープンソースを活用するとか、そういう話。
知識を、テンプレを貪欲に食べて、効率化してきましょう。
まとめ
そういうわけで、「型にハマれば福きたる!」をお送りしました。
SAVE THE CATの紹介と言いつつ、ほとんど自分語りに終始してないか?とちょっぴり反省中です。つまんなかったらスマーン!!
SAVE THE CATシリーズは、以下の商品がAmazonにて取り扱い中です!!
次回予告
さて、次回でこのシリーズは最後にしようかなと思っております。
そのときまでに「ワークブック」については購入して、レビューみたいなこともできればな~と思っている次第です。
先達に敬意を表して。おとのでした。
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▼こんな活動もしてるよ宣伝。