イジメの止め方も独特な自閉症
私には謎の義侠心みたいなものがあります。
でも、やっぱり軸がズレちゃってるんですけどね。
小学校4年生ぐらいの話です。
ある日、突然一人の女の子が、
机でじっと座っていた気の弱い女の子に、
紙を丸めたものを投げつけ始めました。
私はそれを見て、
「あら?イジメかしら?」と思って、
様子を見ていました。
当時の私は、
学校にイジメがあるのは知っていましたが、
イジメか遊びか判別できなかったので、
大抵放置していました。
が、紙を投げつけるのは、イジメに違いない!
気の弱い子がとても怖がっている!
学級委員は動かないのか?!と思ったので、
私は教室の前のほうの現場に
ノコノコ歩いていきました。
そして、先生の机に足を投げ出して座り、
紙を投げつけているイジメっ子と、
気の弱い子との間に立ち、
紙投げを遮断する形をとりました。
私はイジメっ子に背を向けたまま、
気の弱い子に話しかけました。
「ドングリは好きですか?」
「・・・」
「ん?ドングリは好きデスカ?」
「・・・」
「どのドングリが一番好き?」
私は手に握った数個のドングリを見せて、
返事を待ちました。
でも、気の弱い子は下を向いて震えるばかりで、
返事をしてくれませんでした。
私は無視されたことにイラッとして、
自分の席に戻りました(笑)
その間、イジメっ子は、
近くにいた男の子と話すフリをして、
恐らく私の様子をうかがっていましたが、
私に紙を投げつけることはしませんでした。
私は紙を投げつけられるか、
イジメっ子に話しかけられるのを
実は待っていたのですが、
何も起こりませんでした。
もしイジメっ子が何か言ってきたら、
私は振り返って、こういうメッセージを
『表情で』送るつもりでした(言葉の遅れのため)。
「弱い者イジメ、ダッサ。見たくないんだけど。
私をイジメてみろや。その度胸あるんか?
ないなら、やめとけよ」
怖いですね~。さすが虐待育ち。
イジメっ子には結局背を向けたままで、
視線も合わせずに終わってしまいました。
でも、後日そのイジメっ子が急に話しかけてきて、
休日一緒に出かけた先で嵐に遭うとかして、
ちょっと仲良くなりました(笑)
ドングリの件は、ASD的なコミュニケーションで、
人に話しかける時は常に「〇〇は好き?」
って聞くという、応用の利かなさの表れです🤣
だから、表面的には、
私がクラスメイトの女の子たちに毎日やっていた
「〇〇は好き?」が、間の悪いタイミングで、
気の弱い子のところに発生しちゃったという、
そういうふうに見えたと思います。
でも、そうやってイジメを止めた
と分かる子もいたと思います。
さらに、イジメっ子と対峙する気だった
と分かる子もいたと思います。
では、私はなぜイジメを止めたのか。
やっぱり弱い者イジメが嫌いだったからですね。
ダサイ。弱い者もダサイし、イジメっ子もダサイ。
権力争いは必要だけど、
弱い者を助けるのが強い者の役割であって、
イジメは、ちょっとね、幼稚すぎるかな。
イジメっ子も弱いんですよね、だから。
弱い者が悲鳴をあげながら、
より弱い者をイジメているだけなんですよね。
だから、止める。
そして、イジメっ子の話を聞く。
イジメっ子の悲鳴を存分に聞いて、
安心させてやる。肯定してやる。
それだけなんじゃないんですかね、
イジメを止めるって。
簡単だと思うんだけどな。
集団って一体何が起こっているんですか?
私はかなり強めの集団不適応なんです。
なぜイジメを見て見ぬふりをするのかしら?
イジメを止めたら、
自分がイジメられると思ってる?
イジメてる人って、悪いことだって自覚していて、
誰かに自分を止めてほしいって思ってるよ。
悪いことをして目立つことによって、
誰かに自分の窮状を知ってほしいって思ってる。
だから、イジメを止めたら、
首謀者の話を聞いてやるといいよ。
そうしたら、自分がイジメられることはない。
イジメられっ子に関わるのはやめておいたほうが。
火事が燃え広がらないように消し止めるだけで、
火事跡の心配まではしなくていいと思います。
もしかして、火事跡の処理まで考えちゃうから、
イジメを止めることができないのかしら?
完璧主義?
木を見て森を見ずってやつ?
謎です。
イジメを見て見ぬふりをする理由が謎。
イジメの萌芽はさっさと摘むべし。
ですよね?
ビバ!集団不適応!😆
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