あの頃の私を助けたかった
次女のバスを見送って、遊具へと走っていく末っ子の後を小走りで追いかけていた。
今日から始業式、3人の子どものうち2人がそれぞれの場所へ。残るはまだまだ小さい末っ子だけ。だからちょっとのんびりできるな〜。ふふふと笑いながら先に遊具に辿り着いて遊んでいた末っ子を眺めていた。
末っ子の視線が公園外に向いていて、その視線の先に末っ子と同じくらいの女の子とお母さんがいた。そのお母さんは年齢は私と同じくらいかな?お母さんは赤ちゃんを抱っこしていた。
ご挨拶して、しばらくはお互い遊具で遊ぶ子どもを眺めていた。
子どもっていうのはすごくて、あっという間に隣の子どもと友達になる。その子も末っ子も特に言葉は交わさなくても、しっかりと目線を合わせたかと思ったら、もうすっかりいつも会っているかのように遊び始めた。
子ども達の距離が近いからか私たちもお互いのことを話し始めた。どこに住んでいるから、幼稚園の話、家族構成など、3人の子どもを持つ親であり、ご近所さんであり、同じ幼稚園に通っていることもあり、話はするすると進んでいった。
春の柔らかな日差しがとても暖かかった。
女の子が言った。「お母さん、トイレ行きたい。」
その子はまだ小さく、きっとトイトレが終わって間もない頃だと思った。聞くとお家は子どもの足では少し遠いところにあるそう。ここの公園は昔ながらの和式のトイレ。お母さんは赤ちゃんを抱っこしている。これはなんとも難しい状況。でも私の口からはさっとこの言葉が出てきた。「よかったらわが家のトイレ使いませんか?」
末っ子も何かを察したのか文句の一つも言わずに、しかも少し小走りな私にしっかりと着いてきてくれた。急いで鍵を開けてお母さんと女の子をトイレへと案内した。女の子はどうやら間に合ったようで一同ほっとした。そしてお母さんはお礼を言い、女の子と赤ちゃんとお家へと帰っていった。赤ちゃんはずっと静かだった。
お母さんと女の子と赤ちゃんが帰ってから、私はとてもほっとしていた。それはまだ次女を抱っこしていた時、まだ末っ子を抱っこしていた時の、あの時の私と重なったから。
長女も次女も、いや小さい子はみんなそうだけれどトイレとかなんだとか、ほんとギリギリになって伝えてくる。それは小さいから仕方のないことなんだろうけれど、言われた方は本当に焦る。それが例え家からそう離れていない公園でも、子どもの事だから間に合わなかった、もよくあったから。そんな失敗を私も何度も経験してきたから。
その時の子どもの悲しい気持ちもやるせ無い気持ちも。私の焦りの気持ちも怒りの気持ちも。その後の切ない気持ちも孤独な気持ちも。そんなよく無い気持ちが胸の中にぐるぐると黒い渦のようによみがえってきたから。だからそんな思いはさせたくないという気持ちが私を突き動かしたんだと思う。
あの時の私を助けたかったのかもしれない。ふと、そう思った。
長女が生まれてから、次女が生まれてから、私の周りには誰もいないように感じた。子育ては孤独で苦しくて、子ども達を可愛いと思えない時もあった。いつもイライラしていて、子ども達の小さな言動にも耐えられず手を上げてしまうのでは、という不安にいつも怯えていた。周りと一緒にならなければ、この子達を私がどうにか育てなければ。とにかく毎日必死だった。
必死なあまり周りを見る余裕なんて全然なかった。どうしてこんなに頑張っているのに。どうして誰も認めてくれないの。どうして誰もだ助けてくれないの。表面的には普通を繕って、日々自分を殺して。きっと手を差し伸べてくれた人もいたのに、それすら気が付かないくらい私は自分の殻に閉じこもっていた。
そんな私はきっと誰かから優しくされたかったのかもしれない。大丈夫だよ、あなたの周りにはあなたも子どもも見守ってくれている人がいるよ。ひとりじゃないよ。そんな言葉をかけられたかったのかもしれなかった。今日お母さんの役に立つことで、昔の私を助けることができたのかな、と少し思った。
よくこんなおせっかいができるようになったもんだな〜。私だってこの春休み中、結構イライラもしてたのに。それでも昔と違うのは子ども達がちゃんと可愛いと思えていること。しんどかったら誰かに頼ろうと思えるようになったこと。もうひとりじゃないと思えるようになったこと。それってすごいことだと思う。
あの時の私がいろんなことを教えてくれたから。だからもう大丈夫だよ。そう言って心の中のお母さんを私は何度だって抱きしめてあげることにする。