そんなに頑張らなくていいんだ〜と思った話
まずは夫さんのエピソードを2つご紹介します。
一つ目は歯医者さんでのお話です。
とある日、私たち家族は歯医者さんに行きました。次女は診察中、末っ子はウロウロしてしまうので夫さんに抱っこされ、長女はそんな夫さんの横に座って順番を待っていました。
病院の待合室では音楽が流れていることが多いです。その歯医者さんでも流行りの曲が小さな、でも歌詞が聞き取れるくらいの音量で流れていました。その音楽は長女の耳にも届いていて、彼女はアイドルを小さな声で口ずさんでいました。
全ての治療が終わり車に戻った時のことです。長女が「さっきの場所でアイドル流れてたよね」と夫さんに話しかけました。そうだったね〜、流れていたよね〜。私はそう思っていたのですが、夫さんからは思いがけない言葉が聞かれました。
「えっ?音楽なんて流れてた?」
それを聞いた私と長女の方が思わずえっ?となりました。夫さんは落ち着きのない末っ子の抱っこに苦戦していました。それでも誰の耳にも音楽は届いている物だと思っていました。
もちろんその歌を長女が口ずさんでいたことも知りませんでした。隣で自分の子どもが歌っていても、ですよ。それも何度も聴いているメロディーを歌っていても、ですよ。そんなことがあるんだ、と私は車の中で呆然としたのでした。
エピソード、その2。
夫さんの物の管理についてのお話です。
わが家のリビング中央には小物を置くちょっとしたスペースがあります。その場所には夫婦のスマホや時計や提出物やハンドクリームなど、すぐ手に取れると嬉しい物をおいているのでした。
夫さんはその場所を使う時、いつも適当にバラバラに置いてくるのです。私のスマホの上にスマホを重ねたり。書類があればその書類の上に別の書類を置いたり。なのでそのスペースをなんとなく半分に分けてみました。これで夫さんの物は空いているスペースに置くようになるだろう、私はそう思っていました。
ですが空いているスペースがあるにも関わらず真ん中にどーんと置く姿がそこにはありました。どうして?言わなければ分からないのかな?と思い本人にそのことを伝えたところ、やはり想像の斜め上の回答が待っていました。
「えっ?これって半分に分かれてたの?」
見事にそんなことには関心を示していなかったことが分かりました。置ければなんでもいいんだと。多少の変化にも気づかない、それが夫さんだったことを再確認したのでした(もちろん伝えてからはちゃんと半分のスペースに置いています)。
その時々の私はどうだったか、こんな感じだったと思います。
歯医者さんで流れていた音楽、もちろん私の耳にも情報として入ってきていました。夫さんの隣でアイドルを口ずさむ長女がいることも。
その時の私は次女の診察がどうなっているのか心配したり、末っ子が大人しくしてくれなくて困ったなと思っていたり、長女の声がうるさすぎて周りの迷惑になっていないかな、ちょっと待合室が暑いけれどみんな大丈夫かな、診察時間がいつもより長いな、この後お買い物に行くけれど子ども達の調子は大丈夫かな、買いたい物ちゃんと残ってるかな、夜ご飯作るの面倒だな〜、次の曲は何かな〜、早く終わらないかな〜、なんて思い出すだけでも様々なことを考えていました。
私はこういうちょっとした不便に気づくことが多いです。家族のみんなが快適に暮らすにはどうしたら良いか。それを考えるのは大変でもありますが楽しかったりもします。その人の行動パターンを把握するのが苦手ではなかったんですね。そして物の場所はきっちりとしたいタイプだということも振り返ってみて分かりました。
結論を述べると、こんなに考えなくても生きていけることがはっきりと分かりました。私は本当に考えすぎだったんだって。
気づけなくても死なない。現に夫さんはそれくらい周りに興味がなくても、きっちりしていなくても死んでいません。子ども達も生きています。むしろ毎日ドロドロの感情に支配されることもなく、イライラもせず、日々を淡々と過ごしています。
それに比べて私はどうでしょうか。毎日たくさんの不安と恐怖とイライラを抱えて、時に地下に潜りたくなるような、足を抱えて縮こまりたくなるような、そんな日々を過ごしているではありませんか。そんなに考えていると私の方が早死にしそうです。
考えすぎ、頑張りすぎと言われてもどのくらいが考えすぎなんだろう?と思ってるみなさん。この文章を読んで同じようにたくさんのことを考えているようでしたら、それは考えすぎ、頑張りすぎなんだと思います。
そんなに頑張らなくても死にません。むしろ今のまま頑張りすぎていると死にます。私の体感ですが今の考えている状態より6割くらい落としても生きていけるのだと思います。それくらい落としてもなんとかなる〜、と思った方が気楽に生きていけるのだと思います。現に夫さんは毎日元気に暮らしていますから。
どちらがいいとか悪いとかではなく。たくさん考えて対処できた自分のことはしっかりと認めてあげればいいと思います。そしてそんな自分の思考の癖を理解することがとても大切です。
私のように考えすぎに当てはまった人はもっと楽に、もっと軽やかに。思考も持ちすぎないで手放していけたら、きっと私たちの暮らしはより快適になっていくと思ったのでした。