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魔法少女の系譜、その151~『七瀬ふたたび』と『X-MEN』~


 今回も、前回に続き、NHK少年ドラマシリーズの実写ドラマ『七瀬ふたたび』を取り上げます。

 前回の日記で、『七瀬ふたたび』は、「迫害される超能力者」モチーフが強調された作品だと書きましたね。
 これについて、ある読者さんから、コメントをいただきました。『七瀬ふたたび』と同じ「迫害される超能力者」モチーフの作品として、アメコミの『X-MEN』を取り上げて欲しいとおっしゃいました。
 早速、今回、取り上げます。

 『七瀬ふたたび』にある「迫害される超能力者」モチーフの源流は、前回に書きましたとおり、SF小説の『スラン』です。『スラン』が、最初に米国で発表されたのは、一九四〇年でした。
 『スラン』は、大変な評判を呼んだ作品でした。この後、英語圏では、「迫害される超能力者」モチーフの作品が、いくつも現われます。

 例えば、ジョン・ウィンダムのSF小説『さなぎ』も、このモチーフです。『さなぎ』は、一九五五年に、英国で出版されました。
 『さなぎ』は、未来の地球が舞台ですが、人々は、近世ヨーロッパのような生活をしています。農業などの第一次産業が主で、迷信深い社会です。
 この世界の人々には、時おり、ミュータントが生まれてきます。手足の指の数が違うといった身体的な変異や、テレパシー能力を持つなどの精神的な変異を持つ者たちです。
 ミュータントは、人々に忌み嫌われ、排除されます。

 この社会では、出産があって、無事に子供が生まれても、すぐには祝われません。生まれてきた子供がミュータントではないか、厳重に審査されます。ミュータントだと判別されれば、子供は、「始末」され、そんな子はいなかったことにされます。
 ミュータントではないと判別されて、初めて、賑やかに誕生が祝われます。

 『さなぎ』の主人公は、デイヴィッドという少年です。彼は、テレパシー能力を持つミュータントでしたが、外見に異変がないのを幸いに、家族にも能力を隠し通して、生き延びています。
 デイヴィッドは、テレパシー能力で、自分以外にも、そのように生き延びているミュータントがいることを知っていました。ミュータントたちは、テレパシーで互いに連絡を取り合い、助け合いながら生きていました。

 そんなデイヴィッドに、妹ペトラが生まれます。ペトラも、ミュータントではないと判別され、誕生が祝われました。ところが、じつは、彼女も、テレパシー能力を持つミュータントでした。それも、強力な。
 デイヴィッドは、ペトラの超能力が露見しないように、必死に守ります。しかし、ある時、村の人々に気づかれてしまい、ミュータントの仲間と一緒に、村を脱出します。

 「兄妹で超能力者で、兄が妹を守る」という組み合わせは、前回に触れた『NIGHT HEAD』を思わせますね。『NIGHT HEAD』では、男兄弟で、兄が弟を守る形でしたが。

 そして、一九六三年には、米国で、『X-MEN』が誕生します。原作がスタン・リー、作画がジャック・カービーのアメコミでした。
 御存知の方も多いでしょうが、簡単に解説しておきます。

 『X-MEN』は、先天的に超能力を持って生まれたミュータントたちが、主役です。ミュータントたちは、それぞれ、個性的な能力を持ちます。その能力を生かして、チームで活躍します。
 主なキャラクターには、強力なテレパシー能力者プロフェッサーX、両眼から破壊光線を出すサイクロップス、驚異的な身体能力を持つビースト、氷を操るアイスマン、翼があって空を飛べるエンジェルなどがいます。

 『X-MEN』の主役のミュータントたちは、基本的に善意の人たちです。その能力を生かして、ミュータントではない一般の人々を助けます。
 なのに、一般の人々からは、「自分たちに取って代わるのではないか」と危惧され、嫌われる傾向が強いです。「迫害される超能力者」たちです。

 『X-MEN』は、一九六〇年代から、二〇二〇年現在まで、シリーズが続く人気作品です。たびたび、映画化もされていますよね。
 ところが、『X-MEN』は、最初は、あまり人気がなかったそうです。一九七五年に、チームを再編成してから、人気が出たと聞きます。

 このように、英語圏で一定の人気を得ていたミュータントもの、「迫害される超能力者」モチーフは、一九七〇年代に、どどっと日本に流れ込んできました。敏感な人々―例えば、筒井康隆さんのようなSF作家―は、その前から、情報を得ていました。
 『スラン』の日本語版が出たのは、昭和五十二年(一九七七年)です。『さなぎ』の日本語版が出たのは、昭和五十三年(一九七八年)です。

 『X-MEN』の日本語版が出版されたのは、少し遅れて、一九八〇年代に入ってからでした。日本にも、アメコミのファンはいるので、そういう人々の間では、一九七〇年代から、知られていたでしょう。

 このような一九七〇年代の日本に、『七瀬ふたたび』が登場しました。「迫害される超能力者」モチーフそのもののような作品です。

 なお、一九七〇年代の日本では、超能力者が登場する作品が、常に、「迫害される超能力者」モチーフだったわけではありません。
 『七瀬ふたたび』が放映されたのと同じ昭和五十四年(一九七九年)には、日本のアニメ史上、決して忘れてはならない作品が、放映されます。『機動戦士ガンダム』―いわゆる、ファーストガンダム―です。

 『機動戦士ガンダム』には、ニュータイプと呼ばれる人々が登場しますね。主人公の少年、アムロ・レイも、ニュータイプです。
 ニュータイプは、超能力者を言い換えたものといえます。アムロなどのニュータイプは、テレパシーや予知能力といった、いわゆる超能力と似た力を行使します。それにより、ガンダムなどの巨大ロボット型兵器(モビルスーツ)を、普通の人より、自在に操ることができます。

 『機動戦士ガンダム』の世界では、モビルスーツを使った宇宙戦争が行なわれています。モビルスーツを操れる優秀な戦士は、常に求められます。このため、ニュータイプは、忌み嫌われるどころか、逆に尊重されます。

 アムロと同じくニュータイプである敵役、シャア・アズナブルとアムロとの戦いは、印象に残るものでした。それ以上に、優れたニュータイプのララァ・スンと、アムロとの交流は、心を打たれるものでした。
 同じニュータイプとして、ララァとアムロとは理解し合えたのに、彼らは、敵同士であり、戦わなければならない運命でした。

 『機動戦士ガンダム』は、「迫害される超能力者」モチーフとは、まったく違うベクトルの「超能力者」(ニュータイプ)を描いた作品です。
 あまりにも、この作品に人気が出たため、その後の日本のアニメでは、このベクトルの「超能力者」が登場する作品が増えました。

 昭和五十四年(一九七九年)の日本には、ある程度、多様性のある超能力者像がありました。『七瀬ふたたび』は、その中で、「迫害される超能力者」モチーフに、極端に振れた例です。

 今回は、ここまでとします。
 次回も、『七瀬ふたたび』を取り上げます。



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