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震災が教えてくれた、人の強さと街の希望

突然ですが、みなさんは人生を大きく変えるような出来事を経験したことはありますか?

私は、阪神・淡路大震災を経験し、その経験が私の人生観を大きく変えることになりました。

当時、私は大学4年生。

就職を控えた大切な時期でした。

30年前のあの日のことを、今でも鮮明に覚えています。

その経験をほんの少しだけお話しさせていただきたいと思います。

運命の朝 ~私たちの知る世界が一変した日~

1995年1月17日、午前8時頃のことでした。

前日に後期試験が終わり、久しぶりにゆっくりと目覚めた朝。

何気なくリビングのテレビをつけた瞬間、私の知る世界は一変しました。

ヘリコプターからの空撮映像が映し出す光景は、まるでSF映画やパニック映画のワンシーンのようでした。

でもこれは、まぎれもない現実。

私たちの暮らす日本の、美しい港町として知られる神戸の街が、想像を絶する姿に変わっていたのです。

20階建て以上もある高層ビルが、まるで折れた鉛筆のように道路に向かって斜めに傾いています。

マンションの中層階は、巨人に踏みつぶされたかのように押しつぶされ、上層階がそのまま下層階に乗っかっているような異様な光景。

木造の一軒家は1階部分が完全に潰れ、まるで2階だけが宙に浮いているかのよう。

そして最も恐ろしかったのは、街のあちこちから立ち上る無数の煙の柱でした。

阪神高速道路は横倒しになり、まるで子どもが怒ってプラモデルを壊したかのような光景を作り出していました。

当時、私は横浜育ち。地震には慣れているつもりでしたが、これほどまでの破壊的な光景は見たことがありません。

テレビの前で立ち尽くす私の頬を、気づかないうちに涙が伝っていました。

就職内定者たちの決断と行動

私の就職先は、神戸に本社を置く企業でした。

前年の6月に最終面接で訪れた時の神戸は、おしゃれな港町として輝いていました。

特に、会社の本社があるポートアイランドは、人工島ならではの整然とした街並みと、ハイテク企業が立ち並ぶ未来都市のような洗練された雰囲気を放っていたのです。

11月の内定式でも、その雰囲気は変わらず、春からの新生活に胸を膨らませていました。

当時は就職氷河期から超氷河期に移った、就職戦線異状ありの真っ只中。

「内定取り消し」という言葉が頭をよぎりましたが、それ以上に、街の人々の安否が気がかりでした。

今のようなSNSもなく、スマートフォンもない時代。

携帯電話も普及前で、Windows95すら発売前という、今から考えると情報伝達手段が極めて限られた時代に、私たちは必死に連絡を取り合いました。

会社から配布されていた内定者名簿を手に、一人一人に電話をかけていきました。

固定電話しかない時代。

相手が在宅していない場合は、何度もかけ直す必要がありました。

文系の学生は私と同じように試験期間が終わりに近づいていましたが、理系の学生は卒業論文や卒業制作の真っ最中。

中には研究室に寝泊まりしている人もいました。

それでも翌日には、都内で緊急集会を開くことができました。

集まったのは関東在住の内定者の半数程度でしたが、そこで私たちは重要な決意を固めました。

たとえ内定が取り消されても会社を恨まないこと。

むしろ、この未曾有の大災害の中で、私たちに何かできることはないかを考えようということでした。

しかし、刻一刻と変化する状況の中で、何が最適解なのか、見当もつきませんでした。

物流は寸断され、被害状況も十分には把握できない。

そもそも現地の人々が何に困っているのかさえ、正確にはわからない。

そんな状況で、まだ社会人でもない大学4年生の私たちに何ができるのか。

情報も経験もない私たちは、もどかしさと無力感に苛まれました。

新社会人としての船出 ~被災地での暮らしが教えてくれたこと~

4月からの社会人生活は、私の想像とはまったく異なるものでした。

普段なら新入社員研修に胸を躍らせる季節ですが、私たちを迎えた神戸の街は、まだ震災の傷跡を色濃く残していました。

ポートアイランドへ向かうポートライナー(モノレール)は復旧工事中で、毎朝、被災した神戸市役所前から代替バスに揺られることになりました。

臨時のバス乗り場から見える市役所は、中層階が押しつぶされたままの姿。

毎日その姿を目にしながら、この街で何が起きたのか、その重みを実感していました。

本社ビルのある場所は、液状化現象の影響を強く受けていました。

周辺の道路はまるで波打つように凸凹になり、足元を確認しながら慎重に歩く必要がありました。

JR西日本は4月1日に全線復旧を果たしましたが、阪神電車と阪急電鉄は依然として寸断されたままで、通勤ルートの確保も大変でした。

当時は新入社員が入社すると、部署単位で歓迎会を開くのが当たり前の時代でした。

でも、街にはまだ飲食店の灯りが少なく、そんな余裕はありませんでした。

それでも、住まいの近くにある小さな焼き鳥屋さんが、いち早く営業を再開してくれました。

その店は、私にとって特別な場所となりました。

毎晩のように通ううちに、常連さんたちと顔なじみになっていきました。

私は元々、話すより聞くことが好きな性格。

さまざまな方々から震災当日の体験談を聞かせていただきました。

関西の人々の強さと、ユーモアを忘れない姿勢に、心を打たれる日々でした。

「水が出えへんから、遠くの銭湯まで歩いて行ったんや。道中で会う人みんなが同じ目的やったから、まるで銭湯巡礼みたいやったわ」

「電気も止まって、冷蔵庫の中身が腐りそうになってな。ご近所と持ち寄って、路上バーベキュー大会になってもうた。あんなうまい焼肉、生きてて二度と食べられへんかもしれん」

「瓦礫の中から、みんなで力を合わせて人を助け出したんや。見ず知らずの人とも、声を掛け合って。人間て、本当に困った時はひとつになれるもんやな」

こうした話の最後には、必ずユーモアを交えたオチがついていました。

これは関西人特有の気質なのか、それとも人間が本来持っている強さなのか。

苦難を乗り越えようとする人々の姿に、私は多くのことを学びました。

震災前と後では、街の風景だけでなく、人々の意識も大きく変化していました。

それまで当たり前だと思っていた日常のありがたさ。

人とのつながりの大切さ。

そして、どんな困難な状況でも前を向いて生きていく力強さ。

これらすべてを、私は神戸から学ばせていただいたのです。

震災が教えてくれた人と街の強さ

その後、数年の神戸勤務を経て、私は転勤辞令を受けることになりました。

去り際に見た神戸の街は、少しずつですが確実に復興への歩みを進めていました。

傾いていたビルは取り壊され、潰れていたマンションは新しい住居に生まれ変わり、高速道路も元の姿を取り戻しつつありました。

でも、街の「形」が戻っただけではありません。

人々の心の中に、何か大切なものが根づいている。

そんなふうに、感じたのです。

たとえば、震災直後から自然発生的に始まった助け合いの輪。

当時はまだ「ボランティア」という言葉さえ馴染みが薄い時代でしたが、多くの人々が自発的に被災地に駆けつけ、支援活動を行いました。

この経験が「ボランティア元年」と呼ばれる契機となり、その後の日本社会に大きな影響を与えることになったのです。

夜な夜な通った焼き鳥屋さんでは、常連さんたちから、さまざまなエピソードを聞かせてもらいました。

「うちの商店街では、お店を再開できた順番に、できる範囲で営業を始めていったんや。電気が復旧した八百屋さんが、まだ電気の来てない魚屋さんの商品も預かって売ってあげたり。普段は犬猿の仲やのにな」

「避難所でな、知らない人同士なのに、みんなで助け合うてた。おばあちゃんの薬を取りに行ってあげたり、子どもの面倒を見たり。人間て、困った時の方が優しくなれるもんやわ」

こうした話を聞くたびに、人の持つ底力と、コミュニティの大切さを実感しました。

震災は多くのものを奪いましたが、同時に、私たちに大切な気づきも与えてくれたのです。

その後の日本では、防災体制が大きく変わりました。

自衛隊の災害出動判断は格段に早くなり、各自治体での備蓄制度も整備されました。

コミュニティ単位での防災訓練も一般的になり、災害時の避難経路や連絡方法を確認し合うことが当たり前になりました。

しかし、ハード面の整備以上に重要なのは、人々の意識の変化かもしれません。

「自分たちの街は自分たちで守る」という意識。

「困ったときはお互い様」という相互扶助の精神。

そして何より、どんな困難な状況でも、必ず光は見えてくるという希望。

これらは、震災を経験した神戸の人々が、私たちに教えてくれた大切な教訓です。

毎年1月17日が近づくと、あの日の記憶が鮮明によみがえってきます。

それはつらい記憶である一方で、人間の強さと優しさを教えてくれた貴重な経験でもあるんですよね。

日本に住む以上、地震との共生は避けられません。

だからこそ、この経験を風化させることなく、次の世代に伝えていく必要がある。

そう思うんです。

神戸を離れてから私は、直接その街を訪れていません。

でも、心の中では常に神戸とつながっています。

あの震災で得た経験と教訓を、これからも大切に持ち続け、いつか必ず訪れるであろう次の災害に備えていきたいと思います。

そして、困難な状況でも前を向いて生きていく勇気と知恵を、周りの人々に伝えていきたいと思うのです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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