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ザ・雑談・ブージー(boujee)な趣味

見て見て!素敵なランプでしょ?↑

これは、ニューヨークへ遊びに行った時に、言った、MoMA(Museum of modern art)で撮った写真。私はこういう物が大好きで、自分の家にもこういうのを置くのが好き。

こういう物が好きなのに、お金持ちじゃない私は、「これいいな、欲しいな。買えないのかな?」と毎回思っては、ため息をつく。美術館では、この作品、いいな。欲しいな。って思っても、私の買える金額じゃない。所有したくっても所有できる金額じゃないものが、好きな人は多いと思う。

例えばブランド物。ブランド好きの人の気持ちみたいなのは良く分からないが、欲しくっても我慢する人が多いだろう。私はブランド物にはあまり興味がないので、どういう気持ちなのかは分からないが、美術品については凄く興味があるのでなんとなく似た感覚なのかな?とは思う。けど、所有して外に持ち歩いて見せびらかす行為が出来ない美術品やアンティークは、もっと、ピュアな楽しみな気がする。それにブランド品の様に、みんなが、いいねそれ!と思わないだろうから。あくまでも自分の趣味で萌え~!となったものに過ぎない。

しかし、このランプを買うとなると、いくらくらいするのかしらね?笑

こういうのを、趣味だけブージー と言うのだろう。ハイセンスな趣味だけど、エリートでいい収入がある訳でもないから、それを買えない。笑

じゃあ、「趣味だけブージー」は遺伝するのか?

私はすると思う。うちの娘が、私のボヤキと同じボヤキをしていたのを思い出した。「いいなって思ったものは、ほぼほぼ高くっていつも買えない。趣味が良すぎるのも困りもん」とな。だよね。私たちの場合、諦める一択選択しかないのだろう。とほほ。

しかし、娘も私も、金持ちの家に生まれて、いいものに囲まれて育ったわけじゃないのに、どうして、趣味ばかりが、ブージー化しているのだろうと、思うと、やっぱり、前世っていうのがあるのかもなって思う。特に古いものを見たときに起こる感覚が、私にそう思わせる。

前にも話したかもしれないが、1920年代のアメリカの家を見ると、いいなって思う。出来れば、中古で家を買うなら、この年代の家が欲しいと思ったりする。魂の繋がりみたいなのを感じつつ、それらの家の写真を見て楽しんでる、私。

音楽もそう、古い時代の作品を聴くと、ああ、この時代いいね、何でこんな時代に生まれてきたんだろう とガッカリしたりもする。場所もそう、場所は、はじめっから、アメリカで無いのは分かってる。私の場合はヨーロッパがしっくりする。思い返せば、子供の頃からそうだった。・・・アジアでもないし。アジアに全く興味がない魂だけど、日本人。変なの! っていつも思う。

面白いのは、自分でそう思ってそうなってるって感じより、自分でも気づかないレベルのところで起こってる事だって事。でね、やっぱり前世ってあるんだろうかね?と不思議に思っている。

まあ、過去世、前世、来世とそんなぶっ飛んだ話は、ここでするつもりはないけど、心の奥底から、この感じ、いいね!と思う感覚って、なんなんだ?いつも思う。たぶん皆さんにも、特別なコネクションを感じるものがあるだろうけど、自分史を見つめても、ヒントも何も出てこない物に、異常なまでに気を惹かれるという事があるだろうと思う。これって、なんなんだ?

大昔、90年代の初めころ、アイルランド出身のケルト人のエンヤと言う人の音楽が流行った。その人が初来日した時に、インタビューで言った言葉が一番分かり易いなって思ったのだが、インタビュアーが「初めての日本はどうですか?」って聞いたときに彼女は、「そうですね、とってもいいです。たとえるなら、恋に落ちたような感覚です。」言ったんだよね。そうそう、分かる、そういう感じがする時ある。要するに、何故か知らんが、縁がある って事なのよね、その出来事に。

ほら、卵が先なんだか、鶏が先なんだか、分からなくなるアノ感覚。縁があると翻訳すれば人々は瞬時に納得するけど、なんとも不思議な感覚。誰でもあるだろう、アノ感覚。

彼女がそう答えた時、ああ、さすが芸術家!って思ったのは私だけじゃないだろう。的確に表現されている。笑

人、時代、場所、全てにおいて、恋に落ちたような感覚 を持てるものっていうのは、簡単にいう、縁がある って事なのだろうと思った。となると、縁があるものの数の多い事!!!www びっくりするよね? 魂は、それだけ長い時間を進み続けてるのかしら?って思ったりするのだった。

そうそう、ここまで話したんだから、大事な事を言おう。

どんな魂も、長い時間をかけて今に至るのだから、その魂をSNSで誹謗中傷したりすることなかれと思う。毎回、事件が起こるたびに、どうして、ここに気が付けない人がいるのだろうと、不思議に思うし、どうしてそんな時間があるのだろうと、常に、無駄に忙しい私は思う。

自分以外の魂も、縁があって自分と繋がってるという事実を理解できれば、人の魂が傷つく行為は絶対にしないだろうって思うしね。

つまりだ、誹謗中傷で傷つけた魂と、加害した魂はコネクションを持ってしまってるって事に気が付かないのかしらね。それもものすごくマイナス(ネガティブ)なコネクション。ヤバいよ。分かるよね?だから、どうせコネクション持つなら、プラス(ポジティブ)のコネクションの方が、魂にはいいんだよね。違うか?


もっと分かり易い言葉でい言えば、人の気持ちを考えろ って両親に言われたり、学校の先生に言われてりする事を、常に念頭に置いて行動すべきだと思うわ。こんなにも、それができない人が沢山いたり、また、誰かをそそのかし、その様に導こうと働きかける団体があったりと、人間として、どうよ?っていう仕組みが出来てたりして、それを見て見ぬふりするのも、人間としてどうよ?な世界。

世の中複雑すぎるので、さらに複雑にしない様に、人の気持ちも自分の気持ちも、十分に大切に生きなきゃいけないよねと思うのである。で、全員がこれが出来る様になれば、世の中数百倍、生きやすく、楽しく、素晴らしいものになるに違いないと私は思う。けど、それが起こる確率は、めっちゃ低いだろうと思うのである。とほほ。笑 

クリティカルポイントはとっくの昔に過ぎている?と、絶望的になる日が多々あるんよね。でも、今からでも間に合う、せめて、ポジティブに生きようと誓うのであった。

今日は哲学っぽいお話。ww




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