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四月病の方へ

(まず最初に)

※以下引用スペース↓


の部分は、チョン・スンファン著『私が望むことを私もわからないとき』を抜粋して引用。






四月
🌸


新学期。新入社。新生活。


何かと頭に "新"がつく季節。

何かと変わることが多い季節。




ちょうど一年前の私はというと、、、


 私が本当に望むことは何か、今の生き方でいいのか、この先どう歩んでいけばいいのか。人生はひっきりなしに問いかけてきますが、その回答を自力で探すことは容易ではありません。

 どうしていつも心寂しく、虚しいのだろう。
 どうして人に会うことが、こんなにも疲れるのだろう。
 どうして毎日頑張って生きていても、幸せになれないのだろう。
 こうやって魂が抜けたみたいに生きるのが、果たして人生なのだろうか。

こんな問いが頭の中を巡るとき、疲れて何もしたくないのに、急に涙が溢れたりします。


何か分かりやすい悲劇があったわけでもないが
ただ、この先の果てしない人生に憤り、
夢も希望も持てなくなり、
何も誰も信じれなくなって、
魂が抜けたみたいだった、28歳の春。

疲れたカラダとココロを労る余裕もなく、
ただ目まぐるしい日々に揉まれては
夜になると感情が込み上げる、、、

、、、そんな日々だった、一年前の今頃。


 慌ただしい世の中と足並みを揃えて生きようとすると、知らないうちに憔悴し、心の片隅にぽっかり穴が開いてしまいます。それは、本来あるべき姿を見失ってしまったまま、歩んでいるからです。
そうやって毎日押しつぶされそうになって生きていると、自分が本当に望むことが何かわからなくなり、何をしていても心が浮き立たず、誰に慰められても気が晴れません。一人でいたいくせに、一方では寂しさに内ひしがれてしまうのです。




悔しいほどに、自分で自分が分からない。

でも、今の心の内を言える人もいない。

自分のことは自分でどうにかするしかないと
一人で闘おうとしていた。

必死にもがいていた。

 実は私も同じでした。そんなときは、いつも誰かがこんな言葉をくれたのです。「大丈夫。きっとうまくいく」「少しは元気出せよ。お前は十分強いから、乗り越えられるよ」。
 もちろん慰めようとしてくれていたに違いありませんが、それでも人生は変わることなく、依然私の手に負えませんでした。特に強くなりたかったわけでも、寂しさに打ち勝つ力がもっと必要だったわけでもありません。これ以上努力したくもありませんでした。考えてみれば、人生の模様や方向は人それぞれなのに、私が進むべき道をわざわざ人に尋ね、
自分に欠けた部分を誰かの何かで満たしてしまおうとすること自体が、そもそも間違いだったのです。




憧れている人の習慣や行動を取り入れてみたり、
色んな学びに自己投資したり、
たくさん本を読んだりと、
とにかく出来ることは色々とやってきたと思う。


しかし、
本当に必要だったことは、


他の何でもなく、
もっと自分のことを知ること、それだけだった。


(視野を広くしよう!と
あの時あのまま海外に行っていても
何も変わらないまま帰国していただろう。)

 それでやっとわかってきたのは、ときには適切なアドバイスより、そっとそばにいてくれる方が、ずっと心に沁みるということです。ただ自分の心に向き合えるように見守ってくれることが、何よりもありがたいのです。


 私たちがつらいとき、本や文章こそが最も大きな慰めになると思い至ったのです。本は私たちに何も要求せず、見返りも求めず、ただそっと寄り添って、私たち自身の心の奥底を照らしてくれるのですから。
 しかも本には、時空間を飛び越え、著者と読者の心を通わせてくれる役割もあります。私たちの目の前に押し迫る手強い現実を、私一人だけが経験するのではないと知ったとき、そしてこの世のどこかに、きっとその困難な状況を一緒に乗り切っている誰かがいると思えたとき、私たちは最大の慰めを得られるのでしょう。

この世を去った偉人の名言や教えみたいなものに
本の中では唯一触れられる世界だからこそ、

成功や勝ち負けなんていうのはどうでもよくて
それよりもっと人間として生きる上での
「深み」みたいなものや、
より普遍的で本質的なものを、
潜在的にずっと探してきたのかもしれない。


そして、人生は予期せぬことばかり起こる。

心から本気で求めていると
目の前にちゃんと引き寄せたりする。

ヨガを知らない人間が
ヨガ哲学を学んで人生転換してるくらい、、、


一年前の自分は今の自分を想像してなかった。

これが私の人生だ、って諦めたり、
すべての"負" や "枠"をつくっているのは
誰でもなく自分からだったりする。

あれ?生まれてきた時代を間違えたかな?って

今の時代に生きづらいと感じることも
度々あったが

どんなに時代が便利になっても、

生きていく上で、
大事なものは、"変わらない"。

令和の時代になっても、
古代の格言や先人の教えは、"古びたりしない"。


 工科大生の胸を震わせる詩の講義をしたことで有名なチョン・ジェチャン教授は、『詩を忘れた君へ』でこう語っている。

 "いくら頑張っても希望が見えないときがあり、絶望もできないほど絶望的な世の中もあるものだ。絶望もないなら、それこそ絶望的だ。悲しみもないなら、本当に大きな悲しみだ。このように希望が見えないとき、それならば自らが希望を作る人になれ、と詩人は語る。ないなら作ればいいというのは、この詩人の楽観的考えであり希望的観測である。こんな世の中で私たちが選ぶべき道は、愛以外にない。人を愛することだけが希望なのだ。
希望を作る人を互いに愛することだけが希望なのだ。"


一年前より、

よく言うようになった言葉がある。それは、


「愛」 




一年前は言うことがなかった言葉。




でも、今は

もっと言っていきたい言葉だったりする。



、、、

私は、とても弱い。


誰かに大丈夫って言われても

何が大丈夫なんだろうって心では思ってた、、、

小指一本の力でも押されたら

泣いてしまうくらいに感情を押し込めて

大丈夫なことも真っ直ぐには信じれなかった

、、、


でも、今は信じていきたいと思う。



こんな世の中で私たちが選ぶべき道は、

愛以外にない、と。




4月が始まって、2週間。


"みなさん、調子はどうですか?"





環境が変わり、季節が変わり、

カラダもココロも揺れ動く時期。


コロナが落ち着いても尚、

まだまだ閉鎖的で、

個々人で頑張ってる人が多い、そんな今。




チョン・スンファン氏の本が沁み入るような、

一年前の自分のような渦中の方へ。

「大丈夫」「うまくいく」「あまり心配しないで」
目新しい表現ではないが、心が込もっていればこういう言葉も大きな慰めとなる。慰め方に正解はない。だが、だからこそ、私たちは自分の心を理解しようと努力する。「私だけがそうではないんだ」「世の中のみんなに慰めが必要なんだ」ということを学びながら。


言いたいことを沈めてしまう世の中だからこそ

誰かの"大丈夫じゃない"を救っていきたい。




一人で考え込んでしまう夜に

一人じゃないと寄り添えたらと思う。




あなただけがそうではないと、、、

私もつい最近までそうだったと、、、

大丈夫と。




「愛」とか「夢」とか「希望」とか
恥ずかしくて言わないようなことも


どんどん言っていきたい。



心細くなっている気持ちに

心にある温もりを思い出して

心穏やかに春が過ごせますように🌸



(環境が変わると、

無意識にストレスを浴びているから要注意。

早寝早起き。食べ過ぎない。飲み過ぎない。

ゆっくりお風呂に浸かって、朝は深呼吸。

空をみる余裕があったら尚、最高◎)

今日も一日、お疲れ様✨




end.

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