(9) 小さい質問、小さい選択
このマガジン。
ジャーナリングで書くことが定番化してしまい
もうこのマガジンには今後用が無いなって
消そうかと思うくらいだったけど、
今日はちょっと
シャボン玉ぐらい儚く朧げで
簡単に割れて頭から忘却してしまいそうだけど、
後々今日の気づきを惜しくなったときに、
忘れてもどこかにremindして置きたくて、
(尚且つ)
今同じ境地の人がいたら早急に届けたい!!
っていう想いが重い気づきだったから
(年一も出ないダジャレが出てしまうくらい)
ノートに書いている内に消えそうな
ジャーナリングは今日は敢えて選ばずに、
仕事終わりの勢いで
記憶と追いかけっこしながら
このnoteに指を早々動かして打っているよ。
これからもこのマガジンには
たまに備忘録代わりに残していく。かも?
(ある意味、何よりも最新版な自分ですね。)
エピソードは、以下☟
過去のnoteの節々にもあるけど
今の自分に至るまで、
今日を迎えるまで、色んな自分を経てきた中で、
特にぬかるんだ場所で長〜く浸かっていた
(ほんとについ一年前、いや半年前まで?)
他人軸な自分。
この同僚にも年上だからと
入職以来、慢性的に気遣い癖があった。
でも、もう違った。
今日はとかじゃなく、今日だけに限らずに、
もう対極な自分だった。
「あっ。あの自分ではなくなっている。」
と、面白くなっちゃった。笑
"自分(本音)"を飲み込んでは押し込んで、
押し込んではしんどくなって、
しんどくなってはもがいて、
もがいてはまた闘う。
、、、みたいな堂々巡りだった今まで。
相手のキャリアや立場を
自分のフィルターで勝手にラベリングして
自分を「劣」にしては、飲み込む。
これを瞬時に捌く思考って何?
本当に信じられない。自分の思考は敵。
勝手な思い込み、
勝手な判断、
自分本位の度が過ぎるシナリオを作成して、
結果、楽な方に着地する =言わない。
どう見ても偏ったコミュニケーション。
何も生まない不毛な会話。
だから関係もその程度。
そこ止まり。
.....
長らく浸かってきた自分を
見事に救済してくれたのは
何でもない
全ては
ヨガ哲学。
ヤマの実践。
アヒムサ。サティア。
(トイレに手書きを貼っているくらい、
ヤマ・ニヤマが自分の生き抜く術になった)
他人軸は
相手を想うあまり相手を守っているようで
肝心な自分を守れていない(攻撃され常に劣勢)
だから常に攻め込まれる度に揺れ動く。
自分のメンタルの脆さだと、また自己嫌悪。
を、無限にループする。
(とてもやっかいもので、面倒。
渦中の自分は、自分でも面倒でうんざりする。)
自分の守備範囲は、自分で固められるし、
広げる事だって出来る。
そして攻守があるからこそ、
ブレない軸(=自分)が形成されていく。
そう思えた今は、
また小さい質問と、小さい選択に
全力で向き合っていこうと思えている。
小さい質問。
小さい選択。
人生、すべて最初はここから。
それって本当なの? 事実かな?
言ってみる? 言わないでおく?
.
.
.
渦中の方々、、、
自分の思考が全てじゃないから大丈夫!
勝手なシナリオに過ぎない、塵みたいなもの。
思考は敵。
そんな時の、
"本当はどうしたい?"
は、軽いけど重たいフックかましてくるよ。🥊
(長々)
end.