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#010 ”探すんじゃない、見い出すんだ”って、パブロが言うんだよね。
Cover photo by Dakota Corbin
短期集中連載「自己理解 - 仕事と学びのデザインにおけるインサイド・アウト」 第1回(全6回)
さて、本稿のテーマは「自己理解」。その間口は広い。奥も深い。
試しにアマゾンで「自己理解」をキーワードに検索してみると、98冊もの書籍がヒットする。自己理解の概念を語るコンテンツもあれば、実践的な手引きもある。その論考のバックグラウンドとなっている学問分野をたどれば、哲学、心理学、認知科学、脳科学、人類学、教育学など広範にわたる。
当然のことながら、ここでその全容を取り上げることはできない。また、その必要性も感じていない。
まずは、今回の連載で自己理解の「なに」を、「なにゆえ」に語ろうとしているかを明らかにしておこう。
自己理解がデザインの方向性を決める
本稿の連載の全体テーマは「仕事と学びのデザイン」である。その構成は、内的な基準を起点とする「インサイド・アウト」の考え方にはじまり、では、その内的な基準はなにかという視点での自己理解編があって、その先の仕事と学びのデザイン編へと進むことを念頭に置いている。
仕事のデザイン、つまり、どのように仕事と向き合い、どうやって自分ならではの仕事の成果を生み出すかという点については、自身の強みや得意なことを活かすことに挑戦してみたい。
学びのデザインに取り組むにあたっては、生涯学習やリスキリングのニーズが高まる今日の状況を鑑みれば、学ぶことの意味や動機づけについて考察することも必要になるだろう。
キャリアデザインでは、不確実な時代において、自分にとって大切なことがなにかを問うことからはじめることになるかもしれない。
こうした意味において、デザインの方向性を決めるのが自己理解である。インサイド・アウトを序章とした理由もそこにある。
したがって、仕事や学び、キャリアのデザインに取り組むための準備として、「自分が何者か」についてある程度の理解を持っておくことが望ましい。そして、その対象は、これらのデザインにとって重要なポイントに限定することが適切であろうと考えている。
このような前提で本論に入っていきたい。
米国の片田舎のガレージで生まれた理念
ヒューレット・パッカード(HP)という会社がある。電気・電子計測器メーカーとして起業し、巨大IT企業へと成長を遂げた同社はスタートアップの元祖といわれる。その創業の地である米カリフォルニア州パロアルトの小さなガレージは、「シリコンバレー発祥の地」として名高い。
もうひとつ、同社をユニークな存在にしているものがある。社員の自律性と主体性を尊重した独自の企業理念「HP Way」である。
人間は男女を問わず、良い仕事、創造的な仕事をやりたいと願っていて、それにふさわしい環境に置かれれば誰でもそうするものだ。
創業者のひとり、ビル・ヒューレットはこのように語っている。HP Wayはこうした価値観を体現する行動規範であり、尊敬と信頼に基づく企業文化の原則である。
人的資本経営が注目されるようになったのは近年のことだが、このような概念がまだ一般的でなかった時代に、その精神を持ち合わせ、実践していた企業のひとつといえるだろう。
その理念の実現のため、HP社は人材マネジメントに関する権限を全面的に組織の管理者に委ね、人間が本来もっているポジティブな衝動に働きかけることができるような職場づくりを目指した。社員数が1000人の規模を超えるまで、同社は人事部という組織機能を持たなかったという。
「人事の役割とはなにか」というテーマを考えるとき、当時のHP社の姿は常に眩しい存在でありつづける。人事部門が機能分化や専業特化を模索し、様々なツールやHRテックの試行錯誤を続ける中で、人事部門を置かずに管理者に人事の権限のすべてを委ねるという骨太の方針は、組織運営の本質と人材マネジメントの原点を思い起こさせるものだからだ。
こうした体制のもと、HP社のリーダーの多くは、価値ある仕事ができる環境を整え、社員に機会を与えること、そして、彼ら/彼女らが価値あることをしていると知らせることに管理者としての役割の意味を見いだしていく。
結果として、同社の管理者のやるべきことは至ってシンプルなものとなった。仕事を知ること。そして、人を知ること。この二つが求められることのすべてだった。
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不確かな時代の仕事と学びのデザインの道程は、「インサイド・アウト」の視点に基づいて自身の内面に問いかけることが起点となる。私たちの原点を志向する営みといってよいだろう。
その意味において、前述のHP社の精神に学ぶことは多い。管理者にとって大事なことが「人を知る」ことであるならば、私たち一人ひとりにとって大切なことは「自分を知る」ということ。
では、「自分を知る」とは具体的にどのようなことだろうか? どのような理解が自己認識を高めることにつながるのだろうか?
マネジメント理論とキャリア理論に学ぶ自己理解の要諦
企業のシニアマネジメント(経営陣)に対して「リーダーシップにおいてもっとも重要なことはなにか?」と問いかけると、ほぼ例外なくひとつの答えが返ってくる。それは、セルフ・アウェアネス(Self-awareness)。自己認識、自己理解という意味だ。それほどまでに、「自分を知る」ということの重要性は、マネジメント経験から得られる「生きた教訓」として克明に刻まれている。
歴史を振り返ると、様々なマネジメント論があり、キャリア理論がある。時代の変遷とともに、その内容も変化してきた。ただ、自己理解の重要性については、時代を問わず普遍的であるといえるだろう。ここでは、その代表的な考察を参考にしてみたい。
マネジメント理論の視点: 「自己探求の時代」
ピーター・ドラッカー(Peter F. Drucker)は、「現代経営学の父」と称される。多くのマネジメント概念を確立しているが、私たちに身近なテーマで注目すべきは、知識労働者(knowledge workers)の重要性について言及している点だろう。その論考には、働く者への、厳しくも温かなまなざしが感じられる。
ハーバード・ビジネス・レビュー誌に寄稿された「自己探求の時代」と題する論文をみてみよう。サブタイトルは「知識労働者への教訓―自己の強み、仕事の仕方、価値観を知り、自己をマネジメントする」。
その序文はこんなメッセージからはじまっている。
一流の仕事をするには、これからは、自己を知らなければならない。
自己の強みを知る。仕事の仕方を知り、学び方を知る。価値観を知る。
自己を知ることで、得るべき所がわかり、なすべき貢献が明らかになる。
21世紀に働く知識労働者の寿命は組織の寿命よりも長く、また、労働市場での移動が自由な存在となっていく。自己を知ることによって、訪れる変化への対応が可能になる。これからの社会は知識労働者が自己をマネジメントする社会であると洞察している。
四半世紀も前の論文だが、ロボティクスや人工知能(AI)などのテクノロジーが進展する現代において私たちが直面する状況が喝破されているといっていいだろう。知識労働者(knowledge workers)を「人的労働者(Human Worker)」に置き換えて読んでみると、そのことがよくわかる。
キャリア理論の視点:キャリア・アンカー
キャリア理論においても、自己理解は中心的なテーマのひとつである。
日本におけるキャリア研究にも多大な影響を与えている組織心理学者エドガー・シャイン(Edgar Schein)は、キャリア形成の概念として「キャリア・アンカー」を提唱した。現代のキャリア形成理論やキャリアカウンセリング手法の骨格を成す代表的な概念のひとつであり、企業内のキャリア研修で言及されるケースも多い。
キャリア・アンカーの概念について、シャインは次のように説明している。
あなたがどうしても犠牲にしたくない、またあなたのほんとうの自己を象徴する、コンピタンス(訳注:有能さや成果を生み出す能力)や動機、価値観について、自分が認識していることが複合的に組み合わさったもの。
アンカーとは船を係留する錨のこと。組織心理学の研究においてキャリアインタビューをおこなった結果として、所属する組織や仕事などの外部環境が変化したとしても、個人の内面にはずっと大切にしているものが存在していることが確認された。キャリアの拠りどころといってもよいだろう。自分らしさが発揮できない仕事についていると、なにかに「引き戻されている」ようなイメージがあり、それがちょうど錨につなぎ止められた船のような感覚であったため、キャリア・アンカーと名付けたという。
シャインは、専門・職能別コンピタンス、起業家的創造性、自律・独立など全部で8つのタイプを定義しているが、これらのキャリア・アンカーを決定するのは、自分はいったいなにが得意なのか(コンピタンス)、自分はなにをやりたいのか(動機)、そして、なにをやっている自分に意味や価値を感じるのか(価値観)の三つの要素である。
なお、先の引用において「自分が認識していること」としている点にも着目しておきたい。自己理解とは、あくまでも認識の問題であるからだ。
才能、価値観、モチベーション(動機づけ)要因 - 本質に迫る三つの視点
インサイド・アウトの視点からこれからの仕事と学びのデザインを考えるためのヒントは、どうもこの辺りにありそうだ。
「自分ならでは」の仕事への取り組み方を考えたとき、自己の強みや得意なこと(コンピタンス)に焦点をあてることは理にかなっている。
ドラッカーは、「『仕事の仕方』とは、成果を上げるための仕事への取り組み方のことで、それは人それぞれであり、まさに『個性』そのものである。」と説明しているから、ここでは、これらの概念をまとめて才能と捉えることにしよう。
では、その才能を活かして、取り組みたいこと、成し遂げたいことを心に決める際の判断基準となるものはなんだろうか?
このような観点においては、価値観、つまり、どのようなことに意味や価値を感じ、なにを大切にしたいかを自身に問いながら意思決定し、行動することの重要性を指摘しておきたい。
さらに、才能を発揮し、価値観を体現しようとするとき、その駆動力となるものはなにか? 行動を駆り立て、持続させ、より一層の情熱や喜びを呼び起こすものはなんだろうか?
そのように考えると、もうひとつの要素は、湧きあがる衝動の源泉となる動機づけ(モチベーション)要因となる。
自分「探し」はしない
自己理解は「自分探し」ではない。「探す」という行為には、あるかどうかはわからないものを探し求める、持っていないものがどこかにあるだろうと探しにいく、といったニュアンスがある。
これに対して、私たちに求められているのはインサイド・アウト志向での行動である。それは、内なる多様性としてすでにあるものや持っているものに目を向けて、それらを手がかりにして気づきを得るということだ。
I do not seek, I find.
探すんじゃない、見いだすんだ。
スペイン生まれの画家が遺したこの言葉が、仕事と学びのデザインにおける自己理解の指針となる。
次回は「才能」について掘り下げてみたい。