#009 「なんでもできる」を捨てる。「なんだってできなきゃ」から抜け出す。
※本稿は前後編の後編です。前編はこちらをどうぞ。
さて、後編では、役員スキルマトリックスの話をしたい。
役員スキルマトリックスとは、取締役会に必要なスキルを分野ごとにまとめ、どの取締役がどの分野について知見や専門性を備えているかを表形式で可視化したもの。経営戦略の実現に向けて取締役会体制が適切であるかどうかの判断材料となる。
「そんなガバナンスの話の、どこがおもしろいの?」という声もあるかもしれない。そう、役員スキルマトリックスの多くは、はっきりいって、おもしろくもなんともない。だいたいがこんな感じだ。
縦軸に役員名、横軸に定番のスキルや経験領域が記述され、該当する部分にチェックがはいっていて終わり。コーポレートガバナンス・コードの開示要求に応えるためのもの、といった感が拭えない。
ところが、丸井グループの統合報告書にみる役員スキルマトリックスは、そんなイメージを払拭する出来映えのコンテンツとなっている。
丸井グループの役員スキルマトリックスはなにが違うのか?
具体的には次のような内容で、他社との明確な違いは三点に要約される。
1)クリフトンストレングスでの上位の資質が示されている
クリフトンストレングス®は、ストレングスファインダー®という呼称の方が馴染みがあるだろう。米国ギャラップ社が開発した才能診断ツールである。
ここでいう才能とは、無意識に繰り返し現れる思考、感情、行動のパターンのこと。自身の才能(資質)を知り、強みとして発揮することがパフォーマンスの向上につながる。個人の能力開発やチームビルディング、組織開発の分野で広く活用されている。
これまで80社ほどの統合報告書をみてきたが、クリフトンストレングスに言及した役員スキルマトリックスは他に例をみない。
役員の「顔が見える」
役員スキルマトリックスに個人の特徴的な資質(TOP5)が登場することによって、どんな効果がもたらされているだろうか? それは、役員の顔が見えるということだ。
たとえば、青井社長の上位資質は、未来志向、着想、学習欲、信念、個別化。未来を描き、ビジョンを語る。独創性を発揮し新たなアイデアを考える。学習意欲が旺盛。核となる価値観を持つ。「個」を尊重し、一人ひとりの違いに着目する。
このような特性を頭に入れて統合報告書冒頭の社長メッセージを読むと、「なるほど。こういう資質の持ち主だから、こんなふうに考えるんだな」と納得できる。資質が強みとして発揮され、その仕事ぶりに如実に現れていることもわかる。
クリフトンストレングスが初登場した2020年のレポートをみると、自身の診断結果をそれぞれに受け止める役員の姿がある。
診断結果を得て自己理解が進むのはもちろんのこと、他者の特性にも目が届き、一人ひとりの違いに気づきがあり、チーム内での自身の役割認識に至っていることがわかる。
チームとしての補完・協働の意識が芽生える
役員スキルマトリックスの目的は、それぞれの経験や強みの可視化によって、経営機能に多様性が確保されているか否かを示すことにある。それは同時に、役員相互の補完関係の有無の判断にもつながる。
クリフトンストレングスの第一歩は、自分が当たり前のようにできることを知ること。そして、次のステップは、それを強みとして活かす術を身につけること。強みを知ることは、同時に「強みでないこと」を知ることでもある。その結果、強みでないこと、得意でないことについては他者の力を頼みにするという発想が生まれる。「なんでもできる」の思い込みから慢心が消える。「なんだってできなきゃ」の完璧主義から解放される。それによって、チームとしての補完関係を生み出すそうとする意識が芽生える。これがクリフトンストレングスの醍醐味でもある。
レポートには、以下のような集計結果や、経営チームとしての特徴や強みの分析も掲載されていて読み応えがある。
多様性の確保や補完関係の醸成といった目的に対して適切なツールが選択され、その価値が十分に活かされている、といってよいだろう。
部下の立場からコミュニケーション作戦会議だってできる
また、クリフトンストレングスの公開は、社員にとっても得るところが大きい。
たとえば、CFOの加藤さんの資質の上位は、調和性、分析思考、責任感、公平性、個別化。こうした特性を考慮すれば、「加藤さんに決裁を求める場合は、ステークホルダーのニーズをきちんと理解し尊重した上で、その協力が確実に得られることが伝わるようなロジックのある提案でないとな。」といった考えに立つこともできるだろう。
もちろん、そんな見立てが常に正しいとは限らない。目論見がはずれることだってあるだろう。そのひとのすべてが上位5つの資質で理解できるわけではないし、イントラパーソナルダイバシティー(内なる多様性)を鑑みれば、わたしたちは思った以上に多面的な存在なのだから。「あ、そうなんだ。今回はちょっと違ったか・・」というケースだってあり得る。
ただ、クリフトンストレングスの診断結果が公開されることによって、このようなオープンで健全なコミュニケーション作戦会議がなされていそうな感じもあって、そんな社内の雰囲気を想像をするのもまた楽しい。
2)独自スキルを定義し、別項として示している
丸井グループでは、経営戦略立案やイノベーションなど役員スキルマトリックスではお馴染みのスキルに加えて、フィンテック事業の経験・知見や新規事業、スタートアップ投資など、中期経営計画実現のために必要な当社独自のスキル (知識・経験・能力)を設定している。
独自スキルを別項として切り出しているのは、これまで読んだ統合報告書の中では、カゴメ、村田製作所にその例がみられる程度だ。
役員スキルマトリックスは、コーポレート・ガバナンス・コードの要請に基づくものであり、上場会社経営に一般的に求められる要件(知識・経験・能力)を取締役会として有していることを示す必要がある。
このようなニーズを充足させることが優先される一方で、企業としての価値創造ストーリーの実現に向けて欠くことのできないスキルが選定され、適切に定義されているかという点については、全般的に物足りなさがある。その点において満足できる役員スキルマトリックスは少ない。
これに対して、同社は、2050ビジョンの実現に向けて「どのようなコア・コンピタンス(他社に真似のできない核となる能力。独自の強み)が競争優位をもたらすか」について明確な認識があり、その強みを発揮する要件として独自スキルを定義している。
現在の役員スキルマトリックスは2021年に改訂されているが、見直しに向けての取締役会でのディスカッションの様子を同年の共創経営レポートにおいてまるまる1ページを割いて紹介している。
決定までの経緯や判断基準の透明性が確保されていて、コア・コンピタンスと取締役に求める独自スキルに一貫性があることから、同社の成長シナリオの実現可能性への信用度を高める効果をも生み出している。
3)スキル設定根拠を具体的に記述している
一般的な役員スキルマトリックスは、氏名とスキルのマトリックスに終始していて、役員個人にそのスキルが備わっていることを示す根拠の記載はみられない。
いわゆる職務経歴書的な一覧が添えられている例はあるが、履歴書の一部がコピペされたイメージだ。「管理本部長」とか「経営企画部長」などの職歴が記載されていても、その職位にあったときに、どんなビジネス課題に直面していて、どんな貢献があったのかは、まったくもってわからない。ましてや、部長職を10年務めた経歴が示されたからといって、何かしらの判断につながるわけでもない。履歴書を見ただけでは採用可否の判断ができないのと一緒だ。
一方で、丸井グループの場合は、前掲したようにスキル項目ごとにこれまでの貢献のハイライトが示されている。そのスキルを有する根拠が明示されることによって、その信頼度は格段に違ってくる。これまで確認した統合報告書でも、ここまで詳細な根拠が示されているレポートはない。
このような方式を採用しているという事実は、同時に、表面的な経歴で人を評価するのではなく、具体的な経験としての実績や貢献を重視する同社の人物評価観が反映されているようにも思える。
社員の視点から眺めてみると、社内の仕事の地図と取締役レベルに求められる経験の関係が可視化され、そのつながりが意識されることによって、自律的なキャリアデザインの道標とすることもできるかもしれない。
丸井グループの統合報告書に魅せられた理由(まとめ)
最後に、丸井グループの統合報告書に魅せられた理由をまとめてみたい。
インサイド・アウトである
統合報告書の目的は、一義的には「投資家からよい評価を得るため」である。よって、多くの場合はアウトサイド・インのつくりになる。
一方、丸井グループの場合は、その目的を押えた上で、社員を含めたステークホルダーとのコミュニケーションツールと位置付けている。
企業として実現したいビジョンが明確にあって、その思いはどこからきているのか、社会課題と向き合ったときなにを大事にしたいのか、それはなぜか(WHY)を余すところなく伝えようとしている。私たちの心を揺さぶる理由がそこにある。
既存の概念に囚われることなく、一般的な統合報告書からの脱却が制作方針とされていることからも、インサイド・アウトのアプローチといってよいだろう。
現状に満足しない
2015年からスタートした「共創経営レポート」は進化を続けている。
たとえば、役員の多様性検証のためのアプローチにも「これでよし」とする現状維持の気配はなく、常により良いものを求めていることがわかる。
当初は役員の顔写真と経歴書を並べた、いわゆる「役員一覧」のような形であったものが、2019年に発行したVISION BOOK 2050を契機として役員スキルマトリックスの作成に取り掛かっている。
取締役会の多様性を示すリファレンスにも試行錯誤が伺える。
VISION BOOK 2050では、ベーシックキャラクター(活動的、内向的など)、行動パターン(シンキング、フィーリングなど)、上司・同僚・部下による360度評価の結果。
共創経営レポート2019では、MBTIタイプ(ユングのタイプ論をベースとする国際規格に基づいた性格検査)。
共創経営レポート2020で、今回紹介したクリフトンストレングスを採用。現在に至っている。
特筆すべきことは、2019年の最初の試みの時点で、すでに「今後、各項目の定義も踏まえ、改善改良を行いながら、マネジメントの質の見える化を図っていきます。」と宣言していることだ。
「最上志向」をチームの特性にもつ経営陣の「お互い(まわり)の才能や強みを見抜き、相互活用することで、最高の水準を追求していく」姿勢が、編集方針にも現れているのかもしれない。
そこには、常に向上することを目指す仕事への取り組み姿勢がある。
遊び心があり且つ本気である
レポートの終盤、コーポレート・ガバナンスのパートには、経営陣が嬉々として自らのフロー体験を語るコーナーがある。どれも身近な話ばかりだ。
ゴルフや乗馬、登山、バスケットボールなどのスポーツ、オペラや絵画などの趣味への没頭は、なるほどとおもえるストーリーだが、なかには、ドライブ中の助手席の愛犬の姿に夢中とか、温泉でのんびりしているときなど、「それって、フロー?」と突っ込みたくなるようなストーリーもある。ただ、そもそもが等身大なのである。背伸びをしていない。
経営陣からのメッセージとして、たとえば、企業の行動規範(バリュー)である「顧客第一」を”私はこんなふうに実践しています”ともっともらしく語られる形式もあるが、それとは明らかに違う。取り繕ったような匂いがしない。遊び心がありながらも、オーセンティックな向き合い方が感じられる。
各自のカジュアルなスタイルでの写真が掲載されたページの注釈に「役員の持ち物・衣装は、すべて本人私物」とあるのもまたよい。
もちろん、これらすべてが意図したことかどうかはわからない。筆者の確証バイアスも働いているだろうし、好意的な解釈が過ぎるかもしれない。
ただ、もしそうだとしても、同社が目指すところの「コミュニケーションツール」としての役割は十二分に果たしているといえるだろう。
クオリティの高い仕事は、顧客の期待値をも押し上げる。どんどんハードルは高くなる。それでも、そんなハードルを軽々と跳び越えていってくれるようなレポートであり続けてほしい。そう願っている。
参考:
丸井グループ広報部門によるレポート制作裏話はこちら。