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【推し活翻訳・古典翻訳1作目】My Robin、勝手に邦題「わたしのロビン君」

きょうは、フランシス・ホジソン・バーネットの没後100年にあたります。子どものころ、なんども読み返した『秘密の花園』への思いをこめて、日本ではあまり知られていない、『My Robin』の全文を翻訳して掲載します。この作品は、『秘密の花園』の翌年に発表された短編で、そこに登場するコマドリのモデルが主役です。2012年に翻訳学習者向けのウェブサイトでご紹介いただいた思い出の訳文を改稿しました。小さな宝石のような物語、お楽しみいただければ幸いです。(約1万4千字)©2024 佐藤志敦@推し活翻訳家


わたしのロビン君
フランス・ホジソン・バーネット作

 読者のみなさんからいただいたお手紙のなかでも、去年の春に届いた一通には、とても感動しました。うれしいことがたくさん書かれていただけではなく、胸がはっとする素敵な質問があったのです。手紙をくれた方は、『秘密の花園』を読んでいて、こうたずねてくれました。
「ほんもののコマドリを飼っていたんでしょう? だって、あの子がただの空想だなんて、とても信じられません。きっと、あなただけのコマドリがいたんですよね」
 ぞくぞくっと体がふるえました。ええ、そのとおり。確かにわたしは、イングリッシュロビンと呼ばれるコマドリたちと、とても仲が良かったのです。手紙のお返事には、できる限りのことを書いて説明したのですが、これから、みなさんにもくわしくお話ししますね。

 ロビン君は、わたしのものではありませんでした。わたしがロビン君のもの——いいえ、きっと、お互いにお互いのものだったのです。あの子は、たしかにイングリッシュロビンでしたが、ひとりの「人間」でもありました。ただの小鳥などではなくて。
 イングリッシュロビンは、アメリカで「ロビン」と呼ばれるコマツグミとはぜんぜん違います。もっと小さくて、見た目もまったく似ていません。体つきは上品にふっくらと丸く、脚は繊細でほっそりとしています。身のこなしも驚くほど魅力的で、まるで小さな貴族のようなのです。瞳は大きく、黒々と露にぬれたようですし、まん丸の胸には、ぴったりした赤いサテンのチョッキを着ていて、首をかしげるしぐさも、翼の動きひとつひとつも、本当に胸をうつ愛くるしさです。
 それに、びっくりするほどうぬぼれ屋で——おまけに、とても知りたがり屋で——なにがなんでも人の気を引こうとし、自分より冴えないだれかが注目されようものなら、ひどいやきもちを焼いて、魔法のような可愛いしぐさで人の心をかき乱すことさえあります。そんなときは、もうだれも抵抗などできません。コマドリ、とくに、イングリッシュロビンと仲良しになるのは、教養のひとつだと思います。

 このお話のロビン君は、イギリスのケント州にある、わたしのバラの花園に住んでいました。そこで卵からかえり、少なくとも最初の夏が終わるまでは、花園が世界のすべてだと思っていたはずです。花園は美しく神秘的で、手入れがいきとどいた果樹が立ち並ぶ古ぼけた赤いレンガの壁や、その先に雑木林が広がる月桂樹の生け垣に囲まれていました。
 わたしは、幹のねじれた老木の木陰に座り、お話を書くのを日課にしていました。木肌は苔で灰色ですが、花綱で飾ったようにバラの花につつまれる木です。街から遠く離れていたので、穏やかな静けさは、夢のように申し分ありませんでした。こうして書いていると花園のことをお話ししたくなりますが、いまは、ロビン君のことをお伝えしなければ。花園の話は、また次の機会にしましょう。

 この花園には、翼のある子や毛皮を着た子がたくさんいましたが、わたしが本当に静かに座っていたので、だれも、わたしのことなどちっとも気にしていませんでした。ですから、ある夏の朝、ふと顔を上げたとき、一羽の小鳥が一ヤードほど先の草むらでぴょんぴょんはねているのを見つけたときも、それほど驚きはしなかったのです。
 驚いたのは近くにいたことではなくて、飛び立ってしまわなかったこと——いいえ、なにか思いめぐらせているようすで、小さくぴょんぴょんとびはねながら、わたしを見つめていたことでした。それも、いいかげんな感じの盗み見ではなく、人間が、初めて会った人と、ちょっとお近づきになってみようかと考えているような感じです。
 あとになって、そうに違いないと思いあたったのですが、ロビン君は、わたしが人間だとは知らなかったのです。花園の世界で人間に会ったのは、わたしが初めてだったのでしょう。だから、わたしを別の種類のコマドリだと思ったのです。ええ、そうなんです。だれにも内緒で、だれひとり知る人はいませんでしたが、わたしもコマドリだったのです。その証拠に、わたしには「じっとしている」ことができました。愛らしい野生の生きものが近づいてきたときには、本当にじっとして、相手がうっとりするほどの優しい気持ちで迎えることができたのです。
「どうやったら、あの子とそんなふうに仲良くなれるの?」ひと月ほどたってから、そう聞かれたことがあります。「いったい、どうやって?」
「よくわからないけれど」とわたしは答えました。「ただ、とても静かにして、自分はコマドリなんだと思っているだけよ」

 小さな野生の生きものは、とても傷つきやすく臆病で繊細ですから、そんな子にしてあげられるのは、愛情をこめて、できるだけ優しく接することだけです。驚かせたり、「危険な相手かも」と思わせたりしないように細心の注意を払い、その子がなにを望んでいるのか、怖がってはいないか、どうして欲しいのか、相手の気持ちをわかってあげたいと心から思えば、だれでも少しの間、ふつうの人間にない鋭い感覚が備わって、言葉を使わずに気持ちを伝えられるようになるのです。
 
 座って小鳥を観察しながら、わたしはじっと動かず、ちょうどそんなふうに感じていました。はじめから、あの子がコマドリだと知っていたわけではありません。本当は、もう少し大きくなるまでコマドリらしくならないのですが、そのことも知りませんでした。わかっていたのは、ツグミでも、ヒワでも、スズメでも、ムクドリでも、クロウタドリでもないということ。小さな体の色はぼんやりとしていて、胸もまだ赤くはありませんでした。
 わたしが座って見つめていると、向こうも見つめ返しました。なんの先入観もない感じですが、ひょっとしたら、ほんの少し、わたしに興味があるのかもしれない、そんなふうにも見えました。そして、ぴょんぴょん、ぴょんぴょんと、とびはねていたのです。

 それは、ぞくぞくする驚きの体験でした。ここの小鳥はみんな、わたしはちっとも危なくないとちゃんとわかっていましたが、それでも、ぴょんぴょんはねまわって、ずっとそばにいたりはしないのです。もちろんちょっとの間なら、草や、近くの枝にとまることは珍しくありませんが、さえずったり、ちいちい鳴いたり、動きの素早い金緑色の虫を捕まえると、飛んでいってしまいます。こんなふうに近くでようすをうかがったり、なにか考えこんだりすることもなく——ひょっとしたら、思い切って仲良くなってみようと考えているのかしら、それでこんなにびっくりするほど近づいてくるのかしら——そう思わせることもなかったのです。
 それに、自分から近づいてくる小鳥の話など、愛鳥家の人たちからも聞いたことがありませんでした。小鳥というものは大切にされ、こまやかに気を配った愛情があってはじめて、友だちになれるような生きものなのですから。

 わたしは、少しも動かずにいました。もっと一緒にいてくれるかしら? 次のジャンプでもう少しこっちへ来てくれないかしら? まあ、ほんとに来たわ。思わず息をのみました。そして思いました。きっと、もっとそばに来てくれるはずよ。ほら、こっちへぴょん。もうひとつぴょん。ぴょん。とうとう、手を伸ばせば届きそうなくらい近づいて、その距離を保ったまま、落ち着いたようすで足もとをとびはねながら、怖れを知らない瞳で、わたしをじっと見つめています。
 これが、二人の出会いでした。大騒ぎするほどのことではないのかもしれません。でも、愛らしい野生の生きものが、自分から近づいて来てくれるなんて、感動で全身がふるえるほどでした。

  ぴくりともしないまま、わたしはロビン君に、そっと優しく、小さな声をかけはじめました——とても静かに、本当に優しくなでるかのように、そう、赤ちゃんに話しかけるよりもっと優しく。その呪文で心がつながって、魔法のような奇跡が起きないかと。そして、そうしている間にも、ロビン君は、はねながら少しずつ近寄ってきました。
「まあ! そんなに近くまで来てくれるの!」わたしはささやきかけました。「わかっているのね。わたしが手を出したり、ちょっとでも怖がらせたり絶対にしないって。本当は人間だからでしょう? かわいいかわいい小鳥さんでもあるけれど、魂を持つ人間だからわかるのね」
 この朝の出会いのおかげで、何年もたってから、まさにこれが、『秘密の花園』のメアリーお嬢さんが、花園へ続く散歩道にしゃがんで「コマドリの鳴き声をまねした」ときの気持ちだったと気づきました。

  ずっとささやき声で話していたのが、コマドリの鳴き声のように聞こえたに違いありません。なぜって、ロビン君は面白そうに聞き入り、そして、とびっきりの奇跡が起こったのですから。ぱっと羽ばたいて、わたしの膝から二ヤードたらずの小さな灌木にとび移り、そのお話は気に入ったよとでもいうように、そこにちょこんと座ったのです。
 もちろんわたしはぴくりともせず、ロビン君がくつろげるように、じっとしていました。素晴らしい宝物が目の前にあっても、指一本動かしませんでした。
 たぶん三十分ほど、わたしたちは一緒に過ごし、そしてロビン君は姿を消しました。どこへ行ったのか、本当はいつだったのかもわかりません。バラの茂みの間をとびはねていると思っていたら、いつの間にかいなくなっていたのです。

 実は、ロビン君は出会ってからずっと、このちょっと謎めいたやり方をとおしました。何か月もの間、とても仲よく過ごしたというのに、どこに住んでいるかは決して教えてくれなかったのです。わかっていたのは、バラの花園の中だということだけ。臆病なせいでないことは、はっきりしています。あとでじっくり思い返してみて、こうではないかと思いついたことがあります。
 ロビン君はバラの花園で生まれ、そこが大好きでした。だから、家族が初めてレンガの壁の向こうのバラが咲く散歩道や、月桂樹の生け垣の向こうのキジがねぐらにする茂みへと飛び立つときに、一緒に行こうとしなかったのです。そして、バラの世界にとどまり、ひとりぼっちになりました。お父さんも、お母さんも、きょうだいたちもいなくなって、孤独でさびしい気持ちになったことでしょう。そんなとき、ある生きものを見つけたのです。きっと、自分とは別の種類のコマドリだと思ったに違いありません。そして、そのコマドリが、どんなことを話すか知りたくて、近寄ってきたのです。
 そのコマドリの仕草を見ていると、なんだか自信がわいてきました。うまく説明できないけれど、うっとりするような優しい音をたてていて、自分と仲良くなりたいという気持も伝わってきました。とても風変わりで、すごく大きくて、ふつうの巣にはまるでおさまりきらないし、飛ぶことすらできません。でも、意地悪そうなところは少しもありませんでした。本能的にわかりました。自分のことを気に入り、もっと一緒にいて欲しいと思っているのです。そして、その優しさにふれていると、なんだかとてもほっとしました。ロビン君は、そのコマドリのことが好きになり、もうさびしくは感じませんでした。そして、きっとまた会いに来ようと思いました。

 次の日は、夏の雨のせいで出かけられませんでした。そしてその翌日、わたしは朝のうちにバラの花園へ出かけ、お気に入りの木の下に腰かけてお話を書いていました。三十分もしないうちに、なにかを感じて目を上げました。すると、小さな、ぼんやりとした色合いの小鳥が、草の間を静かにとびはねていたのです——ぬれたような輝く瞳でこちらをじっと見つめているので、わたしのことをちゃんと覚えているのがわかりました。また来てくれたのです。自分から。なぜって、わたしたちは大切な友だちだったから。
 わたしたちの出会いは、小さな作品にでもならなければ、お話しするようなことではない、二人だけものでした。あの瞬間から、わたしたちは、ほんの一瞬たりとも相手を疑うことはありませんでした。お互いを心から信頼していたのです。
 毎朝、バラの花園へ行くとロビン君が会いにきて、大きさも形もふつうと違う、とても変わったコマドリについて、次々に新しい発見をしました。自分では気づいていませんでしたが、ロビン君はわたしに夢中だったのです。わたしがじっとしたまま、愛情いっぱいの優しさでコマドリの鳴き声をまねると、毎日少しずつ近くに来るようになりました。そして、とうとうある日、わたしがそっと立ち上がって花園を歩きまわると、その後ろをおとなしくぴょんぴょんついてくるようになったのです。

 ロビン君がコマドリだと気づくまでに、どのくらい時間がかかったでしょう。鳥博士なら、ひと目で正体を見破るのでしょうが、わたしにはそうはいきません。でも、ある朝のことです。ローレット・メッシミーというサンゴ色のバラの花壇のそばでかがんでいると、ロビン君が、あの魔法のようなやりかたで、いつの間にかそばに来ていたのに気づきました。目を上げると草の中にいたので、ぎりぎりで体の動きを止めました。動いたりすれば、なにもかも台なしですからね。そして、ロビン君の胸のあたりが、うっすらと色づきはじめているのを見つけたのです。そのときには赤というより黄褐色に近い感じでしたが、それがヒントになりました。
「これ以上かくしたってだめよ。もうわかっているんだから。あなた、コマドリなのね」
 ロビン君は、そのときも、それからも、否定しようとはしませんでした。そして、ものの二週間もしないうちに、小さな体にぴったりと合った、ぴかぴかの、真っ赤なサテンのチョッキを披露してくれたのです。まるで、初めて礼服を着た若者のように、少し大人っぽく見えました。動きかたも元気よくしっかりとしてきました。ときどき飛ぶ練習をしたり、さえずりのような音をたてたりしはじめましたが、本格的に歌いだすのは、もうしばらく先のようでした。
 初めのうちは、足もとの草の間にひょいと現われていたロビン君ですが、天使のような小さな羽ばたきの音を響かせてやって来るようになりました。わたしの頭の上の枝や、すぐ近くの小枝にとまって上品に首を傾けて、言葉は話さないけれど、いつもとても軽やかな動きでおしゃべりを楽しむのです。
 話すのはいつもわたしでした。たとえば、あなたのこと大好きよ、赤いサテンのチョッキがとてもお似合いね、なんて大きくて輝く瞳なのかしら、ほっそりとした脚が本当に繊細で優雅ね、とほめちぎるのです。ロビン君は、おだてられるのが大好きでしたが、いちばん嬉しかったのは、まちがいなく、なんて言ったらいいかわからないくらい素敵よ、と言われることでした。わたしが上手にほめたので、自信がついたのです。

 あれは、本当に気持ちよく晴れわたった朝のことでした。わたしたちはこの日も、ローレット・メッシミーのそばでおしゃべりをしていて、ロビン君は見るからに、わたしの言葉にとても気を良くしていました。わたしの帽子を気に入ってくれたようです。白くて大きくて、帽子の山のところにぐるりとバラの花輪がついているのですが、ロビン君が帽子をじっと見ているのに気づいて、あなたが気に入ってくれればと思って選んだのよ、とほのめかしたのです。
 わたしは、手に摘んだサンゴ色のバラで、のんびりと花束を作っていました。と、ロビン君が翼をぱっと広げて飛び立ち、さっとひと飛びすると、帽子のバラの間にとまったのです。わたしがかぶっている、その帽子に。
 そのとき、わたしはじっとしていたと思いますか? 髪の毛一本でも動かしたでしょうか? そのとおり。息だってほとんど止めていたくらいです。こんなに嬉しいことが起こるなんて、本当に信じられませんでした。
 でも、すぐに気がつきました。ロビン君が怖がって動けなくなるなんてことはなかったのです。すっかりくつろいだようすで、つばの上をぴょんぴょんととびまわり、バラの花をそっとつついて調べていました。わたしが帽子の下にいてくれるというだけで、怖くはなかったのでしょう。わたしなら大丈夫だと、よくわかっていたのです。そして、花園つきの帽子について好きなだけ調べつくすと、軽やかに飛び去っていきました。

 そのことがあってから、わたしたちは毎日いっそう仲良くなっていきました。ロビン君はわたしの目と鼻の先にある梢にとまって、わたしがささやきかけるのを聞くようになりました——そう、わたしの話をちゃんと聞いて、ちいちい答えてくれたのです。そうとしか言いようがありません。
 わたしがお話を書いていると、原稿用紙の上に舞い下りて、それを読もうとしました。ロビン君が気を悪くしたこともあったと思います。字があまりに下手くそで、なんて書いてあるのかわからないよ、と。わたしの手からパンくずをついばみ、わたしが座っている椅子や、わたしの肩にとまりました。わたしがツタに覆われた花園の小さなドアを開けたとたん、可愛らしくてすばやい羽ばたきとともに出迎えてくれました。そうやって、いつもどこからともなく現れ、どこへともなく姿を消すのでした。

 あの夏の間ずっと、ロビン君は本当にうっとりするほど魅力的でした。たぶん、ほんもののコマドリではなかったのです。きっと、妖精だったのでしょう。真実はだれにもわかりません。
 うちにお泊りになったたくさんのお客様の間でも、ロビン君は話題の的でした。会ったことのない人もロビン君のことを知っていましたし、お客様はいらっしゃるなり、「バラの花園へ行って、ロビン君に会える?」とたずねるのが当たり前になりました。アメリカ人のお友だちのなかには、いたずら妖精の小鬼が小鳥に化けているに違いないと、「ゴブリン・ロビン」と呼ぶ人もいたほどです。こんなに人間のことを知りたがる生きものが、ただの小鳥であるはずがないというのです。
 お客様を花園へお連れしたときには、ロビン君は、それはもう、とってもお行儀よくしていました。わたしが木の下で呼ぶと必ずやって来てくれましたが、一人のときのように小さなドアを開けたとたん、そこでお出迎えしてくれることはありません。お客さまと一緒のときも近くで話しをしてくれるのですが、いつもとは違いました。すっかり心を許すのは、わたし一人のときだけ、と決めていたのです。

 ロビン君がいつさえずり始めるか、わたしは楽しみにしていました。そんなある朝、日差しがとても強くて、木の葉をとおしても眩しく感じるほどだったので、大きな日本の日傘を立て、テーブルの上に日陰を作ってお話を書いていました。するとふいに、コマドリのさえずりが聞こえました。ふるえるような歌声が、少し離れた木のあたりから聞こえてきます。とても素敵だったので、身を乗りだし、歌い手がどこにいるのか確かめようとしました。
 すると、なんと嬉しいことでしょう。歌い手は木にとまっていたのではありません。大きな花のような傘の、竹でできた骨の端にいたのです。わたしのロビン君でした。彼は初めての歌を、わたしのために歌っていました——えっへん、どんなもんだい、とでもいうように。
 遠くから聞こえるように感じたのは、不思議なことに「くちばしを閉じたまま」歌っているせいでした。愛らしい深紅ののどをふくらませたり、ふるわせたりして、まるでそこに、さえずりを閉じこめているかのようでした。

 コマドリが初めてさえずる時は、これがふつうなのでしょうか。わたしにはわかりません。でも、これがロビン君の最初のころの歌い方でした。わたしは、あんまり素敵でうっとりするほどよ、とほめちぎりました。おだてて、ロビン君を喜ばせたのです。きっと自分が、この世で最初にさえずったコマドリだという気分になったことでしょう。とても嬉しそうにテーブルの上におりてきて、ほめ言葉を聞きもらすまいとし、そして、もっとほめてよと催促するのでした。
 何日もしないうちに、歌声は完璧になりました。もう低く遠い音ではなく、くちばしを開けて、高く低く、強く弱く、巧みに調子を変えながら、みごとな歌声を響かせます。どんどん自信もついてきました。わたしが忙しそうにしていると、近くの枝にとまって首をかしげ、誘うように声高らかに歌いだすのです。この世には、自分の歌声にあらがえる人など、だれもいないとわかっていました。
 もちろん、わたしは席を立ってロビン君がとまっている木の下まで行き、顔を上げてこう言うのです。なんて愛らしくて素敵で、うっとりするくらい素晴らしいのかしら。どんなに愛しているか、言葉にできないくらいよ、と。ロビン君はそうなることを知っていて、それを大いに楽しんでいました。その可愛らしい優雅な歌声、わたしを夢中にさせる奥の手が、つきることはありませんでした。毎日新しい歌を覚え、そのひとつひとつが、前の歌よりいっそう心をとらえて離さないのです。

 わたしがどんなにロビン君に首ったけで、彼の思いのままなのか——ほかのコマドリに自慢話をするようなことがあったでしょうか? わたしには、そうは思えません。それに、よそのコマドリが近寄ってくるのを見たこともありませんし、バラの花園を通りがかったときに挨拶でもしていこうかと、ちょっと立ち寄るコマドリもいませんでした。ところがあるとき、とても奇妙な出来事が起こったのです。
 わたしはテーブルについて、おなじみのちいちいという声を聞かせに来てくれるロビン君を待っていました。ふと目をあげると、近くのリンゴの木にとまって首をかしげています。わたしは口笛とさえずりで挨拶をして、ロビン君が、いつものように楽しくおしゃべりしに枝からおりてくるものとばかり思いました。ところがロビン君は、ちいちいと答え、愛想よく小首をかしげこそしたものの、そこから動かないのです。
「どうしちゃったの? さあ、おりていらっしゃいな、おチビさん!」
 それでも、おりてきません。枝の上をちょっと行ったり来たりしてさえずりましたが、枝を離れようとしないのです。そこで、めったにないことなのですが、わたしのほうが立ち上がって彼のところへ行きました。見つめているうち、奇妙な気分になってきました。トゥィーティー(わたしがつけた秘密の洗礼名です)のように見えますし、首をかしげて羽をぱたつかせ、さえずるようすも似ています。でも、別のコマドリが、トゥィーティーになりすましているのかしら? よそのコマドリなの?
 でも、見ず知らずの小鳥が、こんなに親し気にするなんてありえないでしょう。これほど近づいて、いつもの優雅な雰囲気でさえずりかけてくるなんて。わたしは、狐につままれた気分でした。なんとかして枝からおりてくるように誘ってみましたが、うまくいきません。わたしの声に耳を傾け、嬉しそうに尾羽を上下に振るのですが、あいかわらず枝にとまったままです。「いいわ」わたしは、とうとう言いました。「あなたのこと、信用しないから。おかしいわよ。わたしを知っているって見せかけているだけで、本当は怖がっているみたい——どこにでもいる、ただの小鳥みたいよ。あなたなんかトゥィーティーじゃない。偽者なんだわ!」

 信じてもらえるかどうかはわかりませんが、枝の下で、なじったり、なだめすかしたりしたあげく、すっかり途方に暮れていたまさにとき、どこからともなく、鋭い真っ赤な怒りの矢が放たれました。ほんもののトゥィーティーが怒りに羽をふるわせ、烈火のごとく飛んできました。枝にとまっているコマドリはやっぱり偽者で、トゥィーティーは、赤いサテンのチョッキを見せびらかしている現行犯を発見したのです。
 まあ、なんという光景でしょう! 北欧神話の戦士ベルセカーのように、小さな体に怒りをみなぎらせ、厚かましい侵入者へ向かっていきます。とびかかって脚でけりつけ、翼で打ちすえ、つつき、ひどい言葉を浴びせて、偽者を枝から追い払いました。そして、木から木へと攻撃をかわして逃げるひきょう者を追いまわし、ついにはバラの花園から追い出し——月桂樹の生け垣を越えて、雑木林のキジのねぐらまで追い立てていったのです。もしかしたら、よそ者の息の根を止め、わたしの目の届かないワラビの茂みに置き去りにしたのではないでしょうか。

 けれど、勝負がついてしまうと、ロビン君は、ちゃんともどって来てくれました。ただ、全身で息をつき、体をふくらませ、殺気立った目つきは、やっと落ち着きを取りもどしはじめたばかりです。テーブルにとまると、息を切らして乱れた羽をせわしなく整えながらも、とっても腹を立てていて、まるで納得がいかないようすです。あんな奴にだまされそうになるなんて、君ってなんて間抜けなのさ? あきれるよ、と言っているのです。
 その怒りのすごいこと。わたしはすっかり怖くなって、血の気が失せてしまいました。そこで、賢い女性ならそうするように、ちょっと気をつかって、なんとかなだめようとしました。
「もちろん、本当にあの鳥をあなただと思ったりしたんじゃないわ」わたしの声はふるえていました。「どこをとっても、あなたのほうが上だったもの。チョッキはあなたの足元にも及ばないし、瞳だってあなたみたいに魅力的じゃなかった。脚も、優雅で繊細というにはほど遠かったし。それにくちばしよ、あれで最初におかしいと思ったの。聞こえていたでしょ? わたしがあの鳥を偽者って呼んだのを」
 トゥィーティーはやっと耳を貸してくれるようになり、少し落ち着いて、だんだん怒りもおさまってきました。そして、機嫌を直してわたしの手からパンくずをついばみました。

 そのうちに、いったいどうしてこんなことになったのか、二人とも気づきました。あの偽者は、わたしたちのことをこっそり観察していたのです。きっと、幸せそうなようすがうらやましかったのでしょう。そして、暗くよこしまな考えが弱い心に忍びこみ、あの大胆不敵な悪党はわたしをだまし、自分がただのコマドリではなく、「ロビン君」——わたしのトゥィーティーその人だと信じこませ、仲良くなろうと思いついたのです。でも、偽者は外の闇の世界へと追い払われ、わたしたちは再び一つになりました。

 実を言うと、ロビン君は相当のやきもち焼きでした。花園のことをよく相談する庭師の親方が相手でも、とても気を使わなければなりません。親方がバラの花園に呼ばれると、ロビン君もすぐに現れるのです。
 そして、草の間や、バラの茂みから茂みへぴょんぴょんととび移って、わたしたちを追いかけます。会話は一言も聞きもらしませんでした。肥料やアブラムシの話に夢中になって、つい気持ちが入りかけでもしようものなら、こっちを見てよと、すぐさま邪魔に入りました。近くの枝にとまって、わたしの気を引こうと、それはもう大変な騒ぎではばたいたり、ちいちいさえずったりして呼ぶのです。
 いつも最後には、とっておきの手を使いました。リンゴの木のいちばん高い小枝に飛んでいって、いちばん素敵な歌を、素晴らしい声で、気取った感じで歌うのです。わたしたちは自然とその歌に聞き入り、話題はロビン君のことへと移りました。その歌声を聞けば、意地悪なバートンのお天気のせいで落ちたリンゴでも、思わず微笑んだことでしょう。
「おいらを見てくれってとこですな」親方はよく言ったものです。「目立ちたがり屋さね。気づいてもらえねぇのが、我慢できないんでさ」

 だからといって、ロビン君は、みえっぱりな心を満たすためだけに、わたしに近づいたわけではありません。わたしに恋していたのです。深紅ののどをふるわせて歌う優しい歌声は、わたしのものでした。わたしだけのために歌い——そばにだれかいるときには決して歌おうとせず、バラやミツバチや太陽の光や静けさつつまれ、二人きりでいるときだけ歌ってくれました。
 小枝を揺らしてロビン君がすぐそばに来ると、わたしは立ち止まってささやきかけます。するとロビン君がそれに応え、わたしが口をつぐむたびに、遠くから聞こえるような、この世でもっとも甘く、もっとも素晴らしい愛らしい音色でさえずるのです。わたしより小鳥の習性をよく知っている方が、こんな不思議なことを言いました。
「あれは愛の歌だよ。君は、コマドリをかなわぬ恋のとりこにしてしまったんだね」

 そうだったのかもしれません。ロビン君にとっては、バラの花園が世界のすべてで、夏じゅう外へは一度も出ませんでしたから。わたしが呼ぶと決まって、いつも違う茂みの中から現われたものでした。
 ところが、秋も深まったある日の午後、わたしは見たのです。ロビン君が、この閉じた花園と、外の世界に続いているほかの花園の間の壁を越えて飛んできたのを。近くの枝にとまったときは、申しわけなさそうでしたし、うろたえているようでした。わたしには、知られたくなかったのだと思います。
「若くてかわいいコマドリのお嬢さんと、お友だちになったのね。次の春には結婚しようねって、もう約束しちゃったのでしょう」
 ロビン君は、それは違う、とわたしを納得させようとしましたが、隠しごとがないようには思えませんでした。
 そうです。このバラの花園が、すべてではないと知ってしまったのです。壁の向こうにも世界があるのだと。でもそれは、すっかり夢中になるほどのものではありませんでした。わたしが来たときにいないことはめったにありませんでしたし、呼べば必ず応えてくれました。
 わたしは、そのコマドリのお嬢さんのことをたびたび聞いてみましたが、本当はよくわかっていました。紳士のように礼儀正しくて、はっきりとは言わないけれど、ロビン君がいちばん愛しているのは、このわたしだと。ロビン君は、わたしのたてるコマドリのような音やささやきが大好きで、ぬれた瞳でわたしの目をのぞきこむのです。そのようすはまるで、ほかの人には理解できない、二人だけに通じる不思議な優しさの正体を、ちゃんとわかっているかのようでした。

 わたしは、九年間もその美しい花園のあるお屋敷に住んでいたのですが、実は、ただの借り手にすぎませんでした。そして、その冬、持ち主がそこを他の人に売ったので、引っ越すことになったのです。十二月にスイスのモントルーへ行って二、三ヶ月過ごす予定だったので、三月にいったんこのメイサムのお屋敷へもどって、バラの花園を閉じようと考えました。スイスへ発つ日まで、毎日ロビン君に会いに行きました。そして、出発の前に花園へ出かけ、どこへ行くのか話したのです。
 こんな小さな生きものです。ほんの二、三ヶ月といっても、永遠のような時間ではないでしょうか。そんなに長い間、わたしを覚えていてくれないかもしれません。わたしはやはりコマドリではなくて、ただの人間だったのです。本当にたくさんことを話しました——帰ってきたとき、はたしてロビン君が、まだ花園にいてくれるのだろうか。そんな思いを引きずったまま、わたしは旅立ちました。

 冬のスポーツや雪山、そり遊びやスキーといった世界からもどったときは、とても長い間、留守にしていたように感じました。ケント州にも雪が降って、公園やお庭はどこも真っ白でした。お屋敷に着いたのは夕刻です。次の朝、赤い厚手のコートをはおると飛ぶように石敷きのテラスをかけおり、レンガの壁が続く長い散歩道を通って、あの大切な場所へ行きました。白い世界では、バラの茂みはどれもくすんだ色をしてか細く、枝には葉ひとつありません。わたしは、あの木の下に立ってロビン君を呼びました。そして、心の中でつぶやきました。
「いってしまったの? ロビン君、あなたは、いってしまったの? もう二度と会えないの?」
 そして待ちました——待たされたことなど、それまで一度もなかったのに。バラの花は散り果て、ロビン君はバラの世界から去ってしまったのでしょうか。もういっぺん呼んでみました。ロビン君を呼ぶときには、口笛でコマドリそっくりの音をたてたり、チッチッと舌を鳴らしたり、「さあ、さあ、いらっしゃい」と早口で繰り返したりするのです。たぶん、これがいちばんのお気に入りでした。
 ひとつひとつ呼び方を試していたそのときです——鮮やかな赤いものが芝生をさっとかすめました。バラの散歩道を横切って、レンガの壁を越え、彼がそこに現れたのです。忘れてなんかいませんでした。遅すぎやなんてしなかった。ロビン君は、雪の残る枯草の上に、わたしの足もとに、舞い下りてきたのです。
 本当だったのです。ロビン君はただの小鳥ではなくて、「人間」だったのです。けれど、とても現実とは思えない永遠のお別れが、もうすぐやってくるのも事実でした。

Wikipediaより

 あのことは、あまり考えないようにしています。別れは、避けられないことだったから。できることは、なにもありませんでした。わたしは、海を越えてアメリカへ、何千マイルものかなたへ旅立とうとしていたのです。深紅と茶色の羽をもつ小さく温かな生きもの、のどをふるわせてさえずる小鳥の命の、なんとはかないことでしょう。黒々とぬれた瞳の奥の魂——だれにも本当の思いはわかりません。でも、説明はできないけれど、わたしは信じていました。わたしたちの魂は、不思議なほど、お互いのそばにあるのだと。

 空気がしっとりと湿ったある日、わたしは、花ひとつないバラの花園へ行き、いつもの木の下に立ってロビン君を呼びました。最後のお別れです。彼はすぐにやってきて、目の前の枝にとまりました。
 ロビン君に話したことを、ここですべてお伝えすることはできません。けれどわたしは、心をつくして説明しようとし、彼は——あの遠くで響くような愛の歌で答えながら聞いてくれました。わたしの言葉のすべてを、わかってくれていると信じていました。小さく首をかしげたまま、一生懸命聞いてくれたので、きっとわかってくれたのでしょう。わたしが遠くへ行ってしまうこと、もう二度と会えないこと、そして、それがなぜなのかを。

「でも、わたしがもどってこなくても、あなたを忘れたからだなんて、決して思わないでね。いままで生きてきて、子どもたちを別にしたら——あなたほどだれかを大切に思ったことなんかなかった。この先も一生、こんなふうにだれかを愛することはないでしょう。あなたはわたしのもの、わたしはあなたのもの。いつまでもいつまでも、この愛は変わらない。さようならは言わないわね。わたしたち、ずっと一緒だった——だれよりもそばにいたわ。ああ、わたしのロビン君——あなたをとても、心の底から愛しています」

 そして、わたしはバラの花園をあとにしました。もう二度とあそこへもどることはありません。


原典は、プロジェクトグーテンベルグより
©2024 佐藤志敦@推し活翻訳家
訳文は読みやすさを考慮して、原典にない改行や段落分けを加えています。
校閲や校正は受けておらず、誤字脱字や誤訳など、翻訳に係る責任はすべて訳者にあります。


版元のみすず書房では品切れとなっていますが、『白い人びと ほか短編とエッセー』(2013年、中村妙子さん訳)に『My Robin』の翻訳も収録されています。

いまも手もとにある『秘密の花園』の原書と映画のビデオテープ🌹

Wikipediaからお借りした画像の著作権情報がうまく読み込めないので、こちらに元ファイルの情報を表示しておきます。


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佐藤志敦@推し活翻訳家
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