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街から書店が消える日におれたちは

あの日、道後温泉駅舎のスターバックスで初めて二人きりで会ったコジマさんと交わした小一時間の会話が、それからの僕の人生を大きく変えた。

そんな、今まで誰にもしてこなかった話を今日はしようと思う。


コジマさんと初めて飲んだのは当時の僕の行きつけの店、ジョニーズダイナーだった。

僕が前職の書店勤務時代から仲良くさせていただいていた経営者の方から「今度、コジマさんも呼んでいい?」と声をかけられ、僕なんかと飲んで楽しいかなと思いつつ快諾したのだった。

コジマさんがつい直前まで、かつて僕が勤めていた書店の社長をされていて、会社の業績をV字回復させ、ビジネス雑誌の地方企業のランキング特集で1位に選ばれたことは僕も知っていた。

僕が辞めた後に大手取次からの出向で社長に就任したコジマさんのことは気になりつつも、書店勤めにまだ未練があったあの頃の僕は、あまり詳しくは知りたくないなと思っていた。

知ってしまうと、自分の「今」の状況を後悔してしまうと思った。

あの頃の僕は、なりたかった物書きの道を諦め、その後に天職を見つけたと思った書店員も辞め、新しい職場で壁に突き当たっていて、いつ辞めよういつ辞めようと毎日、鬱々としながら暮らしていた。

だから、僕が辞めた古巣がそんなふうに華々しく取り上げられるのを見るのが辛かった。

でも、親しくしている人と一緒に気軽に飲むなら話は別で、面白そうな話が聞けるんじゃないかと思った。

ジョニーズ・ダイナーズで何を話したか、正直、もう覚えていない。

それでも、僕たち三人は「じゃあ次回は別の店に行きましょう」と解散して、その後居酒屋たくろうちゃんに集って美味い美味いと言いながらしこたま飲んだ。

そこで何を話したかも、僕はもう覚えていない。

けれど。
そこからの記憶は割と鮮明だ。

後日連絡があり、コジマさんが僕と二人で話がしたいと言う。
今度は素面で話がしたいとのことだった。

初めて訪れたスターバックス道後温泉駅舎店は、それまで行った他のスタバとは全く違う雰囲気で、窓から差し込む柔らかな光に照らされた店内は完全に日常から切り離された空間に思えた。

コジマさんの話は簡単に言えば「転職しませんか?」というもので、一緒に飲んだ経営者が次に始める事業の立ち上げに参加してみないかという打診だった。

唐突に開かれた2回の飲み会は、僕にその任が務まるかどうかを見極めるものだったようで、酔っ払って何を喋ったか覚えていないような男にある一定の信頼を置いてくれたことは素直に嬉しかった。

物事を1から始めることへの興奮、そこで自分は何ができるのだろうかという不安、それを越えて今の行き詰まった自分の人生がここで変わるのではないかという期待。

いろんな感情が渦巻くまま僕はコジマさんの話を聞いていた。

コジマさんは過度に煽るようなことは一切せず、数値資料をめくりながら冷静に会社の課題とリスクも説明してくれた。

この人は信頼できる、と思った。
新しい事業の内容もチャレンジングでやりがいがあると思った。
もともとその経営者の方に対しても、考え方に共感するところが多かったから、これは本当に人生の転換期だと思った。

コジマさんは賃金の心配をしてくれていて、僕もそりゃあもらえるに越したことはないけど、これは金の問題じゃない、と、コジマさんと別れて自宅に戻る車内ではもうすでに心を決めていた。


あれから六年が経った今、僕は当時働いていた会社で今も働いている。

道後のスタバでコジマさんと話した日から数日後、僕はコジマさんに断りの電話を入れていた。

あの日、道後から帰ってすぐにコジマさんと話した内容を伝え、転職をしたいと告げた僕に妻は「あなたは売れてしまったバンドには興味がなくて、まだ無名のバンドを応援するのが好きなの。仕事もそう。新しい何かに挑戦したいのは分かる。それはあなたの良いところだけど、それに付き合わされる家族の身にもなって」と言った。

続けて「いま新しい仕事に就いても、いつか、あなたはまた別の新しいところに行きたがるのだと思う」と言われた僕は何も返せなかった。

電話をかけた僕にコジマさんが何と返してくれたのか、僕はもう覚えていない。

でも、「転職できなかったあの日」が今の僕に繋がっていることを、ことあるごとに僕は実感している。

その後、妻の言葉に拗ねまくった僕は「転職できないのであれば別の逃げ方がある」ということに思い当たり、社内でキャリアポイントの利用による異動希望を出して、人事部と受け入れ先の部長に受諾され大阪へと転勤となった。

異動してからもいろいろあったが、多くの出会いに恵まれたこともあり、あの頃、あんな嫌だった仕事が、今はサラリーマン史上、最高にやりがいのある毎日を送っているのだから人生何があるか分からないものだ。

コジマさんと過ごした時間はトータルでもわずか数時間だ。だけどその数時間がやがて人の人生を大きく変えてしまうことがあるということを僕は今、実感している。

手元には読み終えたばかりの本があって、それを見つめながら「コジマさん、あの時はごめんなさい。でもあの時、コジマさんのお誘いをお断りしたから今の僕がいます」と伝えたいなと思った。


肉屋、魚屋、呉服屋、布団屋、豆腐屋、 お米屋は、それでも形を変えて残っているから本屋とは違うかもしれない。でも畳屋はどうだろう。日本家屋の減少とともに、ほとんど街で見かけなくなった。「畳は日本の文化です。社会の変化(洋風化)で商いが難しくなってきました。だから守ってください」と言われても、私たちはどこまで真剣に考えただろうか? 「洋風建築が主流だし、今はフローリングだよね、仕方ないよね・・・・・・」という程度にしか考えてこなかったのではないか。
本も同じだ。私たちは本を売ることを生業としているから、本の大切さを訴えているけれど、そうでない人たちからすると畳屋の事例と同じである。「本は大事だよね、それはわかるよ。でも、ネットの時代だしね。スマホで読めるし、仕方ないよね、読みたい人だけで読めばいいんじゃない?」というのがむしろ普通の感覚だろう。

『2028年 街から書店が消える日』P246

小島俊一さんの『2028年 街から書店が消える日』を読んだ。

真っ先に浮かんだのは小島さんとの思い出で、でも感傷的になったのは一瞬で、本の内容を思い出して、書店を取り巻く状況が、僕が書店を辞めてからのこの十五年でさらに厳しくなっている現実に暗い気持ちになった。

だけど、僕にそんな気持ちになる資格はなくて、僕は書店業界には先がないと十五年前に逃げ出して、それ以降、書籍の購入はもっぱらネットを利用し続けていて、リアル書店での買物はほとんどしていないわけで、こうなることは分かっていたはずだろうと自分に問いかける。

「書店が街から消えていく」ということについて、ついノスタルジックに自分の思いを重ねて考えてしまうが、その意味では僕にとって、幼少期に足繁く通っていた小さな本屋さんが閉店してしまったときの喪失感がピークで、あとはどんな閉店のニュースを見てもあまり心が動かないようになってしまった。

だって、俺、リアル書店で本買ってないんだもん。って思うと、センチメンタルな気分になんてとてもなれないやって思う。

書店業界の衰退の大きな原因として「活字離れ」がよく挙げられるけど、それだけじゃないだろう。

たとえば、年間100冊程度の本を購入する僕のような活字中毒者でも、紀伊國屋書店やジュンク堂書店のような大手チェーンの書店はほとんど利用しない。

それらの書店が近くにないから行けない、というわけではない。

単身赴任先の居住地からは徒歩五分で大型書店があるし、職場のオフィスがあるビルにも有名チェーンが入っている。

それでも僕はほとんどの本を楽天で購入するわけで、リアル書店で買うとしてもそれはいわゆる「独立系書店」と呼ばれる小さなセレクトショップが主だ。

僕が楽天を使う理由は主に2つで、ポイントによる実質値引額が桁違いなのと、購入すると決めている本を買うのであればネットが一番手っ取り早いからである。

僕の場合、読みたいと思う本はたいてい、誰かの紹介やオススメによるものが多く、インスタだったら保存機能で残しておき、他の媒体であればスクショや写真を撮っておくパターンがほとんどだ。

だから「買いたい本の候補」は山ほどあって、しかもそれは日々更新されていくのであって、それだけでもどんどん積読は溜まっていくのであって、「書店でしかない出会い」みたいなのは特に求めてないのである。

となると、買うと決めている本があるかどうか分からない書店にわざわざ行くメリットはないし、なかった場合、何日も待たされると分かって注文してまた取りに来るというのも二度手間だなと思ってしまう。

その点、ネットならばどこにいても注文できるし、楽天スーパーセールをうまく使えば実質20%以上のポイント還元が得られる。

それでも本に囲まれた空間に身を置きたい時があって、そういう時は独立系の小さな書店に赴く。

旅先でも可能な限り、そういう書店さんは廻ろうと思っているし、そこで出会った本たちは一期一会みたいな感じに思って、いつも大量に買ってしまう。

店主の個性やアティチュードが品揃えに強く反映されている店ほど僕の好みで、たとえばこれは独立系書店というくくりではないが、尾道の弐拾dbという古本屋には「当店の新刊本は、消費税8%で、販売いたします。本は、人生の必需品です」と手書きの貼り紙がされていて、僕はそれを見た瞬間、泣きそうになってしまった。もちろん、旅先だということを忘れてたくさんの本を買ってしまった。

なので、そういう小さな書店に対する「この人から買いたい」という僕の眼差しは、いわゆる「推し」というものに近いのかもしれない。

そういう意味では距離的に頻繁には行けないけど、たとえばときわ書房志津ステーションビル店も僕の「推し」の一つであるわけで、チェーン店というだけで行かないということでは無い。

もちろん、僕が特殊な趣味嗜好であることは分かっているし、俺の好みの品揃えにしないから書店はなくなっていくのだと声を荒げたいわけでもない。

けれど、普段からこれだけ本を買っている僕のような人間でさえ、近所の大型書店すらほとんど利用しないというところ、つまり本を読む人はまだまだたくさんいるのに来店してもらえないというところにも、現在の書店運営の難しさがあるのだろうと思う。

僕が幼い頃や若い頃はもう少し違った。

近所の商店街の本屋に欲しい本がなければ、高田馬場や新宿の大型書店に行く、というのが当たり前の流れだった。

今では当たり前になっている年末のランキングとの売場連動を初めて僕が見たのは小学生の時の紀伊國屋書店新宿本店で、「このミステリーがすごい!」の国内と海外の1位から10位までを順に並べてコーナー化していた。

それまで、毎年このミスのランキングからチョイスした読みたい本を探して近所の本屋を一軒一軒廻って、棚差しの中から見つけては地道に買い集めていた僕にとってその光景は衝撃的だった。

あの頃、書店の店頭は立派なメディアだったのだと思う。

あの頃の書店は今よりもたくさんの「何か」を人々に提供していたんだろうなと思う。

『2028年 街から書店が消える日』を読むと、同じような話が出てくる。

人が買い物をする時、「理性的消費」と「感情的消費」に分けられます。日常生活ではコスパ重視の「理性的消費」が多くても、旅行先でお土産を買う時や推しのアーティストやスポーツチームのグッズを買う時は「感情的消費」をします。ネットやSNSがなかった時代、本屋に行くと知らない情報がありワクワクしました。つまり「感情的消費」の場だったのです。しかし今や多くの人にとって普通の本屋はワクワクする場ではなくなってしまいました。

『2028年 街から書店が消える日』P206

これはでも、仕方がないことだとも思う。
何しろ今は「無料で手軽にアクセスできる情報」の量が桁違いだ。

昭和の話で申し訳ないが、かつてはアニメのことはアニメディアやアニメージュを読む他に情報の入手手段がなかったし、ゲームやってる友達はみんなファミ通を読んでたし、ジャンプ、マガジン、サンデーはもちろん、ヤンマガやヤンジャンも発売に書店やコンビニに走った。音楽を視聴するにはテレビかラジオしかないから必然的に音楽雑誌のディスクレビューからどんな音かを「妄想」していた。

それらがすべて書店に「あった」のだ。

だから、もう一度、書店を「気分がアガる場所」にしようというのが川上さんの提言だが、それは書店の努力も必要だが現実的には難しいと述べており、それには僕も同感である。

だけど、先述した独立系書店は、多くの本好きの人たちの「感情的消費」を喚起することに成功しているわけだし、ときわ書房志津ステーションビル店のようにチェーン店でありながら「推し」の対象となりえることも先に書いたとおりだ。

ずいぶん前の話になるが、SNSで知り合った紀伊國屋書店横浜店の書店員さんが「クリープハイプの尾崎世界観が推薦する本」を題名も内容も伏せて、尾崎世界観さんのコメントを記載したカバーをつけて売っている企画があり、郵送でも購入できますよと言ってもらって買ったことがある。

送料と代引き手数料を合わせると、文庫本の倍近くの値段になり、さらにはカバーを取ってみたらすでに僕が持っている本だった。

だけど、負け惜しみでもなんでもなく、僕はそのとき買って良かったと思ったし、「一番帰りたくないあのころに 一番好きだった本」と書かれたカバーがつけられたままの文庫は今でも大切な一冊だ。

購入当時のFacebookの投稿写真より

昨今、独立系書店が支持されているのは、「自分で仕入れる本を選ぶ」という、他の小売業では当たり前の原則に貫かれた売場が、取次による自動配本により「金太郎飴」と化した大型書店との比較で、顧客に対して新鮮に映り、多くの人の「推し」の対象となったからだろう。

ただし、「金太郎飴」が悪いわけでは決してない。

たとえば独立系書店にしても、店舗数が増えてくるにつれて、他の独立系書店と同じような品揃えになってきているなと感じることがある。

この「独立系書店の金太郎飴化」について、とある店主に話したところ、「それは分からないでもないですが、店の近隣のお客様にとっては独立系書店も『地域の本屋さん』なわけです。他の独立系書店には行かない人も多い。なので、他の書店と品揃えが一緒ということだけではその店のことを判断できないんじゃないかと思うんです」と言われ、ハッとしたことがある。

だから、変に線引きせずに、自分が「買いたいな」と思える本がたくさんある書店、そして「この人の店で買いたいな」と思える書店に今後も足を運べばいいんじゃないと今は思っている。

僕は本を買う時は楽天ばっかり使っていると最初に書いたが、実はこの一年を振り返ってみると、書店で買った本の方がネットでの購入よりも多いことに先程気がついた。

行くたびにあんなに買ってるんだもんな、そりゃそうだ。


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