『いかれた慕情』を読んで|センチメンタルリーディングダイアリー
あれは母の何回忌だったのだろうか。
義弟のノブくんのお父さんが取ってくれた草津の温泉宿で豪華な夕食を終え、一階のひなびた居酒屋スペースで妹とふたりで飲んでいた。
僕は勤めていた書店を辞めたばかりで無職だった。
妹のカナコに「何年、勤めたんだっけ?」と聞かれて、「十年くらいかなあ」と答えると、カナコは「お兄ちゃんが十年もサラリーマンやったなんて、それだけですごいことだよ」と言った。
そんなことを言ってくれるのはカナコだけだよな、と思いながら、いや、生きてたらお母さんも同じようなこと言うか、と思い直した。
僕は昔から人に甘えるのが苦手で、でも、その時はカナコのひと言にだいぶ救われた。
次男が生まれたばかりで、経済的にも精神的にもゆっくり休んでいる場合じゃなかったけど、今日くらいはカナコに話を聞いてもらいながら酔っ払ってもいいよな、と思った。
だから、今でも僕は、あの温泉宿のひなびた居酒屋スペースに、もう一度行きたいと思っている。
「でも、とにかく、お互い、お母さんに孫の顔を見せられたのが、ホントに良かったよね」
母との思い出をカナコと話しながら、最終的にはそんなことを言い合って、それぞれの家族が待つ部屋へと戻って寝た。
僕とカナコの両親はすでにふたりとも他界していて、でも、過去の思い残しや後悔はあるにしても、少なくともここから先の人生はもう、両親とは切り離して生きていける、そう僕は思ってきた。
.
.
四年生の最後のライブは、ナンバーガールとスーパーカーを演奏した。自分のこの四年間を象徴するのは、やっぱりこのふたつのバンドだと思った。好きになった頃にはすでに解散していたバンドだったが、色褪せるどころか聴くたびに魅了される魔力のようなものがあった。人に疲れて錆びた心をそのまま大切に持っていていいと思えたのも、彼らの音楽のおかげだった。ライブが終わったあとは、これでしばらく音楽もやらないんだな、と思って脱力した。
(『いかれた慕情』P170)
.
.
僕のマリさんの『いかれた慕情』を読んだ。
おそらくスピッツの楽曲から引用したであろう(最高の)ペンネームがずっと気になっていて、めちゃくちゃ楽しみに積んでいた一冊だ。
QuickJapanの北尾修一さんの出版社「百万年書房」からの刊行というのもいい。
マリさんが商業出版する前に作成したZINE『いかれた慕情』に、書き下ろしや『QuickJapan』に掲載された原稿を加えた構成で、冒頭の「ひかりのうた」で描かれるマリさんのお兄さんの結婚式での光景(フジファブリックの「若者のすべて」が歌われるシーンは鳥肌!)を、一冊丸ごとかけて伏線回収していくような内容だった。
僕はたいてい、こういう「昔の思い出」を描くエッセイを読んでいると、幸せなエピソードが出てくるたびに、最後にひっくり返されるんだろうなと、それを楽しみに待ち構えるわけだけど、マリさんは割とそのまま「あの光景は今でも忘れない」という感じで締めることが多い。
ひねくれた僕はそれが最初は物足りなくもあったけど、最後まで読んで、結局は泣いてしまった。
彼女にとって「大切な宝物」と言える、あの時のあの瞬間を文章にすることが、何より彼女が一番必要としていることが伝わってきたからだ。
そして、最終章で「何年も読書なんかしてない母」への思いを吐露しているところで、涙腺が決壊してしまった。
.
.
母に見せたかった。大きな書店で娘の本が四か所の棚に置かれていたところや、手作りのPOPを用意してくれた書店があったこと。個人書店が力を入れて売ってくれた様子。「この本に出会えてよかった」という読者からの手紙やメール、感想の書かれたSNS。重版出来。書籍化したときに友人がくれた花束、お祝いにとパートナーが連れて行ってくれたレストラン。本を出して、たくさんの愛を受け取ってきた。出版した事実もうれしいけれど、思い出すのはそういうことばかりだった。同僚と仲良く働いていたことや、しょっちゅう遊んでいたこと、同人誌を販売して友人が増えたこと、本を出したりエッセイを書いたりするような思い入れの深い出来事がたくさんあったこと。そんなふうに、娘が幸せな日々を掴んだことを、ただ知ってほしかった。
(『いかれた慕情』P207)
.
.
僕も同じことを思った。
父と母に、僕のこれまでの人生が一冊の本になるまでの「物語」を見せたかった。
でも、それは、もう叶わない。
そのことに思い当たり、僕はひとりで泣いた。
伝えたいのは、本を出せたこと、じゃないんだよね、と勝手にマリさんに問いかける。
そして、マリさんはお母様にきちんと伝えて、宝物みたいな言葉を返してもらっていて、そのシーンでさらに号泣。
ホントに良かった!って僕は今、世界中に叫びたい気分だ。
同時に僕も救われました。
ありがとうございます。