cafeプリエールのうさぎ #1【連載小説】
「今年からこっちなの?」
「そうよー。
あなたもこっちに来たがってたじゃない」
いつの話をしてるんだろう。
そう言ったのは小学生のときだったと思う。
母さんはいつも突然だ。
言いくるめられるままに、こっちの高校を受験して、受かった。
こっちに決まったのはいいけど、何年いるかわからないらしい。
ここは母さんの地元。
わたしだって、小さいときから何回も来てるし、スキーもスケートも、そり遊びも、全部、ここで教えてもらった。
美味しい魚は好きだし、この、のんびりした空気も好きだけど。
だからといって、こっちに住むなんて思ってなかった。
変わった母親だと思ってたけど、ここまでとは思わなかった。
「こっちで就職先も決めたから、いいのよ。ほら、うちの母さんも歳だしねー」
おばあちゃんもいい歳とはいえ、まだ今年67じゃん。母さんだってまだ41になるとこだし、こんな田舎に引っ越さなくてもいいのに。ひぃじいちゃんだって、90を超えたけど、いまだに元気じゃん。
「まぁ、いいじゃないの。決まったことだしね」
3月とはいえ、まだ雪が残る北海道。
その寒さなんかウソのように、母の和泉はからっと笑った。
「ちっかも、こっちの空気が合うと思うわよ」
言い切る根拠はどこに?
と、思いつつも、
こうなった母に、知花音は、勝てたことがない。こうと決めたらまっすぐ行動。そんな母なのだ。
知花音は、難しい顔で笑った。ちゃんと笑えてるだろうか?
「ほら、住めば都って言うし、イヤなら3年後、大学に行くときに好きにしたらいいのよ」
「わたしだって、彼氏と別れてこっちに来たかもしれないじゃん」
「あれ? 好きな人すらいなかったじゃない。あー、あれね。ちっかは、お兄ちゃんと離れたくなかったからでしょ?」
……バレてる。
2つ上のお兄ちゃんは、母そっくりだ。
でも、母よりもおっとりして見えるくせに、やることはやるし、行動力もある。
「ぼく、中学は受験したい」
そう言って、勝手に塾を調べ、勝手に勉強して、とっとと受かった。しかも奨学金ももらえるコースで、母も父も、なにも言うスキすらなかった。
おにぃも、こうと決めたらこうなのだ。
わたしと父だけが、いつもぐずぐず取り残されて、ぐずぐずしてるうちに決まってしまう。でも、おにぃは、わたしの気持ちを聞いてくれる。
「ちっかは、どうしたかった?」って。
勉強もおにぃが見てくれて、ゲームだっておにぃが教えてくれたのに。
おにぃと一緒にいるのは楽しいのだ。
今年に入って、わたしの合格通知が届いた夜。
「もう、あなたから卒業するわね。
子どもたちも育ったし、もういいわよね」
と、母は、笑顔で、なんてことないように離婚届を父に渡した。ペンと共に。
しかも、晩ごはんの時間。
わたしたちのいる前で……。
「ほら、早く書いて。はやく、早く」
と、
ウキウキしながら待っていた。
まるで、旅行先でアクティビティを待つ子どものようだった。
申込書のサインを待つのと同じように、父からサインをもらう。
あれ?
離婚ってこんなに簡単なものだっけ?
父はあっけに取られていたけど、無言のままサインしていた。
「ありがとっ!」
母の無邪気な笑顔と感謝が、とても印象的だった。
おにぃは知ってたのだろうか?
知らなかったのはわたしだけ?
父も知らなかった気がする。
「俺さ、ここから通ってもいいし、寮もあるから。どっちでもいいや」
おにぃは、おにぃのままで、なにも気にしないらしい。
「おにぃは、離婚イヤじゃないの?
わたしと母さん、北海道なんだよ?」
「学校もあるしなぁ……。
離婚とはいえ、母さんが仕事で飛び回ってたのなんか、今に始まったことじゃないし、母さんも父さんも、あんな感じだし。
離婚は不可避。
見ててわかってただろ?
俺たち大事にしてもらったし。
飛行機チケットくれたら、会いに行ってやるよ」
と、
ニカっと笑って、わたしの頭を撫でた。
おにぃは、どこまでいっても自分を貫くらしい。
その1週間後。
わたしと母は、今ここにいるのだ。
わたしの心は、どこかに置き去りのままなのに、見上げた晴天の空からは、ふわふわと雪がちらつくのだった。
舞台は函館。
登場人物は、少しずつ増えますが基本は3人。
①
知花音(ちかね)
今年16歳になる女子。2つ上の兄がいる
のんびりめ。気づくといろんなことが決まっててアタフタする。ときどき鋭い
愛称 ちっか
②
和泉(いずみ)
今年41になるシングルマザー。
高校生2人の母だけど、本人は自分を「母」と思ったことがない。
みんなは自由人と呼ぶが、本人は真面目のつもり。行動力はピカイチ。悩んだ瞬間、もう前に踏み出してる。
③
cafe プリエールの店長
(名前は決まってるけどまた今度)
細身、長身、黒髪メンズ。
イケメンと呼ぶには恐れ多いほどのいい顔。
基本は優しい。
謎だらけなのに、なぜか和泉にだけ優しくない。