cafeプリエールのうさぎ #3高校生かいと①
かいとは、旅行でこの街に来ていた。
YouTubeで名前を検索すれば、かいとの動画は数知れず。
流行りのSNSもフォロワー10万人を超え、
ちょっと商品をすすめれば、たちまち売り切れる。
「かいとさんのおすすめで買いました」
「かいとさんも使ってるなら使いたくて」
そんなコメントと共に拡散されていく。
動画だけでも広告収入というお金が入るし、
ちょっとおすすめすればスポンサー料のようなものも入る。
東京を歩けば、女子中高生に捕まる。
サインを求められることはないが、
一緒に動画をとってくれと言われる。
そんなことをすると、瞬く間に行列ができる。
とはいえ、
かいとは、別に特別な人じゃない。
芸能人でもないし、なんかすごい人でもない。
動画をつくるのが好きだった。
イラストを描くのが好きだった。
そんなことを発信していたら、
声がかっこいいからと言われ、顔が見たいと言われた。
調子に乗った友人に撮影されて
1回だけ顔出ししたら、本当にすぐにフォロワーが増えたのだ。
だから、別に、何か努力したわけではなかった。
何かを学んだわけではなかった。
自分は特別じゃない。
そんな思いが根っこにあった。
たのしそうなことを伝えただけで、怖いほどにお金が入ってきたのだ。
かいとは、好きなことを好きと言うが、絵をかいたり、パソコンを触ったりするのが好きなだけの地味な男だと、
自分で思っている。
だから、服なんて、ずっと母親が選んで買ってきたものしか着たことはないし、雑誌なんか見たこともない。着られれば、穴があいていようと、ピンクだろうとなんでもいいのだ。そこに興味がない。
今では「着てほしい服がある」と言われて、
着ただけで、そのコーディネートが売れるらしい。
かいとにはよくわからない世界なのに、
自分がなぜか中心にいて
その周りで魑魅魍魎が蠢いていくような漠然とした怖さがあった。
かいとには、
調子に乗ってどんどん進めるほどの強さも、
調子の良さもない。
この容姿もスタイルも、
親からの遺伝で、かいとは何もしていない。
声だって、嫌いなのだ。
鼻にかかる、くぐもった重低音。
声変りをしたとき、ショックだったのを覚えている。
外の自分と、本当の自分。
どちらも自分で間違いないのに、
勝手に歩き始めた「かいと」という外人格のように思えてならなかった。
本当の自分はどこに行った?
この漠然とした恐怖が、言葉にできるほど、
かいとは人生を生きていない。
絵がかければ幸せだった。
友達と一緒にふざけていられれば良かった。
別に贅沢なことなど望んでいない。
褒められることをしていないのに、褒められる。
そんなことないと否定すると、謙遜だと言って持ち上げられる。
自信なんか、どこにもなかった。
「俺はビックになりたい」
そう言って努力している友人が、この立場にいるべきで、
どうして自分がこの位置なのか疑問に思うのだ。
「俺は、人の喜ぶことをして世界を変えるんだ」
そういって、いろんな先輩たちに会いに行って、
話を聞いて発信している友人たち。
高校の友人は、
ネットというものを使いながら着実に進んでいる。
かいとだけ、いつも棚から牡丹餅が落ちてきたように、運ばれていく。
別段、熱い思いも何もない。
比べるつもりはないけれど、
空っぽになっていく自分のように思えてくるのだ。
すこしずつ、少しずつ、
何かわからないものが確実に減っている。
その感覚はあるのに、どうにもできない自分がいた。
それを知ってか知らずか、
母さんに函館に行こうと誘われたのだ。
「いずみさんって知ってる?
母さんね、ファンなのよ。
もしかしたら会えるかもしれないし行ってみたいのよね。
ねぇ、かいとは、たくさん稼いでいるんだし、
母の日ってことで一緒に行こう。
息子のお金を当てにするのもどうかと思うんだけど。
まっ、過去いままでの母の日ってことで許してあげるわ。
母さんだって食事代くらい出すから」
いずみさん?
母さんはその追っかけらしい。
地元函館に帰ったというので、
1週間ほど行って探してみたいらしいのだ。
会えなかったらそれでいい。
会えたらラッキーだし、
北海道旅行が夢だったから、どっちでもいいらしい。
いずみさん目当てなのか、
自分と旅行がしたいだけなのか、
北海道旅行に行きたいのか……全部が理由なのかもしれない。
今日、母さんは母さんで別行動。
かいとはひとり、ふらふら歩いているところにこのカフェを見つけたのだ。
Caféプリエール
ネコとウサギが愛し合うようなシルエットの看板。
色のセンスにピンときた。
友人の投稿を見るためだけにスタバでもいいけど、
せっかく違う土地に来たのだ。
函館らしさを味わういい機会かもしれない。
カラン
「いらっしゃいませ」という明るい女性の声が聞こえた後に、
しっとりとした男性の声が聞こえた。
「おかえりなさい。こちらにどうぞ」
おかえりなさい?
いや、初めてきた店なのだから、おかしな話だ。
すこし不思議に思ったが、かいとはコートを脱ぎ、案内された席に座った。メニューを開くが、どれもピンとこない。いつも行ってるスタバの方がわかりやすく感じてしまうほどだ。
「すいません……おすすめってありますか?」
「すいません、わたし、今日からでして。聞いてきますね」
花が咲くように笑って、お姉さんが奥に消える。
奥からふわっと、店長らしき男の人が出てきた。
「では、今日のおすすめはいかがですか? コーヒー系、紅茶系、どちらか選べますが……」
「コーヒーで」
「かしこまりました。お待ちくださいね」
店長と入れ替わりで、お姉さんが顔を出した。
人懐っこい雰囲気で、僕の前に立ったのだ。
ネコと言えば聞こえがいいが、
ふんわり笑っているくせに、どこか芯の強さを感じさせる人だった。
「ねぇ、話しかけてもいい?」
「あっ、はい」
「地元の子じゃないよね? 観光?」
「母と旅行で」
「いいね、楽しそうじゃん。お母さんはどこに?」
「なんか『いずみさん』という人に、ここに来れば会えるかもしれないって言いながら観光してます」
「そうなんだ。君はここに一人でいていいの?」
「いいんです。母ほど歩き回る体力ないですし、滞在中、本当はホテルでゴロゴロしたかったのに、連れ出されただけなので」
「若いのにもったいない」
「若さ関係あります?」
「若い子のセリフだ!!」
和泉は、仰々しく崩れるふりをしながら、大笑いした。そして思ったのだ。
わたし目当て? 気のせいよね、きっと。同じ名前なんて何万人もいるはずよ……と。
奥からやさしいコーヒーの香りが漂ってきた。
宇佐が、木のシンプルなお盆に、湯気の立つ武骨なカップと小さな包みを乗せていた。
「どうぞ。どこか空虚で自信のない君へ、という名前の珈琲です」
「店長、旅行に来てる若い子にそんな言い方あります?」
「そういう名前の珈琲ですから。
もし、味が気に入らなければ、淹れなおしますし……どうされますか?」
「……これで」
かいとは、呆気に取られて店長の顔を見てしまった。
何で知っているんだろう。
何を知っているんだろう。
「いいんだよ、断っても。そんな失礼な名前の珈琲があってたまるか!」
「和泉さん? 口から心の声が出ています」
宇佐がジトっと和泉を見て、小さく息を吐いたのち、
かいとにこう伝えたのだ。
「そして、これがセットとなっております」
丁寧に梱包された本を渡された。
「どうぞ、珈琲とともに……
スマホの電源はお切りいただき、目でお召し上がりください」
「はい……?」
かいとは、なぜかスマホを機内モードにした。
これで、電話もメールも何も届かないはずだ。
理由は分からないけど、そうするのが正しい気がした。
人の家に入るときに靴を脱ぐように、
ここではそうするのが当たり前な気がしたのだ。
「和泉さんは、こちらへ。どうぞごゆっくり」