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家事は共同作業だよ。そう言い切れる彼は素敵だ

この前
久しぶりにモテ男Aさんと、
昼呑み会に行ってきた。

とはいえ、
本当はAさん主催の交流会に行く予定が、
子どもの都合で行けなくなって、
メソメソしてたら、
その前の時間を空けてくれたのだ。

本当、Aさんがモテる理由がわかる。

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家事は共同作業よね


飲んでるときに、
Aさんが、ふっと言った。

家事は共同作業だよ。
と。


「僕さ、
 お嫁ちゃんと出かけたいときに、
 ゲームとか読書しながら、
 お嫁ちゃんの家事を待つって
 わかんないんだよね。
 化粧や身支度ならわかるよ?

 でも家事は2人でした方が早いじゃん?

 『あっ、気づかなくてごめんね!
  何の家事、残ってる?
  あっ、洗濯?
  僕の干し方になっちゃうけど、僕がするね』

 って、声をかけるもの。
 こだわりある場合もあるじゃん?
 だから、
 『僕のやり方になるけど』って
 ひと言付け加えるのって、大事だと思うんだよ。
 そしたら、早く出かけられるし、
 楽しい時間が長くなる。

 家事って手伝うもんじゃないよ。
 共同作業なんだから。

 モテない男は、これを忘れて
 お嫁ちゃんを母親扱いするから、 
 家に居場所がなかったり、
 大事にされなかったり
 離婚されるんだよ。

 人生を共にしたい、と思うほどの
 大事な人なのにね。
 忘れるとかバカだよね」


って。


「女の人は優しいよ。
 本当に優しい。
 好きな人には
 とことん優しいと思うんだ。
 できないことを無理にしろって言わないし
 ちゃんと状況を見てくれる。
 そこに甘えて努力を怠るのが
 男のバカなところだよ」


そして、
トドメに言った。

「世の中の半分は女。
 その人たちに許されて生きてるのが男。
 なのに、上に立ちたがるバカなのも男。
 女から生まれて、
 命懸けで育ててもらった恩を忘れるんだ」


女は怖いよ。
でも、怖くなるまでに、ちゃんと理由がある。
はじめから、好きな人に怖い女なんかいないよ。


笑って締めくくっていた。


何人もの彼女を虜にして、
彼女全員から
「たくさんの彼女がいても、あなたがいい」
と言われる理由を垣間見た気がした。

50代後半で、
現役で恋愛市場に立ち続け
結婚歴もある経歴の凄さを、改めて思う。

倫理観として、
「それはどうなの?」という意見もあるだろう。
「口だけの人じゃないの?」とか
「いや、そうは言っても行動してるかどうかなんて、見てないからわからないじゃん」とか。
批判はたくさんあるだろう。

でも、わたしはフッと疑問に思うのだ。

1人の大事な人すら、守れず
優しさにあぐらをかいて
無限に優しくしてもらえると勘違いして過ごし
「今は嫁が怖い。かわいいときの嫁がいない」と言ってる人って、どうなのだろう?と。
きっと、その人たちほど、彼を批判するのだろう。
でもその人たちに虐げられた女たちは、Aさんの言い分に納得するのだろうなぁ。

本人が行動してるかどうかって、
付き合ってたら関係するけど、

わたしは、
Aさんの彼女でもなんでもなく
呑み友達だからこそ。

新しい考え方を取り入れられて、嬉しいなぁと思うのだ。
そして、そんな思考回路のAさんを尊敬するのだ。


心は、見えるから

わたし自身、
亭主関白が嫌なわけじゃない。
それだけのお給料を持ってきてもらえたら
それで良いって思うの。

でも、めっちゃ給料があればいいってことじゃなくて、
わたしのやってることを認めて
「裏で支えてもらってる」という心が見えれば、それで十分と思うし、それがあれば給料は少なくてもやっていける。
とはいえ、役割分担として、
子育ては楽しいし、家事もそこまで嫌いではないからこそ、楽しい日々を送ってた。

しかも、
必ず言葉で伝えて欲しいわけじゃない。

心が見えればいいのだ。
今でもそう思う。


ビール買いに行ったときに
わたしや子どもたちが好きそうなものが売ってたから
と、買ってきたり。

自分がスーパーに行ったときに
「なんか買って帰ろうか? 無いものある?」
と電話をしたり。

お米やトイレットペーパー、ティッシュなど、重いものや嵩張るものを代わりに買って帰ってきたり。

帰ってきて部屋が汚かったら、
「今日、忙しかったん?」と聞いたり。

聞かなくても、
落ちてるおもちゃの片付けをしたり。
(おもちゃ箱なんて、2歳がわかるようにしてあるんだから、大人なら誰でもわかるように作ってた)

「今日子どもたちがね…」
と話し始めた時に、
ご飯を食べながらでいいから、スマホやマンガ、テレビから目を離し、こっちを見たり。

本当は何かをしながら
ご飯を食べるのは嫌だけど。
それでも、許せた。

味を見てから
マヨネーズを取りに行くとか、
そんなことでよかった
(マヨネーズが好きな人だから)
味も見ずに、かけるのは違うと思うの。


だから、
娘のちょっとした配慮に感動する。

ゴミを捨てようとしたらゴミ袋がなくて、
つけてから捨てる、とか。

「わたしも、できることある?」って声をかけてくれたり
「ねぇ、お茶飲むけどママのも入れとく?」と声をかけてくれる。
小4の配慮にしては出来すぎてる。


息子の思いやりにもキュンとする。

「ママ、ご飯ありがとう」
「ママ! ゲームのキャラ増えてる! 見にきたら?」
「この味さ、僕は好きじゃ無いから、次からもっと甘いと嬉しい」
「ママ、今忙しそうだけど、代われること代わるよ?何の家事、残ってるの?」

そんなふうに言ってくる。
小6男子にしては、母に、甘すぎると思うのだ。


子どもたちは、
子どもだから、わたしの中では過大評価してる。でも、それでいいのだ。

思いやりや、心配りをしてもらった時、
本当にありがとうって思う。
子どもなのにすごいなぁって。
わたしは、同じ歳の時にできなかった。


見えないけどわかること

心、という臓器はないし、
心は見えないけど、
心遣いは見える。

無意識に
心を振り撒いて生きているのだから。


だからこそ、
実家に帰ったときは
母にたくさんありがとうを言う。

わたしだけ友人との飲み会に行った帰りには、
ありがとうって思うから、
母の好きなおやつやアイスを買って帰る。

父がうちの子供たち(孫)にご飯を作ってくれたときは、感謝するし、
子どもたちも手伝ってる。
お迎えに行く時も、ビールを買って行く。


そういうところに、
きっと心が見えるんだと思うから。

ありがとう、と言ったり
ニコニコしてたり、
買い物の時に思い出して連絡したり。

そんなことが1番大事と思うから。




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