cafeプリエールのうさぎ #5主婦 優香①
3月も終わりになっているが、函館は時々雪がちらつく。
春になったり、冬に戻ったり。
僕たちを忘れないで……
と言っているような晴天の雪の日には、気分が優しくなる。
大阪から北海道に転勤してきたママ友は、心を病んで大阪に帰ってしまった。モノトーンで音が消える冬に耐えられなかったらしい。
そんなことを考えながら、
今日も洗濯物を干しつつ、優香はやることを頭の中でピックアップしていた。
上の子は小学校入学、下の子も幼稚園入学だ。春休みとはいえ、やることは山積みである。
「ママ! お兄ちゃんがおもちゃとった!!」
「とってない。サチが勝手に触ったからじゃんか」
子どもたちの泣き声が家の中に響く。ゆっくり洗濯を干すこともままならないらしい。
「もう、今行くから」
と声をかけ、足早にリビングに向かった。
優香は、平凡な、どこにでもいるありふれた普通の人間だ。
短大を出て、地元に就職。大多数の子たちが同じ進路だった。雇ってくれた会社で事務員として働き始めた。
そこの取引先の人とご縁があって、3年の同棲を経て、20代後半に結婚。
男の子も女の子も恵まれ、2人の子供がいる。妊活をしなくても、授かれたことに感謝なのかもしれないが、結婚したら子どもはできるものだと思うのだ。妊活って大変そう、と心の中で思うけど、周りの友人たちでさえ妊活せずに授かった。
妊活と言われても、優香には対岸の火事くらいの他人事なのだ。
ちょっとやんちゃで戦隊ヒーローが好きなお兄ちゃんと、絵本や折り紙が好きな妹。
年に何回か小児科のお世話になるけど、べつに重度のアレルギーがあるわけでもないし、入退院を繰り返すほどの先天的な病気もない。平々凡々でしょ?
つわりが重かったこともあって、休職して、そのまま退職してしまったけど、暮らせないわけじゃない。
仕事しようかな、と思ったタイミングで、下の子の妊娠がわかって、
結局仕事なんかすることなく、家のことを一手に任されてる。
贅沢しなければ暮らしていけるし、何も不満はないのだ。
かわいい子たちに恵まれてる。
夫とは、話しかけない限り雑談などの会話はないけど、同棲期間も入れて10年近い付き合いだ。
何を話したらいいのかも、わからなくなるほど長く一緒にいる。
それでも、子どもたちの話ならいつまでもできるのだから十分だと思うの。
子育て支援センターで仲良くなったママさんが、まさか病んでしまうなんて思わなかったけど。一番の仲良しだったから、大阪に帰ってしまってかなりショックではあるけど。仕方ない。この世は、仕方ないでできているのだ。
「ママぁ!!」
妹のサチの泣き声が聞こえてきた。
「もう、いいかげんにしなさい」
と、何も見ていないくせに声だけかける。
まだ家事が終わってないのに。急に忙しくなっていくのだ。
朝起きて、ご飯とお弁当を作って、食べさせて、
夫を送り出したら、洗濯に掃除、おもちゃの片づけをしながら、
子どもたちのケンカの仲裁。
すぐに昼ご飯の準備の時間になり、食べさせて片付け。お昼寝なんかしてくれなくて、公園にいったり、遊びに行ったり、また晩御飯に……
毎日のルーティンだけで目が回りそうになる。
夫も仕事が朝から晩までなので、なかなか頼れないけど、車で1時間行けば実家があるから何とかなっているだけ。
毎日、夫が帰るころには、子どもたちは寝てしまってる。
「ただいま」
「おかえり。今あたためるね」
「うん」
部屋に落ちたおもちゃをまたぎながら、スーツを脱ぎに部屋に行く。そしてスウェットで戻ってくるのだ。
それが彼のルーティン。
だから私は、箸もすべて用意して席に置く。
「いただきます」と、スマホでニュースを見たりゲームをしながら食べ始めるのだ。
「今日なんかあった?」「子どもたちは?」なんて聞かれることもない。だから、明るい声で話しかけた。
「今日ね、またケンカしてたのよ。飽きずによくやるわよね」
「子どもなんて、そんなもんだろ」
会話が続かない。
リアクションを求めてもいいけど、まだ茶わん洗いも残っているし、片付いていない家事もある。
「そうよね」と言いつつ、言葉を選びながら、努めて明るくふるまう。
昼間のテレビでも言っていたもの。
夫婦仲良くの秘訣は、明るい奥さんの笑顔だって。
だから、家事を片付けながら、ニコニコと話かけた。
「週末、あたたかくなるみたいよ。どこかに行かない?」
「週末くらいゆっくりしたいんだけど」
「そう? 学校が始まる前の最後の週末だとおもって……」
「なんか考えとくよ」
きっと考えずに、週末になるんだろう。いつものパターン。もう慣れてしまった。
ふっと目を遠くにやると、リビングに転がるおもちゃの数々。たたみ終わっているのに、崩れてしまった洗濯物。私のカバンも、ハンドバッグだったのに、いつのまにか帆布のリュックになった。
まるで「片付けは母の仕事だ」というように、ブロックや絵本もそのまま。子どもと片付け終わらない私の能力不足なのだろうか?
考えても、家事はなくならないから、思考回路はシャットダウンして、いつものように「この俳優さん、最近よく見るわよね」とニコニコ話しかけながらTO DOリストをこなしていった。
これが平凡? 普通ってこれだっけ?
「食べ終わった食器を洗ってくれるだけ、いいじゃないの。前のお父さんなんて、それすらしなかったでしょう」
と、
そんな母の声が、耳の奥から聞こえるようだった。