cafeプリエールのうさぎ #3 高校生かいと②
女性と店長が消えた後、かいとはゆっくりとつつみを開いた。
中には本が1冊と、メッセージカードが一枚。
本のタイトルは「あきらめなかった人々」
メッセージカードには、ウサギとネコと絵があり、こう書いてあった。
パラパラめくりながら、おそるおそる開いてみた。
そのページに吸い込まれた。
一瞬で目を奪われる。
「ロックフェラーが本当に欲しかったものはなんだろう?」
ロックフェラー?
財団をつくった大金持ちという印象しかないが、
なんかすごいことを成し遂げたはずだ。
そのくらいは、高校生のかいとにも分かった。
読み進めると、こう書いてあった。
――
あの億万長者が欲しかったものは、
大変な財産を築いた生涯と引き換えに失ったものに違いない、と。
それは心の平静である。
心の平静は、豊かさに欠かせない要素であり、
驚くほど広い領域に及ぶ。
心の平静は、あなたがそれをどのように使おうと、
豊かさ――物質的にも精神的にも――と成功の追求を助けてくれる。
心の平静があれば、
あなたは自分の好きなように、
自分の選んだ価値観で人生を生きることができ、
毎日の生活がより豊かに、より素晴らしいものになっていく。
――
「心の平静」
……続きを読むと、さらにこんなキーワードが目に入ってきた。
「自分に、自分の人生に、世界に満足して生きている」
息をのんだ。
かいとは
常に「よくわからないお金」は届くのに、
心の入れ物からは何かがどんどん減っている感覚の正体がわかった気がしたのだ。
自分は満足して生きているのだろうか?
自分の人生に満足しているのだろうか?
自分の世界に満足しているのだろうか?
かいとは、人生を語れるほど生きてない。
とはいえ、自分の努力じゃないことで、
褒められ認められていくのが怖かった。
努力して進む友達が、社会から認められないのに。
あんなに発信していても、何にもつながらないのに。
努力もなにもしていない自分だけが、なぜか飛び出てしまった。
「あいつ、ずるいよな」
友人がそんなことを言うわけない。
そうわかっているのに、努力の量と社会の反応がちがいすぎて、かいとは怖くなったのだ。
イラストが描ければよかった。
動画が作れたらよかった。
好きなものを好きと伝えられれば良かった。
生まれ持った容姿と声が、
こんなにも受け入れられるなんて思ってなかった。
外を歩くのが、不安になった。
友人が離れていく気がして不安だった。
それを大人は
「ステージが変わった」とか「変わってきた証拠ですよ」と言うけれど。
かいとの表面だけを見て、そんなことを言うのだ。
「何も知らないくせに」
そう言い返すほどの強さも、根性も、
努力し続けるだけの情熱も、かいとにはない。でも、そうだろ?
ただ目の前のこと……いやなことも好きなことも仕方ないから楽しんでいこう、
と毎日必死に生きているだけの普通の高校生なのだから。
宿題やだ。
あの子かわいい。
担任うざい。
そんなことを思いつつ、
口には出さないで生きている。
本当の地味な「かいと」を知っているのは友人たちなのだ。
お金が大事なのも知っているけど、
そのせいで友達が離れていくのはもっと嫌だった。
「お気に召しました?」
いつの間にか、やさしい笑顔で店主が目の前に立っていた。
「あ……はい。なんか……言葉にならなかったです」
「そうでしたか。では、私の昔話に付き合ってもらえます?」
そういって、
今度は目の前でコーヒーを淹れながら、
ぽつりぽつりと話し始めた。
「目標を掲げて、
それに向かって進むことも大切だと思うんです。
僕の大事な人は、そんなキラキラした人でした。
たくさんの人に勇気を与える人でした。
本当は弱いのに。
本当は泣きたいのに。
それを見せることなく、がんばれる人でした。
だから、僕だけは、彼女の安心できる場所で居たかったんです。
彼女の後ろを支えていたかったんです」
店主の声が音楽のように店の中に染み渡る。
一滴ずつ落ちるコーヒーが、
その音と思いを溶かしていくようだった。
「でも、僕の手の届かないところまで飛んでいった。
彼女がシアワセなら、僕はそれでよかったんです。
たくさんの人に囲まれて、笑顔を振りまいても、
それがたくさんの人をシアワセにしているなら、
それでよかったんです。
でも、気づいたときには、遅かった」
なんてことないように、店主は続けた。
感情のない言葉というのを、かいとは初めて味わった。
まるで「今日の天気はどうですか?」という何気ない会話のように、
人ふたりの人生の濃い部分をふんわり真綿につつんだまま
はじめて会ったばかりのかいとに、ふんわりと投げてよこすのだ。
かいとにはわからないが、
これが本物の大人という生き物かもしれない、と思うしかなかった。
「彼女は、壊れてしまったんですよね。
僕にとって本当に大事なことは、
見守ることでも支えることでもなくて、
彼女が彼女らしくいられるようにすることだったんです。
たくさんの人の「ありがとう」や「大好き」じゃなくて、
僕からの「大好き」が欲しかったそうです。
それだけあれば生きていけたのだ、と笑いながら言っていました」
繊細な金の絵が描いてある、
今にも割れそうな薄さのカップにコーヒーを注いでくれた。
「どうぞ、おかわりです。
君は、本当に大事にしたいものを、大事にできていますか?」
かいとのカップを持つ手が震える。
おいしそうな、温かいコーヒーなのに、
指先から熱がなくなっていくような感覚に襲われた。
かいとのお腹に、とても冷たい石を埋め込まれた気分だ。あっ、落ちていく……。
「あの……僕……」
「すでに持っているものを使い切ってもいいんですよ?
それも天からの才能ですから。
でも、目の前のことを相手のためにと、
愛情込めて、できることを行っていくこと。それも大切なことだと、僕は思っています。
このコーヒーのように」
ずっと流れていたはずのジャズが、いつの間にか消えていた。
そこにあったのは、何も持たないちっぽけな人間ふたりの人生だけのような気がした。
ピコン!
「そろそろお時間のようですね」
機内モードにしたはずのスマホから、通知音が鳴る。
開いてみると、友達から動画が届いていた。
「かいと! お土産よろしくな」
「せっかくだから、投稿しろよな」
「早く帰ってこーい。また遊ぶぞ!」
「テスト範囲広いんだから、早く帰ってきてくれないと、俺、赤点確定なんだって」
「お前の赤点なんか、かいとに関係ないだろ?」
「いや、カイト様が俺の点数を決めている」
「おーい、馬鹿が何か言ってるけど気にすんなよ」
「とはいえ、待ってるからな」
かいとから、涙と笑いがこぼれた。
「ずいぶん愉快なご友人で」
「こいつらね、面白んですよ。聞いてもらえますか?」
かいとは堰を切ったように、店長に話した。
ひとりずつのいいところ、
大好きなところ、尊敬しているところ。
みんなの将来の夢。
自分は空虚で何もないということまで。
一度話し始めたら止まらなくて、
気が付いたころには、赤い空になっていた。
「話……過ぎました。喉が痛い」
「素敵な話を聞かせていただき、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ、
付き合っていただきありがとうございます。そろそろ戻ります」
「またいつでもどうぞ」
会計を済ませて店を出た。
冷たい空気が肺に差し込んできたが
今までの悩みが嘘のように軽くなった気がした。
「待って!!」
ネコみたいなお姉さんが、駆けてくる。
意外と背が高く、足も速くて驚いた。
「これ、忘れ物だって。あなたのだからって」
さっきの本を渡された。
「ありがとうございます」
「いいの、いいの。
寒いけど、函館満喫してね!
今度は私とも話そうよ」
「それはちょっと……」
「あら、扱いひどいわね」
そういいながら、彼女はまた、大きな口をあけて笑っていた。
その笑い声を後にしながら、
かいとは軽い足取りでホテルに向かう。
そうだ、ライブ配信しながら帰ろう。
そう思いながら、かいとはいつものようにスマホを出したのだった。
と書いてから、配信スタートのボタンを押した。
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