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cafeプリエールのうさぎ #5主婦 優香③

この章の①からはこちら


「お待たせ……しなかったようですね。紅茶をお持ちしました。
 自分を見失った君へ、という紅茶です。
 蒸らし終わってますので、どうぞそのままカップに注いでお召し上がりください」

えっ、こんなイケメンに嫌味を言われたの?
優香の頭の理解が追い付かない。
はじめて来た店で、嫌味のような紅茶を出してくるとか、どうなっているんだろう。

「そして……」
そういいながら綺麗にラッピングされた絵本を1冊渡された。

「おすすめセットとなります。手帳もすべてカバンに入れていただき、この本をお開きください」

そういうルールのお店なら、仕方がないので従うことにする。それが普通だよ? という言葉に弱いのだ。はみ出たらダメな気がしてくるから。
どうせスマホも忘れたし、やることがないのだ。
絵本を1冊読みながら、紅茶を飲みましょう、と言われているのだろう

渡された本は「バムとケロのそらのたび」

芝生の上に犬っぽいキャラクターとかえるがいる。息子なら知っているかもしれないが、わたしは初めて見る絵本だ。

飛行機をつくって、おじいちゃんの家に行くという、かわいい冒険物語。

あっという間に読み終わってとじると、先ほどの美青年が目の前のカウンターの奥で紅茶をいれていた。クロネコの取っ手が付いた、かわいいマグカップ。


「あの、この本かわいいですね」
「何かお気づきになりましたか?」
「なにか……?」
「もう一度、ゆっくり味わうように読んでみてください」

そう笑顔で優香に言うのだ。
仕方ないので、もう一度開く。
再度、読んでも内容が変わるわけでもなく、さっきの半分のスピードで読めてしまった。
顔を上げて紅茶を飲む。まだ紅茶は熱いままだった。


「味わい方を忘れてしまったんですね」
「味わい方?」

優香には、意味が分からなかった。本を味わうとはどういうことだろう。


「では、一緒に見ていきましょうか」

優香は、別にいうほどの人見知りでもない。
美容室で話しかけられれば話すし、若い時は飲み屋で隣に座ったおじちゃんと盛り上がった。店員さんと話すのも、これはこれで面白いかもしれない。

―― げつようびのあさ… 
  やまのようなこづつみがとどいた ――

「どう思いました?」
「どう……??」
「月曜日ってどんな感じですか?」
「今週もはじまったなぁ、と少しだけ気が滅入りますね。でも、仕方がないし、それが普通だと思います」
「そうですか」

宇佐はにっこり笑って答えた。
優香には何が何だかわからないが、
ちょっと失礼なのはわかる。
でも、ここまできて「失礼なので、もう話しかけないでください」というほどの度胸なんかない。
仕方がないので、付き合うことにするのだ。


―― おやつをたべて ――


「何か気づきませんか?」
「えっ、おやつを食べてますね」

「そうですね。あなたなら、どうしますか? 月曜日の朝に大量の荷物が届いたら」

「ちょっと困りますね。片っ端から開けて、確認するか、その時は開けずに無視かなぁ……だってそんな時間ないですから」
「おやつは食べないですか?」
「そんな時間ありませんよ」

やることなんか山積みだ。
自分のご飯でさえ、座ってゆっくり食べていない。座って食べてても、子どもたちに気を配っていて、自分のことなんかおろそかになっている。
母親だもの、そんなものでしょう。大きくなるまでの辛抱でしょう?


「おやつ、食べてもいいと思いますよ」

宇佐は笑顔で言うも、優香は何か考え込んでいる様子だった。
優香自信、食べれるものなら、食べたい。でも、日常では無理なのだ。お腹の奥にぐるぐるした感情が芽生えたけど、それを押し込めて大人な対応でかわす。

「今度は食べてみることにします」
と、にっこり笑った。
いい感じに返事をしておけばいいのだ。
どうせ家の中でのことなんて、この人にはわからないのだから。でも、なんか引っかかる。

「今度じゃないです。明日から……」
「ははっ」かわいた笑いが零れ落ちた。
できたらいいな、でも、できるわけないじゃない。
仕方ないのよ、仕方ないの。


「今日はあたたかくて気分もいいので、
 私の話に付き合っていただくことはできますか?」
「いいですよ」

こう答えるのがマナーだ。
きっとこれが大人の対応。
ちょっとイラっとする人だが、
ふたりしかいないし、スマホもないので仕方ない。

優香は、お腹の奥に溜まった感情は無視して、宇佐の話を聞くことにした。


「私にも、大事な人がいたんです。
 今は、会えないのですが。

 いつも頑張り屋さんの彼女は、
 私の太陽で、私の希望でした。

 社畜、というのでしょうか?
 好きなことを仕事にして、結果も出していたのですが、
 ある時から「仕方ない」っていうようになったんです。
 「私は、この仕事だから仕方ない」
 「私は若いから仕方ない」
 「私がやらなきゃ、仕方ないのよ」と。
 そう言って頑張っていたんですね。

 僕は、それをそばで見ていたのに止められなかった。
彼女じゃなきゃダメな仕事だってわかるからこそ、とめられなかったんです。

彼女は好きなことをしているのだから、仕方ない。多少の我慢は必要なんだ。でも、その我慢と努力が、絶対彼女の思い描く未来に辿り着くと思ったからです。

僕は、彼女の「好き」を応援する人でありたかった。

 でも、今ならわかります。
 仕方ないことなんか、何一つないんです。
 向き合うことから逃げたんです。
 この仕事なら代われるよ。
 ここに休みに来たらいいよ。
 休めないなら、僕がそっちに行くよ、と言えなかった。

 彼女は壊れていきました。
 僕ははじめ、なんで壊れてしまったのか、わからなかったんです。

 でも今ならわかる……
 彼女は、おやつを食べずにがんばれちゃう人だったからなんですよ」

そう一気に話しきって、宇佐は、ふうと息を吐いた。
彼女の話をするときが、心に堪える。
彼女の笑顔も、壊れかけた様子も、自分を見て笑ってるのに、その瞳に精気がないことも、わかるから。

彼の息が紅茶の香りと溶け合い、この空間に飛んでいく。
ひとつ、ふたつ……まるでシャボン玉のように。


「お母さんって、
 子どもたちにとっては唯一無二ですよね。

 でも、きっと、お母さんになる前は、
 洋服が好きだったり、
 器が好きだったり、
 花が好きだったり。
 好きなものがたくさんあったと思います。

 それをすべて我慢することは、仕方ないことではないと思うんです。

 きっとできない現実もあると思います。
 どんなにキラキラした服が好きでも、
 赤ちゃんの頬を傷つけてしまうなら着れないでしょう。
 器が好きでも、薄くて折れそうな陶器は難しいでしょう。
 でも、本当に100%24時間、時間がないのでしょうか? 
 ひとりで抱え込んで、仕方ないと言い聞かせてませんか?」

それの何がいけないの?
ダメな理由がわからない。
でも、感情を押し殺してきた優香には、知らない他人に正論を突き付けられた気がした。
急に雪玉を当てられた気分。
現状は、仕方ないのだ。
でも、それを初めて会った他人に指摘される筋合いはない。


「……るさい……」

おなかの底から、ぐるぐるしたものが湧き上がってくるのを感じる。
こんなところで出していいものじゃない。
でも、少しずつせり上がってきて、もう優香自身にも、止められなかった。

「うるさいっての! 
 何も知らないやつがえらそうに!!」

一旦出てきてしまった感情は、行き場をなくして、宇佐に向かっていく。
全部、渦となって、優香から流れ出した。もう、抑えるもの自体が壊れてしまったように。


「うるさいなぁ、さっきからなんなのよ。
 手伝ってほしいわよ! 
 言えるもんなら言ってる! 
 いや、ちゃんと言ってる! 
 それを……それを全部ないものにして、
 無視されるの。こっちの身にもなれっての。
 大体、何なの!! 
 なんでそんなことまで言われなきゃいけないの! 
 わたしは……わたしは精一杯やってる!
 誰も、褒めてくれないけど。
 誰も認めてくれないし、
 認めてほしい夫だって、知らないふりするんだもん! 
 どうしろっていうのよ!!」

一度暴れ出した感情は、出終わるまで止まらない。止まれない。
他人に話すことじゃない、と頭の中で思いつつも、他人だからこそ言えるのかもしれない。

宇佐は、にっこり笑って優香を見た。
初めて、目があった。そんな気がする……


「つらかったんですね。
 ひとりで、怖かったんですよね?」

「好きで結婚したのに、嫌いになりそうで怖いのよ! 
 嫌いになんか、なりたくないのに。
 ……もう嫌なのよ」


目から涙があふれる。
とめどなくあふれてきて、もうどうしたらいいか優香にもわからない。
その場でうずくまりたい。
布団にもぐりたい。現実なんか見たくないのに、一度あふれた感情は戻らない。
とめどなくあふれていくのだ。

「わたしは……わたしは!! 
 愛して、愛される夫婦がよかったの! 
 私ひとりが家政婦みたいに……
 こんなの望んでなかった!!」


優香は息を整えながら、すこしずつ理性も取り戻し、穴にこもりたい気分だった。
はぁ、はぁ、という自分の息遣いだけを感じる。いつのまにか流れていたBGMは止まって、優香と宇佐だけの空間になっていた。

はじめて来たお店で、大泣きしながら叫ぶなんて……本当に恥ずかしい。
バツが悪い……

「帰ります。お会計…」
消え入りそうな声で、カバンを掴んで立ちあがろうとした。


「どうぞ。こちらを」

そっとテーブルに置かれたのは、星屑が溶けたようなミルクティ。

「まずは、おやつを食べましょう。
 満たして、はじめて人のために尽くせるんですよ。
 難しく考えないで、まずは……ねっ」


せっかくのミルクティー。
どうせ私とこの人しかいないのだ。
もう恥ずかしいところは見せてしまったのだから。


「いた……だきます」

ほんのり甘いミルクティは、自分の涙の味と混ざって、まるで塩キャラメルのような味だった。


「大丈夫ですよ。あなたにも、この絵本のように、安心して眠る場所があるはずです。飛ぶのに疲れたら、1回休みましょう」

絵本の最後のページを開くと、主人公のバムがおじいちゃんの膝で丸くなって寝ていたのだ。
そっか。帰ってもいいんだ……。


「ミルクティがなくなるころ、お迎えが来ると思いますよ。それまでごゆっくり」


もう一度、絵本を読み返した。

月曜日、大人にとっては憂鬱な日。たくさんの荷物が届いた。
開けてみたら自分で組み立て式の飛行機。
だけど、おやつを食べてから、ふたりでつくっていく。時にはケンカしながらも楽しそうだった。
完成して、おじいちゃんのお誕生日会へ出発。
おじいちゃんの手紙を頼りに、いろんな難所をくぐりぬけ、無事到着。
最後のページは、おじいちゃんの膝で寝る、主人公のバムだった。


優香はそっと本を閉じた。


知らない人と新生活って、それだけで冒険だった。
子どもを産んで育てるって、それだけで冒険だった。
ふたりに増えたとき、うれしかったけど不安もあった。やっぱり、うきうきしながらも冒険だったんだ。バムみたいに、何度も飛行機で飛んだ。

でも、もしかしたら、わたしは、その都度、休まないで飛び続けてきたの?
ふたりで行き先を決めたはずなのに、いつのまにか単独飛行になっていて、もうボロボロで、墜落寸前だったのかもしれない。
でも、お母さんだって再婚だ。義父と私は、特に何もない。仲良しとかもない。
あそこは、私の帰る場所なの?


カラン、という音とともに、2つのボールが飛び込んできた。



「ママ帰ろう!」「ママ、あのね」

すごい速さで、うれしそうな2人に突撃されて、思わず椅子から転がり落ちそうになった。

「ちょっと……危ないからね!」

でも、このあたたかさとこの重みが、
「その冒険には価値があったよ」とおしえてくれるようで。

弱くなった涙腺から、涙が盛り上がってくる。

「ママ泣いてるの?」
「ひとりぼっちが寂しかったんだよね!
 ぼくも夜起きて1人のとき、かなしくなるからわかる」

そうね、そうよね。
私、さみしかったんだ。
私、大変だったんだ。
そんなことも、忘れてた。

「会計したら、出るから。
 ちょっとだけおばあちゃんたちのところに行ってて」
「うん」

ふたりで、また、駆けだしていく。
子どもたちが向かう扉から、きらきらとした光が差し込み、店内を照らす。

ふたりの後ろ姿がかわいくて、愛しくて、うれしさの涙がこぼれた。


会計を終えて外に出ると、車で両親が待っていた。

「ほら、帰るわよ」
「ねぇ、お母さん……」
「なに?」
「1か月くらい、そっちに居てもいい?」
「なに、深刻そうな顔して。
 いいに決まってるじゃない。
 あなたは娘なんだから。
 いつでも来たらいいのよ」
「うん、今日からしばらく泊まるわ」


これからのことは、何ひとつわからないけど。

きっと、私に必要なのはこの時間なんだ。


 
   
―― まずはおやつをたべよう ――




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とみいせいこ @おさんぽ日和
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