cafeプリエールのうさぎ #4夢の約束③
池のほとりにある木製のcafeスペースに、ハンサムな黒うさぎがいた。
おしいなぁ。
執事のような服を着ていたら似合うのに。
和泉は、その感想を、ぐっと飲み込んだ。
浅葱鼠色の羽織袴を着て、一本下駄を履いている。その服装なのに、まっしろなコーヒーカップを持ちコーヒーを飲んでいるのだ。
「銀様! お待たせしました」
「メルも行かせて正解でしたね。昼ぶりですね?」
目の奥が光る。
ハンサムで、こんなように笑う人間は、一人しか知らない。
「……まさか店長!?」
「おや、飲み込みが早い。さすがですね」
「褒められてもうれしくなーい!」
「本来の姿でも、あなたは、あまり変わりませんね」
「夢で逢いましょうっていうから、口説かれたと思って悩んだんですけど!」
「おや? 本音が駄々洩れですよ?」
「いいんです! どうせ夢なんでしょ?」
「夢と言えば夢ですが、現実と言えば現実ですよ? ここも一つの現実ですから」
「いみふー」
「その小さい子みたいな話し方、どうにかなりませんかね?」
「店長が上手に説明してくれたらいいんですよーだ!」
「本来の姿に戻る現実、と思ってくれたらいいです」
「本来の姿に戻る? 補足をもとめます」
「……はぁ。ヴェニ」
「お嬢、こっちです」
ヴェニちゃんに手を引かれ、一緒に池をのぞき込む。そこには、和泉なのに和泉じゃない、女の子が映っていた。頭に角があるのだから。
白いワンピースに裸足。髪の毛はいつもの長さなのに、いつもより軽やかで、ふわふわ揺れる。身長がいつもより小さい気がする。
髪の毛の間から、ピンク色の水晶のような角が2本。3センチほどだけど確実にあるし、鎖骨の下のほうには、つるっとしたブルーの貝が埋まっている。
「だれ、これ?」
「和泉さんの本来の姿ですよ? あなた、龍の子だったんですね」
「龍の子?」
はっ!? どういうことだろう?
わたしはきっと人間だけど……
「いいですか? 魂のカタチは人それぞれ異なります。肉体は時をとりますが、魂は経験値でしか成長しませんし、その魂のカタチも人それぞれなんです。外見は人間だったとしても、元が龍、うさぎ、牛、キツネ、オオカミ、たぬき、いろんないきものがいます。人である人もいますが、この時代は人ではない人の方が多いですね。
そもそも、あなたはここに何しに来たんですか?」
「あっ、店長が私に冷たいし、距離を取る理由が知りたくて、
店長に聞いたら夢で逢いましょうって言うから……」
「そう、夢で逢いましょうと、言ったのは……」
「あっ、ここは夢か。私、龍好きなんですよ!」
和泉は、話をぶった斬った。
「よかったですね」
夢か、夢の世界か。
なら、私が龍でも、店長がうさぎでも、みんなうさぎでも、気にならなくなった。全部、私の夢なのだから。
店長の目がぴくぴくしてた気がするけど、気にしないことにした。私の夢だもの。
「店長って、ウサギさんなの?」
「本当、脈絡のない失礼な人ですね。私の名前は、宇佐銀之助。なので、あなたの言う現実ではウサギさんとか、宇佐さん、と呼ばれています。ここでは、銀様と呼ばれることがほとんどですが」
「ぎんさま……いや、無理」
「あなたに呼んでほしいと言ってません。どうして、こう……」
「なんか長くなりそうだから、もっと無理―」
「和泉さん、今いくつですか?」
「40超えました! 大人です!」
「なら思い出してください。大人ですよね?」
「あっ……夢でもダメ? 店長すいません」
体に合わせて、精神もすこしずつ侵食されてるのかもしれない。大人なフリをしているだけで、本来の性格はこちらに近い気がするが、余計なことは言わないに限る。
「そうです、思い出してください。まともに話くらいしたいのですから」
「すいません……」
消え入りそうなほど恥ずかしくて、うつむいてしまう。日は陰り、うっそうとした雲が出てきた。
大人なのに、わたしはなんということを。
明日から来なくていいと言われたらどうしようか……
また就活からスタートしなくてはいけない。就活をしなくて暮らせるだけあるけど、母にも心配をかけてしまう。
この年で、融通のきく職場を考えるとなると、なかなかにハードだなぁ、と思いながら、考える。
ぽつり、と雨が降ってきた。
「銀様、ダメ! お嬢、泣いてる」
「おや、小さくても、龍の子なんですね」
和泉はとっさに「私、泣いてないです!!」と叫んだ。
同時に池に雷が落ち、大粒の雨が降ってきた。ヴェニちゃんとメルちゃんだけは濡れていない。宇佐は水浸し。池に落っこちたかのようになっている。メルは走って宇佐のところに行くも、同じように濡れてしまった。
「お嬢、お嬢? ぎゅーしよ。ぎゅー」
和泉はヴェニちゃんを抱きしめた。ふわふわもこもこだ。小さな心臓が、どくどくと鳴っている。
「おじょー? 大丈夫。銀様はね、怒ってないから」
ヴェニちゃんが耳元でささやく。
「ちょっとからかっただけなのよ」
雨の音に負けじと、メルは叫んだ。
「ごめんね! 不器用さんなの!!」
「泣かないで?」
「……泣いてないけど?」
実際、和泉から涙はこぼれていない。本当に泣いてないのだ。なのに、この雨。
和泉自身がどうしたらいいのかわからなかった。この雨、私のせいみたいな言われ方である。
「お嬢、さっき何の歌うたってたの?」
「うた?」
「そう、りんごの風の街で歌ってたやつ。聞きたいなぁ」
「いいよ!」
あの人が好きだった歌。
あの人の歌。やさしい声。
雨が弱くなり、陽が差してきた。少しずつ晴れてきて、先ほどまでの穏やかな天気に戻る。
「お嬢、歌、うまいね!」
「ヴェニちゃん、ありがとう」
さっきまでずぶ濡れだったはずの宇佐は、いつの間にか乾いていて、また優雅にコーヒーを飲んでいる。雨水たっぷりで、かなりアメリカンな薄いコーヒーだが。
「気が済みましたか?」
「銀様、お嬢がまた泣いちゃうの!」
「私、泣いてませんけど?」
「お嬢の歌、好きだよ」
「本当? ヴェニちゃん、ありがと」
2人でキャッキャッと抱き合う。
2人が笑って飛び跳ねると、足元の花が咲き、葉が踊る。
その様子を見て、宇佐は一人、つぶやいた。
「そういうことですか。和泉さんといい、真愛といい、彼の方は、わたしにどれだけの仕事を押し付けたら気が済むのでしょうね」
「えっ?」
「いえ。なんでもありません。何か聞きたいことがあったのでしょう?」
「あっ、そうでした」
和泉も席に着き、珈琲をいただく。メルちゃんの淹れてくれたコーヒーは、あの人が好きなチョコレートの香りがした。
目が覚めたとき、和泉は何も覚えていなかった。
わかったのは、頬に涙の後があったこと。
そして、鎖骨の下に手のひらをおくと、やさしい気持ちになること。
この2つだけだった。
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