産業カウンセラー 吉田修
人は偏見の塊で、本音を言えば「科学的」と言われるものも偏見だと思っている。では、特定の価値観や知をあえて「偏見」というのかと言えば、これを振り回すと不自由になったり面白くなかったりするため。ということは、逆を言えば私たちが普通に持っている偏見は、偏見ゆえに面白くて興味深くもあり、魅力的でもある。 例えば、ニュージーランドではサツマイモは肉と一緒に食べることの多い主食なのだが、このためデザートとして食べることなど考えられないという偏見を持っている。しかし、サツマイモをおやつの
知り合いのある女性が、生まれて数ヶ月の娘と遊んでいたとき、ふっと我に返って、 「この子は私の子供なんだぁ!というか、私には子供がいる!というか、私お母さんになったんだ!」 こういう想いが頭の中を駆け巡り、目の前の存在に感謝と共に、とんでもない愛おしさでいっぱいになり、泣いたという。 そしてまた別の日に、子供と散歩をしながら、不意になんとも無垢な瞳に見つめられた際、愛しくてたまらなくなったと同時に、いつか別れなければならない宿命を感じ、たまらなく哀しくなって泣いたという。
ちかちゃんは、いくつかの恋愛を経て、ご主人と結婚した。 世の中、恋愛から結婚にスムーズにいく人もいれば、なかなか難しい人もいる。 そりゃ、心に問題を抱えておらず、天真爛漫であればことはスムーズに運びやすいとは思うが、そうでないとしても、何とかなる人もいる。 ちかちゃんは、何とかなる人のようだ。 ちかちゃんは嫌われたらどうしようと不安になる傾向があるとはいえ、人に心を開かないわけではない。 長いことお付き合いしていた人もいたのだが、優柔不断なところがあり、どうにも決め
6歳の女の子の決意 ちかちゃんは、6歳の頃、両親が離婚し、お母様と二人で暮らすことになった。 お母様にしつけと称して、食事の時、箸の上げ下げまでうるさく怒られ、二人で食事をするのが苦痛だった。 苦痛はさらに恐怖のような感情へ変わっていった。 そして、恐怖は不安に変わっていく。 ちかちゃんとのセッションはいつもFbのメッセンジャーで通話によって行っているので普段は顔を見ながら話すことはない。 そこで一度大阪まで会いに行ったことがある。 私は直接表情を見ながら話が出
これは、ある女性についてのカウンセリングの記録であるとともに、ある家の女性5代にわたる神話のような物語。 たしかに、この話の発端は双極性障害という診断名のついた精神病を患っている女性からの相談であって、基本的に「悲劇」である。 お医者様の診察を受けることを前提に話を聴くことを請け負ったのだから、本来楽しい話であるはずもない。 しかし、実際話をしてみると、これほど興味深い話はない! 誤解を恐れずにホンネを言ってしまえば、ムチャクチャ面白い! 人が霊障やら希死念慮や不眠や
私はアドラーがなんとなくピンとこない。 アドラーをベースにしたコーチングスクールにも通った。 『嫌われる勇気』も読んだ。 著者の岸見一郎さんの講演会にまで行って直接話したし、サインまでもらった。 アドラーの本も解説書も散々読んだ。 その後この本の読書会に散々参加した。 私の周りには、一日に100回くらいアドラーの名前を口にする人がいっぱいいた。 しかし、ピンと来ない。 これは「自分がおかしい」と考えるのが世間相場なのだが、そうとばかりも言えないのではないかと思
私たちは強くなりたいと願っている。 そして誰でもが親であればわが子を強い人に育てたいと願う。 しかし、この場合の強さとは、私たちの遠いご先祖が進化の過程でとうの昔に捨て去ったものであり、逆に弱さを身に着け伸ばすことでここまで繁栄してきた事実に逆行する幻想に過ぎないのではないだろうかというのが私の想いである。 私たちは弱い。 むしろ弱いことを受け入れ、もっと積極的にこの弱さを活かすことを考えることが出来たならば、私たちは新たなステージに立てるのかもしれないと夢想する。 私たち
「なんて」面白いドラマだろう。 この「なんて」を調べると 助詞:軽んじたり、遠まわしに言うことを表す。 副詞:驚いたり、感心したりする気持ちを表す。 このドラマは全編を通して主人公の岸辺みどりが一回目で口癖のように言う、この「なんて」の意味が助詞から副詞に代わっていくストーリーです。 私はカウンセラーなので、このプロセスが、もう泣けて泣けて仕方がなかったです。 大海原の岸辺にたたずみ途方に暮れて、自分を卑下するというより、自分と身の回りのものすべてを「なんて」とバカに
「40代になってわかってきたこと…」 「お話しましょ!」 午前中の仕事を済ませたようで、話をするのは昼過ぎくらい。 「はーい」とメッセージを返せば、このままコールが返ってくる。 「もしもし」。 「あー、はいはい、あれ、なんだか、声がきれいだねぇ」。 「あはははは、覇気があるからですよ」。 「あははは、そうだよねぇ、SNS見てると、休みの日にはいつもどこかに出かけてるし、ママ友とはいっぱいしゃべっているみたいだし」。 「そうなんですよ、ママ友とは近所のおいしいカ
「あのね、私、こんなに幸せでいいのかなぁ」 「パパと再会してから、これまでの空白を埋めるような気持ちでいっぱい会うようになって、とっても幸せなんですね」。 「うんうん」。 「そうなんだけど、私、こんなに幸せでいいのかなぁって、思っちゃうんですよ。このことを聴いてほしいんですけど」。 「あー、はい」。 「私、小さい頃、お母さんと一緒に生活していて、お母さんのことを裏切ってはいけないって、ずっと想っていたんですね。それが、自分ばっかりが幸せになっていいのかなぁってなんだ
父との時間2 「この前、パパの家に行ったときに思い出したんですけど、パパとお母さんと三人で暮らしていたとき、常に山下達郎などの歌が流れていたんです」。 「うんうん」。 「以前からパパは、なぜだかカラオケに行こう行こうと言っていたんですね。それでパパの住んでいる地域のカラオケに行ったんです」。 「うんうん」。 「パパが家を出ていったのが夏だったんですけど、山下達郎の『さよなら夏の日』が流れていたんですね。これをパパが歌ったんです」。 「うんうん」。 「そうしたら、パ
父との時間1「報告です。お話聴いてくれますかぁ」。 来た! ちかちゃんはSNSで近況をUPして楽しそうにしている様子をいつも見ているので、近況は分かっているが、人生のカレンダーがどういう変化をもたらしているか、問題はここ。 「お父様とはどう?」 「おばあちゃんは、先日亡くなって、お葬式も挙げたんですが、それからもパパとは頻繁に会っているんですね。とっても仲良しです」。 「ふんふん、それはすごい」。 「私の主治医の先生は、お財布代わりにしちゃえよとかいって、おいしいも
人生何周目?ところで、ちかちゃんの娘のさおりちゃんについて書き残しておきたい。 ちかちゃんは結婚してから5年間不妊治療を受けていて、もうできないかもとあきらめたときにさおりちゃんを授かった。 不妊治療はもう二度としたくないほどつらいものだったという。 彼女は、よく世間では不妊治療をやめたら自然と授かったりするということを耳にしたらしいが、本音を言えば「よろしゅうございますわなぁ、結構なこって!」というふてくされた気持だったようだ。 しかし、神様はきっと「そうふてくされ
病床での大仕事「報告しますから話聴いてほしいです!」 ホラきた! 少しドキドキしながら聴く準備をした。 「会ってきました!」 「で、どうよ」 「良かったんですよ!」 「おー、それは良かった!でもさぁ、お婆様、最後に大きな仕事をしてくれたねぇ!」 いきなり彼女の話も聴かずに自分の口から「最後に大きな仕事」という言葉が飛び出した。どうもこのことについて前回の相談から自分の頭の中でぐるぐるしていたのは間違いなく、彼女の今後のロールモデルになるかのようなものをお婆様が指し
「人生のカレンダー」が動くとき「あの~、少し相談したいことがあるので話聴いてもらえますかぁ?」。 ある日、Facebookのメッセンジャーからこんなメッセージが届いた。 おっ、しばらくぶりにちかちゃんと話が出来るなぁと楽しみに思いつつも、大概こんな時は、なにかある…。 大体こういうときは、私の頭がとっちらかって会話の冒頭から私が自分のことをひとしきり一方的に話したりしてややこしいから省くとして、会話は以下の通り。 「実は、お父さんから電話があって、おばあちゃんがもう危篤
はじめにこの物語りは、双極性障害を抱えた「39歳の女の子」のちかちゃんが、幼児期から壊れたままの「家」を再生するために「人生のカレンダー」をひとつひとつ乗り越えようとカウンセラーの「私」に相談してきた実際の記録です。 私からみると、彼女の「人生のカレンダー」には、「家」を再生するための様々なイベントが書き込まれていました。例えば、大きなイベントとしては「35年間離れ離れだった父親と再会する」であったり、小さいものとしては「近所のおばちゃんからお菓子をもらう」というものまで、