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アドラー心理学がなんとなくピンとこない人へ。

私はアドラーがなんとなくピンとこない。

アドラーをベースにしたコーチングスクールにも通った。

『嫌われる勇気』も読んだ。

著者の岸見一郎さんの講演会にまで行って直接話したし、サインまでもらった。

アドラーの本も解説書も散々読んだ。

その後この本の読書会に散々参加した。

私の周りには、一日に100回くらいアドラーの名前を口にする人がいっぱいいた。

しかし、ピンと来ない。

これは「自分がおかしい」と考えるのが世間相場なのだが、そうとばかりも言えないのではないかと思い始めたので、かなり偏りもあるだろうが、とりあえずまとめてみよう。


好き嫌いでいえば、ユングが好き

とりあえず、自由に思いつくままの理由はいくつかあって、以下の通り。

  1. 好き嫌いでいえば、ユングが好き。

  2. 特に自分の性格の問題を主題的に考えていた。

  3. 個人心理学は、なんだか厳しい心理学だなぁと思う。

  4. カウンセリング技法と言えば、カール・ロジャーズだと思うし、人間性心理学の考え方はよくわかる。

よくもまぁこれだけ理由が出てくるもんだと我ながらあきれる。

とはいえ、まず、1について敷衍してみよう。ユングはどういうわけか好きで、読み物としてとにかく面白い。いろんな疑問に答えてくれそうだし、そもそも彼自身が老賢人というような風貌であり、人間とは何かという問いの答えを持っているようなあこがれに近い想いを抱いていた。

それで、自分で本を買えるようになると、ポツポツと小遣い程度で買える新書の類を楽しみに読んでいた。それでユングと言えば河合隼雄さんである。

もちろんカウンセリングと言えば河合隼雄という時代だったし、明恵上人の夢記を読み解いていく『明恵夢を生きる』が面白い。

これはほぼ人類史上初めて一生にわたる膨大な夢の記録を残した明恵上人の夢の記録を読み込んでいくというとてもスリリングで、日本人とユング心理学、つまり、日本人の心を読み解く心理学を作り上げる試みとして、とても大きな仕事だと考えている。

ついでに書き記すと、私の子供時代は「世界の中の日本」という大きなテーマが盛んに語られていた時代であり、子供ながらいわゆる「日本人論」というものに深い興味があり、当時の私はどうも河合隼雄の書いたものをこういう文脈で読んでいたようにも思う。

というわけで、これは単なる趣味の問題ともいえそうだが、老賢人のごとく人生全般についての長い射程を持っているユング心理学は、子供ごころに面白いと思った。

「性格のタイプ」への関心

2番目の理由なのだが、私は子供の頃から、自分は周囲の人たちとは何か違うということを感じていて、当時はやっていた占いの類をさんざんやってみたりして、自分の性格を明らかにしようとしていた。

これらによると、どうも人には性格の違いというものがあり、心理学でいうタイプがあるのだということをぼんやりと理解していた。

タイプとは、星占いでいうように、土・風・水・火など、ヒトの性格を構成する基本要素のことである。

これらは火の水らしさ、土の風らしさという比較によって語れないように、それぞれ固有のものとして独立している。

これをタイプという。

こういうものはカバラ思想の中にもあるし、グノーシス主義の異端の思想の中にもある。

なので、そういう異端的なものを現代に引きずっている占いのようなものは、経験的にタイプを語っている。

やがて大人になり社会人になると、MBTIというものがあることを知る。

ユングには『心理学的類型論』、いわゆる『タイプ論』というものがある。

これを基礎にしながら厳密に体系化された性格診断テストがMBTIである。

占いにはそれなりに良いところもあるのだろうが、明示的な根拠のようなものが希薄であったりする。

厳密に自分の性格というか、心の仕組みがどうなっているのかを理解したいと思って、新宿にある研究所まで行って受けてみた。

結果、ENFP

外向直観で補助機能として内向感情があり、思考は内にも外にも働き、コンプレックスというか、弱みの部分は内向感覚という機能で、物事を明確に区別したり善悪をはっきりさせようとはしない性質がある。

わかりやすい例としては、刑事コロンボのような人で、着る物や髪形には全く無頓着で、突然何か思いついては犯人に質問して事件を推理していくことに強い興味関心をもっているが、そもそも犯人を悪い人と思っておらず、場合によっては敬意を抱いていたりする。

適職としては、セラピストやカウンセラー、ジャーナリストであるという。

変わったところでは、三ツ星シェフのような人を驚かせたり、喜ばせたりするような職業に多いともいわれる。

余談だが、刑事コロンボを見ていると、ささいな自動車事故を頻繁に起こしたりするが、現代科学に大きな足跡を残したマイケル・ポランニーも「走る災難」と言われて、いつも同じ服を着ていたという。

これで自分の性格についてかなり納得したし、適職という点においても、間違っていなかったという自信にもなった。

ユングの『タイプ論』

フロイトとアドラーの関係については、いろいろな記録があるようだが、私にとってもっとも興味深いのは、先ほどのユングの『タイプ論』の中でのフロイトとアドラーの関係性についての記述である。

その前にちょっとユングが『タイプ論』で意図したこととは何かを簡単にスケッチしておこう。

ユングは1921年、今から100年程前に「性格のタイプ」についての著作、いわゆる『タイプ論』を書いている。

100年も前に書かれた本なので、今の哲学の水準から見て、現象学的な記述ではなく二元論による古臭い記述の仕方をしているし、扱っている具体例がギリシャ以来中世を経て綿々と続くヨーロッパ精神史なので、よほどこの分野に精通している人ならば、読み物としてぞくぞくするような感銘を受けるのだろうなぁとは思うが、そうでないとピンとこない記述が延々と続く。

では「綿々と続くヨーロッパ精神史」をわざわざ書いたかと言えば、自らとフロイトとの関係をヨーロッパ精神史の中に位置づけて、個別の偶発的な問題ではなく、人が生きていく上で避けることのできない普遍的で必然的な課題として捉えなおすために書いたと私は考えている。

フロイトは、無意識を現実の残骸が廃棄されるゴミ箱のように捉え、これによって生じる異臭による神経症の症例研究を通じた科学として精神分析を発展させようとした。

これに対し、ユングは人というものの生の全体像を探るために、歴史や神話にまで手を広げ、無意識を壮大な地下世界のようなものと捉えた。

ユングにしてみれば、無意識とは現実の残骸のごみ箱などではなく、人はフロイトが言うような神経症になったとしても、この患者は生きていかねばならないのであって、この過程において、ごみがいずれ発酵してたい肥にもなるだろうし、そういうものが幾重にも積み重なって人の精神活動となっているとすれば、このような生のリアリティを前にして、精神分析が自らの可能性をそのように限定してしまうのは、自らを含めた生と人の可能性を自ら限定してしまうことになりはしないかという思いもあっただろう。

たしかにフロイトの態度は、近代的な意味において科学的な態度であり、これは一見性格とは関係のないように思えるが、神経症に至る心の一般的なヒトのメカニズムを明らかにしようという関心の持ち方は彼一流のものとも考えられるし、逆にユングの在り方は、科学とも哲学とも違う人類史としての精神の流れを自分も含めた人の可能性として眺めているかのようだ。

それにフロイトにしてみれば、科学的態度こそが唯一絶対のものであり、治療への応用こそが我々の目的であるのだから、この患者を診続けるという禁欲的限定はきわめて合理的であり、この限りにおいて無意識を取り扱うべきであって、無意識の領域を神話やオカルトも含めて拡張するなんてことは、非科学的であり不合理極まりないと考えていたのだろう。

ユングにしてみれば、神のように慕い尊敬していたフロイトから別れなければならないという生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされて、どうにかして生き延びなければならないという状況に置かれている中で、科学としての心理学の理想なんてものはどうでもよいという「生の優越」という理想がある。

これじゃあ、かみ合うわけもないというのは一目瞭然なのだし、それならそれで尊重し合うのが大人の態度という感じなのだが、この「心理学的大人の態度」というものも、後の人々も含めて二人の出来事を糧にして苦心惨憺作り上げてきたことであって、しかし当時はまだ明らかでもなく、これがどうにも対立してしまって、ユングは統合失調症のようになってしまった。

これを中年期の危機と捉えてもいい。

この限りにおいて中年期の危機というのは、改めて如何に大人になるかというフィジカルな思春期の課題を質的に乗り越えるべき課題として突き付けられることになる。

私たちがユングから受けている恩恵というのは、人にはいくつかのタイプがあり、これによって表面に現れる行動が異なるのだということを明らかにしたことであって、その気になりさえすれば、フロイトとユングの葛藤を繰り返さずに済むということだ。

「努力と根性」の心理学

では、本題。

なぜ性格の問題でアドラーがピンとこないかと言えば、彼は極度の内向思考の人であり、これはいいとして、この自らのタイプを理論として一般化しすぎているのではないかという疑念のため。

これは私の側の問題でもあって、私が内向型であればもう少し理解できると思う。

もっともユングも内向思考か内向直感型のタイプなので、内向だからわからないということでもないが、ユングの紹介者である河合先生は外向の印象のある方なので、ここらへんで助かっているところはある。

紹介者ということでいえば、『嫌われる勇気』の岸見一郎先生にお会いするとわかりやすいのだが、もうどうなのだろうというくらい内向の方で、ご自分の世界の中で生きていらっしゃるような印象をもった。

よく内向型の人の世界を表す例えなのだが、部屋の窓から外を見ているようだというが、本当に内省的でご自分の中の世界をしっかり生きているという印象だった。

多分、岸見先生にしてみたら、自分はアドラーの分身であるとでもいうような感覚に近いものをお持ちかもしれない。

このように書くと、アドラー本人ではなくて岸見先生に対するほとんど難癖に近い物言いだが、少し内容を見てみよう。

ユングは『タイプ論』の中でアドラーの理論構成を内向型ととらえている。

これが問題になるのは、自らのタイプにおいては通用したとしても、互いのタイプを押し付けてしまうことだという。

まず、ユングによると、アドラー心理学をこのようにスケッチしている。

アードラーの心理学を特徴づける中心概念は、自我の優越である。

『タイプ論』

これでは何のことかわからないので、別のスケッチを見てみよう。

アードラーは、客体の敵意に満ちた呪縛を打ち破って、自我が自らの鎧の中で窒息している状態から救い出そうとする。

『タイプ論』

この「自我の優越」、私という個人の誰からも侵害されないよう独立性を保とうとする姿勢は、すがすがしいまでに内向であって、フロイトが配慮してきた科学として身体性や一般的な生理学など、人間の生物としてのメカニズムとして観察される現実の病理的な側面を見事に無視するかのような姿勢が彼の根底にはある。

例えばユングにおいては、広大に広がる無意識の世界が意識の下に広がっており、「私」に対するこの無意識の関わりを問題にするだろうが、「自我の優越」を掲げるアドラーはこれすらも無視するだろう。

つまり、客観的にどんなにシビアな状況であっても、これは私がそう思い込んでいるだけであり、私自身が自我によってそうではないものを望めば、世界はそのようにふるまうのであり、従わせることが出来るということになる。

これを力への意志という。

もっと一般的に言うと、「私たちは完全でありたいという欲求」のことである。

さらに続けると「力への意志は、みずからの力が溢れ出すような仕方で、喜びを伴ったそのような自己超越の感情である」。

地道な努力による達成感のようなものだろうか。

そして、この「力への意志」に心理学的な諸現象やら諸問題も何でもかんでも還元してしまっている・・・、というように、ユングは見ていたらしい。

超人

この「力への意志」は晩年の著作のタイトルにもなっているが、ニーチェがデビュー作『悲劇の誕生』以来、生涯をかけて考えていたテーマである。

ところで、フロイトやユング、もちろんアドラーが生き、自らの心理学や思想を形成する際、ニーチェは大変な影響を彼らにもたらしたと考えられている。

フロイト自身、ニーチェの哲学があまりに精神分析の成果と一致するため、彼の所著作を読むことを避けていたほどだという。

ユングも『タイプ論』のなかで一章を設けて論じているし、当時のドイツ語圏でのニーチェの影響力は、20世紀最高の哲学者と言われるハイデガーにおいても圧倒的であったほど。

さて、ニーチェは『悲劇の誕生』において、「アポロン的なるもの」と「ディオニソス的なるもの」の区分を提唱した。

「アポロン的なるもの」とは形式的・理性的なるものであり、絶対的な正しさを有するものであり、「ディオニソス的なるもの」は非理性であり、その場で起きることであって、すべては一回限りのもので絶対的な真理などないというものであり、エネルギーの源泉のようなものだといわれている。

つまり、ギリシャ悲劇のエッセンスは、悲劇が演じられていることを超えて、観衆も悲劇の主人公と一体化して泣き叫ぶ「ディオニソス的なるもの」としての衝動的な非日常性にあるという。

そして、劇が終われば、スッキリと、また「アポロン的なるもの」としての秩序ある日常に帰っていく。

この両者との行き来によって、人々の精神はよみがえり生き生きとしたものになるとニーチェは言いたかった(はず)のだし、人の現実を直視することを求めたに違いない。

立川談志に言わせれば、芸術とは「人間の業の肯定」ということになる。

ついでに言えば、講談や歌舞伎なら忠臣蔵の四十七士を主題の演目にするが、落語っていうのは「逃げちゃった残りの赤穂浪士二百五十三人が、どう生きたかを描くもんだ」というわけで、忠義というアポロン的なことではなく、ディオニソス的な人の業を生きた人の数が現実を物語ると言いたいのだろう。

調子に乗って談志を踏襲すれば、忠義というアポロン的なるものを語る講談や歌舞伎の演目としては、逃げちゃった浪士たちのの存在は邪魔であり、意図的に語らないことで初めて成立する。

しかしどうだろう、ということは、アポロン的美談とはフィクションなのであって、「美談なんて嘘くさい。ほんとの美談は恥ずかしがって出てこない」と談志が言うのは、このことを言っている。

では私たちは、どう生きればよいのだろうか。

そこで、超人ということが構想される。

いわばニーチェの思想は、自身の中に(その瞬間では全世界の中に)自身の生存の前提となる価値を持ち、その世界の意志によるすべての結果を受け入れ続けることによって、現にここにある生を肯定し続けていくことを目指したものであり、そういった生の理想的なあり方として提示されたものが「超人」であると言える。

wikipediaニーチェ

アドラーが最終的に言いたかったのは「超人」として生きよということであったと思う。

笑いについて

ここで少しばかり反論。

先に立川談志を引用したが、ニーチェにおいて「笑い」はどうなのだろうか。

原理的に出てきようがないように思える。

たしかに、ニーチェは「孤独な人間がよく笑う理由を、たぶん私はもっともよく知っている。孤独な人はあまりに深く苦しんだために笑いを発明しなくてはならなかったのだ」という言葉も残している。

しかし、これは逆に、超人が極度の緊張状態にあり、本来的な在り方において、笑えない在り方をしているためではないだろうか。

笑いとは、身体と結びついた現象であり、声を上げ腹を抱え、全身をくねらせて笑うものである。

頭ではわかっているが腹に落ちないという際に、予想を超えた展開により身体としても(体感覚的に)わかるということが爆発的に進むという現象、これが笑いなのではないだろうか。

だとすると、身体と精神とが爆発的に結びつき融合していくというプロセスが笑うということである。

笑いによって、身体と精神とが「精神としての身体」・「身体化された精神」へと爆発的に化学変化する燃焼のような反応ともいえる。

多分、このことを19世紀のヨーロッパ人は気が付いていたはずだが、笑いを自ら禁止してしまったのだと思う。

フロイトが性と神経症とを結びつけて精神分析を発展させていった際、性の快楽を抑圧するビクトリア朝時代の精神的風土があったのだといわれている。

笑いは快楽である。

性と同様に、笑いについても禁止されていたであろうことは容易に推察される。

これはキリスト教の力が大きいのだろうか。

ウンベルト・エーコの書いた『薔薇の名前』はアリストテレス「『詩学』第2巻・喜劇篇」が「禁書」として秘蔵されているのではないかと、主人公のウィリアムは疑っているおり、この本を巡るミステリーという展開。

ニーチェは、神は死んだといいながら、キリスト教の禁欲をそのまま継承したという点において、形而上学の完成者となってしまったのではないだろうか。

同時に、ヨーロッパは笑いを喪失してしまったのではないか。

アドラーは、「笑いは人と人とを結びつける」といったが、このこと以前に、笑いは自分の中の身体的なるものと意識的なるものとが爆発的に結びつくことを、意図的に避けているかのように思える。

おわりに

いささか長すぎるので、大概にしておこう。

性や笑いが禁止され、禁欲的な振る舞いが良しとされた時代、では、人に許された欲とは何がありうるのかという問いの答えが「力への意志」ではなかっただろうか。

これを全く文明としても文化としても背景の異なる私たち日本人が、継承すべきなのかどうか。

教養として理解していてもいいが、そこまで取り組むべきものとして、真剣に取り上げる余裕は私にはないというのが、アドラーがピンとこない理由。

ニーチェがニヒリズムを唱える唱え方として弱者の道徳やルサンチマンを語る語り口が、どこか『嫌われる勇気』の価値観の相対化や脱構築に似ているということを語ってもいいのだが、これはねぇ、強い関心と思い入れがないとできない。

なので、ニーチェとの関係で永劫回帰とアドラーのGemeinschaftsgefuhl、共同体感覚と言われるものについての考察も遠慮しておこう。

ただ、ニーチェの影響は20世紀前半の精神分析等の心理学に対して圧倒的であったということは間違いなく、これは面白いテーマだという発見があった。

文句の一つでも、深堀すると、なんか出てくるもんだ。

おわり。

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