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『人生のカレンダー 「家」の再生の物語(仮)』③

病床での大仕事

「報告しますから話聴いてほしいです!」

ホラきた! 少しドキドキしながら聴く準備をした。

「会ってきました!」

「で、どうよ」

「良かったんですよ!」

「おー、それは良かった!でもさぁ、お婆様、最後に大きな仕事をしてくれたねぇ!」

いきなり彼女の話も聴かずに自分の口から「最後に大きな仕事」という言葉が飛び出した。どうもこのことについて前回の相談から自分の頭の中でぐるぐるしていたのは間違いなく、彼女の今後のロールモデルになるかのようなものをお婆様が指し示してくれたのではないか、そして彼女がどう受け取ったかをとにかく知りたかった。

「本当ですよ、もう身体も相当弱ってるし、孫のさおりのことを私だと思ってたりもしたんだけど、そりゃそうですよね、だって、私が七歳の時にはなればなれになったんだから、おばあちゃんにしてみたら。それでね、一緒に写真も撮ったんですけど、しっかり意志を感じるような表情をしていたのね。それでもう泣いて喜んでくれて…」。

「それで結果的に35年間離れ離れだった親子の再開の機会になったわけでしょう」。

「そうですねぇ、本当にすごい仕事をしてくれて、すっこぐ感謝してます」。

余命が残り少なくなり、それこそ人生最後の願いとして孫娘に会いたいという願いは、同時に自分の息子と娘を再会させることでもある。そして、ちえちゃんの娘であるさおりちゃんとの出会いへと結びつく。この願いはひとつならず複数の願いを幾重にも含んでおり、自分の願いが叶うということは、ほかの誰かの願いを叶えさせることなのだろう。

違うのだよ、ヒカルちゃんw

では、お婆様の本当の願いとは何だったのか。

ご自身の中の家を再生させることだったのではないかと今は考えている。
女性として、母として、お婆様として、家族関係が膨らみながらひろがってきた自己(self)の個性化の欲求が、このような願いを抱かせたのではないだろうか。

そして、この「自己」とは、日本人の場合「家」という形態と相似形をなしているのではないか。

日本人の自己とは「相互協調的自己観」といわれている。

これは「相互協調的自己観とは、自分はどういう人で、何が好きで、どうしたいか、などを認識する過程で周りに合わせようとして、協調的にそれを決定しようとする傾向のことを指します」ということなのだが、強固な「私」というものが出発点としてあるのではなく、「身内」というように「私」の内側に家族のような親しい人たちが暮らしており、互いに折り合いをつけながら暮らしている「私」の居所が家といえまいか。

だとすると、自分の内側に住んでいるはずの孫とさいごまで離れ離れでいることは、「私」の居心地が悪い、死んでも死にきれないものが生じるのは当然のように思える。

これはわがままではない。

百歩譲ってわがままだとしても、良いわがまま。

「それでお父様とはどうだったのよ」。

「この前、私の病院の受診日で先生にも相談したんですけど、最初は反対していたんですね、先生の理由としては、自分の父とはいえ、どんな人かわからないわけですから危険だと思ったらしいのですね。でも、私は会いに行きますからって言い張って。ここでこうやって会っちゃえって背中押してもらったわけだし」。

「そうー、うんうん」。

「それで、お父さんとは最寄り駅で待ち合わせしたんだけど最初わかんなくて。そりゃそうですよねぇ、なんだって35年ぶりだし、向こうは帽子かぶってマスクしてるからなおさら顔もわからないし。それで、やっと会えて、面会時間まで時間があったから近くの喫茶店でお茶することになったんですね」。

「うんうん」。

「それで、私はね、御存じの通り、それなりに不安とか怖さも抱えながら会ってはいるし、どういうわけか夫もわざわざ有休をとってついてきてくれたり、娘のさおりも、ちょうど春休みということで家族で来てはいるけど、父もそれ相当の覚悟をしてきたんだと思うんですよ。だから、責めるようなことも言いたくなかったので、私は一緒にしてほしかったというようなことを言いました」。

アサーティブコミュニケーション。人を責めるわけでもなく、引き下がるわけでもない、私はこう思っているという完結した表現姿勢。
Iメッセージというものだろうか。

「そしたら、父も私の話を黙って聴き入れてくれて、穏やかに話は進んだんですね。実は母がいつも高圧的に上からものを言う人だったんで、そういうことだけはしてはいけないといつも思っていたんです」。

「うんうん。それでさおりちゃんは?」。

「普段はとても人見知りなんですけど、自分のおじいちゃんなんだということはすぐに認識してくれたみたいで。それで、おばあちゃんの病室で、私と二人っきりで話しているとき、病室の外で父と仲良く話しているんですね。なんかわかるんだなぁと思いました」。

「なんかわかるんだねー」。

「そうなんです。私もこうやって話してみて、改めて驚くんですけど」。

「さおりは不思議な子どすから」。






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