春を経て夏に公演するということ
私は今、朝劇三軒茶屋1年ロングラン公演という企画に参加している。春と秋だけだった予定が、急遽夏公演も出演することになった。
春公演が4月に終わって、出演者4人中3人が一緒というそこまで状況が大きく変わらない中で、4月からの4ヶ月の違いを心底実感する稽古をしている。
何が違うのか。空気が違う。感じ方が違う。身体が違う。たとえば、初めて目が合ったり、相手の言い方が変わったから私も変わったりとか、言い出したらキリがないほど違う。
これは「1年ロングラン公演」という企画でなければ発見しなかったことだと思う。
というのも、毎日、毎週、毎月、公演をやっていたらその変化には気づけない可能性がある。
4ヶ月空いたからこそわかる違いだと思った。
「細胞は毎日入れ替わっている」「皮膚は1ヶ月で生まれ変わっている」とか聞いたことがあるけど、体の何かしらが変わっているように、感覚や意識も何かしらそういうスピードで変わっている可能性があるんじゃないかと、春を経て夏に稽古して私は感じた。
今調べたら、血液は4ヶ月ですべて入れ替わっているらしい。春公演の時に流れていた血はもうないってことなのか。
そんなふうに気づかないうちに何かが変わり続けている。それは継続的に実行していたら気づきにくいことな気がする。断続的に、今回のように空白の4ヶ月があったおかげで、気づけた発見になった。
人は日々変化しているということを、私は朝劇ロングラン公演のおかげで実感して知ることができた。
日常は継続的に続いていくから、ただ生きているだけで精一杯になるし、変わりなく続いていくのが日常になっていく。
でも4ヶ月経て、血液も皮膚も何かしら生まれ変わった4人が集まって稽古をすると、全く違う感覚が生まれたりする。
そんな体内の目に見えない生まれ変わりはわかりにくいかもしれないけど、4ヶ月の間のそれぞれの経験や過ごし方がすべて稽古に出る可能性があると思った。
良し悪しとかではなく、芝居というのはその人が出ると言ったりするけど、この企画は空いた4ヶ月の過ごし方がそのまま芝居に出るという恐ろしさも希望も秘めていると思った。
私は春公演の千穐楽に演出家が言ってくれた「課題」を本気でクリアしたくて、むしろそれまでにも自分で気にしていたことだったから有難い「課題」でもあって、おかげさまでこの4ヶ月、そのことを軸に意識して過ごすことができた。
芝居において「クリア」なんてないのかもしれないけど、クリアしたい気持ちを継続させて意識することを大切にしてみると、できるできないは置いといて、「まずはやってみる」という気持ちが強くなるのかもしれない。
そういう意識は別の現場でも感じられたり、有難い現場に出会えたりして、より明確に具体化されていった。
乗り越えたいと思えるものがあることは、なんて幸せなことなんだろうと思う。
それが生きる糧になるから。だから私は芝居をしているんだと思う。芝居で自分を乗り越えてみることが、自分をやさしく信じてあげられる経験の一つになるのかもしれない。
でも、それは決して一人ではできない。トライさせてくれる環境と身を任せられる人たちがあってのこと。私はその幸せな有難みを噛み締めながら、今稽古に取り組んでいる。
いよいよ本番が2日後に迫った。一人でも多くの方に出会ってほしい共演者の皆さんと作品。
一度観た方は春公演との違いを感じてもらえたり、まだの方は朝の良い時間になるよう、私は千穐楽まで精一杯やる。
お待ちしてます。