◆読書日記.《村上嘉隆『人と思想34 サルトル』》
※本稿は某SNSに2022年1月12日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。
サルトル解説本3冊目。村上嘉隆『人と思想34 サルトル』読了。
立教大文学部教授にして思想家、文学、音楽美学などを専門としていた学者によるサルトル論である。
いま「サルトル"論"」と書いたように、本書は軽い「入門書」や「解説本」とは違い、初学者を想定して書いているものではなかったようである。
例えば本書ではサルトルの思想を説明しては、それについて作者なりの批評をつけている。
これは本書を「サルトルの思想を紹介する内容」と思っていた自分からしてみると、随分「著者の主張が強い」と思われる記述であった。
サルトルの思想に対してマルクス思想と比較してその内容を検討したりもする。その取り上げ方も、マルクス主義との関連を特徴としてサルトル思想を「批判」するような内容になっているのである。
しかし、初学者からしてみれば「まずはサルトル思想を」と思うのは当然で、その流れを把握している最中に他の哲学者の思想と比較分析されたり、いきなりサルトル思想を幾分批判的な視点で分析されたりすると「余計な解説が入ってしまった」と感じてしまう。
『人と思想』シリーズは、当時の社会情勢や交友関係、影響関係などを交えながら紹介していく「評伝的思想入門」という所に特徴がある。
だが、本書の内容は少々サルトルの「評伝」的部分については扱いがが粗雑だ。
第一部の「サルトルという人」ではサルトルとボーヴォワールとの関係を主軸にしてサルトルの女性論、恋愛論、結婚観等について説明がなされるが、第二部「サルトルの思想」に入ると、今度はサルトルの幼少時代に逆戻りしてしまう。
だから、「評伝」と思って読んでいても、時系列が順を追っていないので複雑だ。
また、本書は初版1970年という半世紀前に出版されたもので、何とまだサルトルが存命の時期に書かれたものである。
だからという事もあってか、人間としてのサルトルの個人については若干距離を取り、あくまでその「思想」にだけ焦点を当てているようでもある。
サルトル存命の時期書かれたものであるから、晩年のサルトルの仕事についても書かれていない。
しかし、本書は2014年に発行された「新装版」なのである。
著者がまだ存命の際に発行された新装版なのだから、せめて内容の見直しや、その後のサルトルの活動や遺稿を反映しての加筆修正など最低限は対応して欲しいと思ってしまう。
斯様に、本書はこのように明らかに「入門書」という作りにはなっていない。
幾分か、サルトルに詳しくなってから読むべきものであろう。
◆◆◆
先ほどは「入門書としての書き方」について批判的に書いたのだが、多少はサルトル思想についても触れておきたい。
これまで三冊ほどサルトル入門書を読んできた感じでは、サルトルは個人に立脚する実存主義の立場から社会や組織を語る事にある種の葛藤を抱えていたようだ。
村上嘉隆『人と思想34 サルトル』で批判されているサルトル思想とは、マルクス主義思想の唯物論的な視点による、サルトルの「集団」についての考えの不備の部分についてだったろうと思う。
「現実存在=実存」である「私」という立場を土台として築き上げてきたサルトル思想では、マルクス主義の対象とする「社会」であったり「国」であったり「歴史」であったりといった全体性に関する事が語りにくかった。
サルトルは例えば「だれも『戦争』は知りえない」等と言っているように、「大情勢」の把握は個人からでは認識しえないとしてきた部分があった。それを、後期思想では徐々に「集団」について考えざるを得なくなっていき、全体性の把握を可能とした。
何故、サルトル的"無神論的"実存主義は集団的な問題を考えざるを得なかったのか?
それはサルトルの「自由」の思想に関わってくる。
人間は即自と対自という二重性に囚われた存在である。
元々の人間は何の根拠もなく偶然的に生まれ、存在している。それ自体は何もしなければ意味も存在理由も何もなく、「ただあるだけ」と変わらない。即自存在としての人間は、生まれもって与えられている無償の「自由=フリーダム」に捕らえられている。
人間は即自でも対自でも構わないが、『嘔吐』のロカンタンのように無為無策に生きる実存は、何故か不安感に囚われている。
それに対して対自存在とは「自己を"意識"として根拠づけるために、即自としての自己を失う」事に外ならない。
サルトルは「人間は絶えず自分自身の外にあり、人間が人間を存在せしめるのは、自分自身を投企し、自分を自分の外に失うことである」と主張する。
それが、自由(=フリーダム)を根源としながらも、自分で獲得する「自由(=リバティ)」に至ろうとする「自由」への運動であった。
「人間を形成するものとしての超越(のりこえとしての)と、人間的世界のなかに現存する主体性(彼自身が自分に対する立法者である)と、この二つのものの結合こそ、われわれが実存主義的ヒューマニズムと呼ぶものなのである」
こうしてサルトル的実存主義者の果てない投企の冒険が始まるのである。
この「自由」の中核となるものは「選択」と「決断」であった。
しかし、サルトルの「自由」の思想に陰りが見え始める。
サルトルは1939年にフランスはドイツと戦争状態に突入し、サルトルは直ちに召集されて兵士としてアルザス地方へ赴く事となる。
幸い、戦時中のサルトルは兵士としては実にユルイ仕事しか任されておらず、平時よりも執筆がはかどったほどだったそうだし、ドイツに捕虜として囚われた時も非常に要領よくやって不自由はしなかったようだが……それでも、恐らくサルトルはこういった「状況」の中にあって改めて自由とは何かを考えざるを得なくなったではなかろうか。
サルトルは、この戦争体験によって「状況」が個人を束縛する事を肌感覚として実感したのであろう。
では、個人の立場に立脚し、自らの存在を乗り越えて「自由」へ至ろうとする実存主義者は、自らを常に束縛してくるこの「状況」に対して、どのような態度をとれば良いのか。実存主義にとって「状況」とは?
そう考えざるを得なかったからこそ、今度はその「状況」に自ら影響を与え、少しでも「状況」に自らの投企の影響を与える行動を、と考えざるを得なくなったのであろう。
それがサルトル的実存主義が集団的な問題を考えざるを得なくなった理由であった。
だからこその後期思想の重要点「アンガジュマン」が出てくるのだ。
無神論的実存主義の立場から言えば「人生の指針を示してくれる神」のいなくなったこの世界では、自分という存在は意味がなく、自分の意思とは関係なく偶然に存在していて、自ら動かなければ何の意味もなく無為無策な人生を送らねばならない。
だからこその自己投企によって自らの「自由」を獲得する行動が発生し、自らの自由を切り開いて獲得していかねばならない。
そのためには、戦争や組織間競争や歴史的事件など「大情勢」を無視する事はできなかったのだ。
だから「だれも『戦争』は知りえない」と言っていた実存主義者はは、だんだんと「集団」を意識せざるを得なくなり、遂に全体性の把握を可能とした。――可能とせざるを得なくなったのだろう。
だが、個人の実存の視点から思想をスタートした無神論的実存主義者では、歴史や組織や国を中心に考えてきたマルクス主義的立場からしてみれば様々な不備があり、それが村上嘉隆『人と思想34 サルトル』に書かれた、マルクス主義からのサルトル批判につながるのである。
このように、サルトル思想というものは個人的な視点による実存の立場から、徐々に視点を全体化していかねばならない困難な道であったと言えるだろう。
個人の視点からは、「戦争」という巨大な全体的状況を把握しきる事は難しい。
そこをどう把握し、実存の立場から「自由」を確保するために、どのように自らをその状況に投企し、その全体状況にどう影響を与えていくか――そのために常にサルトルは自らの思想を自ら実践し証明するために「アンガジュマン(社会参加)」していかねばならなかった。
……と考えれば、サルトルの後期思想が抱えていた葛藤とその困難さというのが良くわかるのではないだろうか。
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