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◆読書日記.《田中克彦『言語学とは何か』》

<2023年4月29日>

 田中克彦『言語学とは何か』読了。

田中克彦『言語学とは何か』(岩波新書版)

 モンゴル語研究を専門としていた社会言語学者による「言語学」というものの全体像を書き出す試み。

 ぼくが今年の課題であるソシュールを学ぶ前段階の知識として「言語学」の概要について学ぼうという事で始めた「言語学入門」の二冊目の書籍が本書と言う事になる。

 前回読んだ千野栄一『言語学を学ぶ』の内容は、言語学の幅広いジャンルを語る「浅く広く」という解説の仕方だったのに対して、本書は割と近代言語学をその発展段階を追いながら解説する言語学史的な視点だったので、双方の違いが非常に面白かった。

 しかし「近代言語学の通史」と呼ぶには蛇足に思われる箇所もあり、特に第四章「社会言語学」と第五章「クレオール学とソビエトの言語学」は、言語学の全体像を見るために必要だったのだろうか?とか近代言語学の発展段階を順を追って説明する1~3章の流れとはまた違ったトピックとしてとりあげる意味は何だったのだろう?と疑問に思わなくもなかった。
 が、著者が言語学についても左翼的スタンスで執筆する事が多いという事を後に知って納得いった。
 チョムスキーの学説をしばしば否定的に書いているのも、現在の言語学はチョムスキーの学説に否定的な立場の学者が多いのかな?と不思議に思ったのだが、どうやらそうではなくて、それも著者特有のスタンスによるものだったらしい。

 と言う事で、本書は純粋な「入門」というには若干そういったクセがあるものの、言語学という学問の概要の一端が伺えて勉強になった。

◆◆◆

 前回の記事にも書いたが「言語学」という学問はまだ歴史が浅く、そしてその概要を説明するのも非常に難しいものがあるようだ。
「あるようだ」としか言えないのは、ぼくが言語学については完全な門外漢に他ならないからなのだが、言語学の概要を説明する困難さというのは本書の著者も書いている事だし、前回の記事にも書いたように『言語学を学ぶ』の著者・千野栄一も同様に書いている事でもある。

 本書を読んで特に印象的だったのは、著者自身が言語学を「言語学は専門家の数においてマイナーなだけでなく、その精神においても、本質的にラジカルでマイナーなのである」と表現している事だった。

 私が学生として最も多くの時間を過ごした大学院で、当時教師たちは、学生たちにルネサンス的学者像を理想として説いた。私はダ・ヴィンチのように解剖学をやったり飛行機を作ったりはしなかったが、そういう環境のせいで、教師や仲間のやっている、いろいろな学問の世界に入って見る機会があった。だから、それらの世界に比べれば、言語学という分野がいかにやせこけて孤独であるかということを知っている。またそんな環境の中であればこそ、言語学を外から冷ややかに眺めるとともに、他方では言語学を熱く擁護したいという気分も培われた。言語学は専門家の数においてマイナーなだけでなく、その精神においても、本質的にラジカルでマイナーなのである。

本書「あとがき」より引用

 確かに言語学の困難さというのは、母国語を学ぶだけでは、この学問の全体像を学ぶ事は難しいという事もある。
 外国語を習得する事だけでも難しいというのに、それを踏まえて「言語とは何か?」という問題を研究しなければならない。
 それが、素人にも分かる言語学というものの表面的な「難しさ」だろう。

 母国語というのは、「学んだ」「習得した」という意識に無しに、いつの間にか自分の血肉となっているものである。水の中の魚が、水を意識しないように、空気の中にあるわれわれ人間が空気の存在を特別意識しないように、われわれは普段「言語」というものを、意識せずに使っているのである。
 だからこそ、無意識で使っているこのわれわれの「母国語」を客観的に研究するとなると困難が発生するわけである。

 言語学を説明する時に良く出される事例が本書にも出されている。
「ホンダナ」と「ホンバコ」と「ホンヤ」という言葉にはどれも同じ「ン」が使われているが、これをわれわれは無意識に、別々の発音で発声している、というのである。

「ン」については、素朴な外国人のほうが、より客観的な説明を与えることができるだろう。そして、「ン」をいくつもの文字で書きわけて示すであろう。たとえば、ホンダナの「ン」は舌のさきが歯の裏についているから〔 n 〕のオトである。しかしホンバコの「ン」は両唇があわさって、〔 n 〕とは全くちがう〔 m 〕のオトになっている。さらに、ホンヤの「ン」は、唇も、舌も、どこもついてはいないのである。これは母音で、しかも、鼻にかかった鼻母音〔 i (※鼻母音の i )〕として、音声学的には表記されるオトである。
 こういうことに気づかないのは、日本人なればこそであって、多くの外国人はすぐに気づく。というよりは、そうとしか聞きようがないのである。

本書P.92-93より引用

 学校ではひらがなの50音によって「ん」は「ん」という一つの音であって、どういう風に発音しても「ん」にしかならないと教えられている。が、外人から見ればそれらの「ん」も、単語によっては全く別の発音をしているのである。

 この手の母国語に関する思い込みは多数あって、ぼくが最近見て面白いと思ったのは以下の動画で「おはようございます(OHAYOUGOZAIMASU)」の「ス(SU)」は、発音としては「小文字のス(S)」で発音しているという話だった(以下のリンクの動画 2:45 辺りから見てみよう)。日本人もアメリカ人も、自分の普段使っている発音は意識できていないという点が興味深かった。

 他にも――これも言語学では良く出てくる話題ではあるが――言語によって色をあらわす言葉の分類が違っているというのも、母国語のみしか習得していない人には理解しにくい事だろう。
 例えば、著者がグリースンの『記述言語学入門』を引いて説明している所によれば、英語と、ローデシアのショナ語、リベリアのバッサ語の三つの言語を比較して、言語によって色の分類がどれだけ違っているかという事が分かる。

H・A・グリースン『記述言語学入門』(1955年)より

「"水"イコール"Water"ではない」というのも面白い指摘だと思う。
 われわれが「水を持ってきて」と頼めば「冷たい飲み水」が出てくるし、「お湯を持ってきて」と言えば「暖かい飲み水」が持ってこられる。だが、英語では基本的に暖かいのも冷たいのもどちらも「Water」だから、「水」と「Water」をイコールで結ぶ事はできない。
 こういった所にソシュールの「観念とオトの連結は徹底的に恣意的なのである(『一般言語学講義』より)」というテーゼがそのまま現れていると思える。
 言語は記号体系であるとは言っても、その分類方法は「徹底的に恣意的」であり、言葉という記号が指示する観念も言葉と完全に一致するわけではない。その範囲はブレがあって柔軟、だから非常にあいまいなものに感じられる。

 このように、母国語ばかりを話していると逆に気づかない事も多い。
 だからこそ、日本人が最も日本語について理解できている(母国話者が最もその母国語を理解できている)――というのは単純な誤解だ、と考えるのが言語学の立場だとも言えるだろう。

「言語」というものは、誰でもどんな人でも知っている(実際に話して使っているから)ものであると同時に、だからこその「誤解」「偏見」「固定概念」が多い。
 そういった誤解を取り除き、困難な外国語の習得をしながら「言語」という曖昧なものを探究しなければならないのが言語学だ。
 言語学の性格を「本質的にラジカルでマイナー」だと著者が言った理由が、そこにあるのだろう。

◆◆◆

 ソシュールの『一般言語学講義』では本題に入る前段階の説明として、まずこういった「言語につきまとい、その本体、本質をかくしている、さまざまな付随物を取り去って行き、言語そのものの本質にせまろうとする(本書P.25)」そうである。

 そういった「付随物」を取り去り、言語学が本来において対象にすべきもの、その独自の対象を明らかにするために、ソシュールはそれまでの言語学の流れを3段階に分けて説明する。
 それが、そのまま言語学の「通史」的なものになり、そこからソシュールから続く近代言語学としての学問がスタートする、と考えて良いだろう。本書の前半の「通史」的な解説も、この流れに沿って進む事となる。

 まず最も古くからある言語の研究の一つは「文法」である。
 これは前回、千野栄一『言語学を学ぶ』の記事でも引用したように、ソシュールが言語学を学問として成り立たせ、科学としての言語学を打ち立てるために否定しなければならなかったものでもあった。

 言語事象をめぐって組みたてられた科学が、その真正、独自の対象がなんであるかを認識するまでには、あいつぐ三つの段階をへてきたのである。
 まず手始めは、世にいう「文法」を編むことであった。この研究はギリシャ人が口火をきり、おもにフランス人が受けついだものであって、論理を土台とし〔ていたために〕、言語そのものにたいする科学的な、公平無私な見方を欠いている。それはもっぱら正形、不正形の別を立てるべき規則を供するのがねらいだ。つまりは規範学であって、純粋観察をへだたること遠く、その見地のせまいのもまたやむをえない。(9)

本書P.25-26よりソシュール『一般言語学講義』を引用した箇所

 ソシュールは「科学」としての研究に値する言語学を打ち立てようとする際、「言語表現」の正しい/間違いを論じるのは「科学ではない」として否定したのである。
 上にも書かれているように、それは「科学」ではなく「規範学」でしかなく、その正誤の判定を西洋では「論理」によって判定したからこそ「偏見だ」と指摘しているのである。

 この西洋的「文法」理解と言うのは、文法より先に論理が先に来るという点から、ソシュールはそれを「偏見」だと判断したのだ。

 ここで論理と言語とはどのような関係にあるかという重大な問題があらわれて来る。じつは、言語は論理を表すための手段であり、言語は論理に従属するものだという考え方には、長い歴史と伝統がある。言語を分析したり解釈するためにはいつでも論理が引き合いに出されるのはそのためである。そこからでてくる結論は、論理では割りきれない、論理に合わないような言語は、間違った言語であるから、論理に合うように矯正すべきだということになろう。あるいは、そんな論理にあわない言語を話している人たち、たとえば未開なアジアの民族は、その言語を捨てて、きちんとした、論理に合った言語を用いるべきである。そうすれば、その人たちは文明人になれるという古い十七、十八世紀的な考え方が生ずる。

本書P.26-27より引用

 このくだりを読んでいると、明治政府の文部大臣の森有礼が自分の著書で一冊丸々かけて日本語の非論理性や文法構造の未熟さについて論じ、「日本語が劣っているので、英語の文法に合わせよう」という発想に至ったエピソードを思い出す。以後、長い間(今もそうであろう)日本語の文法は、学校では英語の文法に合わせた説明がなされているという。

 つまりは、純粋にいま人々が話している言葉が先に来て、それに対して正しいとか間違っているとかいう議論があるのではなく、「規範」としての文法が先にあって、それと人々の言葉を比べて正しい/間違っているという議論があった。西洋では先に「論理と言語の同一視」という伝統が古代ギリシアからあり、言語は論理に従属するものだという「偏見」があったのである。

 ソシュールが、言語を科学として「その真正、独自の対象がなんであるかを認識する」ためには、このような西洋的文法理解の偏見を否定する必要があったのであろう。

◆◆◆

 ソシュールの説明する言語学の流れの2段階目は「文献学」であった。

 つぎに現れたのが文献学である。それはとりわけいろいろな時代の文献を比較し、各著者特有の言語を決定し、古風な、または難解な言語をもってしたためられた碑文を解読し、説明するためである。

本書P.31よりソシュール『一般言語学講義』を引用した箇所

 文献学というのは西洋思想史の中ではニーチェが専門としていた学問であった。
 文献学もそれまで「科学」という認識で研究されており、ニーチェがその文献学の知見を踏まえて「哲学的」なテーマで論じた『悲劇の誕生』が、文献学者らの間の評判は非常に悪かったと言われている。
 その時代(19世紀)はこの文献学は非常に権威があり、それは19世紀初めての言語に対する科学的なアプローチだったと言われている。

 だが、ソシュールはこの文献学も、本来の言語学者が取り扱うべき対象ではないとしたのである。

 文語に拘泥するあまり、生きた言語を忘れている。あまつさえそれが没頭するのはほとんどギリシャ・ラテンの古物にかぎられているといったていたらくだ。

本書P.31よりソシュール『一般言語学講義』を引用した箇所

 ソシュールの「生きた言語」という表現は注目に値する。古代の書物に書かれた文章は「死んだ言語」だというわけである。
 この認識の違いに、近代言語学と古い言語学との分かれ目が始まっているのである。

 ソシュールからの近代言語学の転換の一つは、言語の対象を「生きた言語」にしたという点であろう。

 言語は話し手においてのみ存在する。
 ソシュールは、文法論や文献学が「書かれた言語」を対象にしているという点でも否定しているのである。「書かれた言語」と「話された言語」とは別物の記号体系だ、と考えるのである。

「書かれた言語」の存在意義は、「話された言語」を紙上に表記し固定する事にある。
 言語の始原は「発話」のほうにあって、文字にはなく、「今まさに話されている言語」=「生きている言語」のほうを観察すべきだとしたのである。

 そして、ソシュールが指摘するように「生きている言語=オト」を観察する音声学が言語学のメインとなり始めた「第三の時期」が、「比較文法」の時期であったという。

 この「比較文法」――「比較言語学」や「比較歴史言語学」と言ったほうが通りがいいだろう――は、言語学が初めて「科学」の名を関するに相応しい成果を上げた学問として19世紀から20世紀にかけて非常に発展した分野だと言われている。

 比較言語学は西洋がそれまで接してこなかったサンスクリット語に接した事で発見された。
 この古代インド語は、ギリシア語やラテン語といった西洋古代語とあまりに文法構造が似ていたために、その比較分析が可能になったのである。
 ギリシア語、ラテン語、ペルシア語、ゲルマン語などの言語と、アジアで「発見」されたサンスクリット語は文法が似ているだけでなく音韻の対応についても非常によく似ており、その対応関係は非常に規則的で「法則」が成り立つほどのものだったのである。
(比較言語学について詳しくはこれ以上書かないので、概要はウィキ等でご確認の程を)

 言語の音韻変化が「法則」と呼べるほどの規則正しさを持っている。それは「例外のない作用」と呼ばれるほどのものであった。
 この驚くべき事実が、比較言語学を「科学」と呼ぶに足る分野にさせたのだが、比較言語学を扱う学派はある部分「科学主義」を徹底させ、言語にまつわる曖昧な「心理主義」を否定したのである。

 人の心は「科学」が扱うものではない。それは曖昧なものだからである。それゆえに、それは言語学の扱う部分ではない、としたのである。
 そのために「なぜ言語は例外なく規則的な音韻変化を行うか」という理由として、心的な理由は排除される。それはあたかも自然の法則のようなもので「盲目の自然の必然性をもって作用する(オストホフ)」と述べるに至った。

 しかし、人間が意識的に発している言葉について、人の意識と関りがないかのように考え、言語と心理的なものとの繋がりについてまで否定するというのは問題なのではないのか。

 ソシュールが切り開いた近代言語学の新たなステージとは、言語学にこの「心理主義」を徹底させる事にあった。

 ソシュールは「言語にあってはなにもかにも心理的であり」(17)、また「言語記号は、本質的に心的である」(28)という。しかしこの心理的、心的という特性を、個人のレベルで受け取ってはならない。なぜなら、言語活動の本質的部分であるラングは、「本質において社会的であり、個人とは独立のものである。この研究はもっぱら心的である」(33)というふうに、心的であることと社会的であることとを言語の本質という項によって結びあわせているからである。このことはソシュールの体系を理解するばあいのかなめになる。なぜならばまさにこのことによって、ソシュールの共時言語学を成立させる根拠が得られるからである。

本書P.61-62より引用

 個々人が意識していなくとも、その共同体のメンバーとして個々人に共有されて身に付けられているある種の無意識の感覚というものがあるとソシュールは想定し、それを「言語集団の集団精神」と言った。

 人は自分の意志で自由に行動していると考えているかもしれないが、社会的にその行動を分析して見れば、ある規則を持った「構造」が浮かび上がってくる。
 それを指摘したからこそソシュールが「構造主義」の祖であると言われるゆえんとなったのだ。

 簡単ではあるが、これが大まかな言語学の発展段階であり、その転換点にソシュールがあったというわけである。

 冒頭にも言ったようにぼくは言語学を「ソシュール」や「西洋哲学史」の文脈の一つとして勉強している。
 言語学と西洋思想史との間にまたがっているこのソシュールという存在を理解するには、ある程度の言語学の知識が必要だと考えたわけだった。

 最初はそんな軽い気分で始めた言語学のお勉強だったが、意外に面白い回り道になっているのではないかと思うようになってきた。
 前回、千野栄一『言語学を学ぶ』でも言ったように、音声学としての言語学を学ぶのは、門外漢には不可能だろう。
 だが、その学問が独自に持っている発想というものは、他の学問を学んでいる者としては良い刺戟となる。ちょうど上に言ったように「日本語を話している日本人が、最も日本語を理解している」わけではなく、外国語からの視点もあったほうが客観的に見る事ができるのと同じである。

 特にソシュールは言語学だけでなく記号学や西洋思想などにも影響を与えるだけの、ある種の思想の柔軟性があるように思われるのである。

「言語」というものは、誰もが日常的に使っているものだけに、誰もがそれについて自説を述べる事が出来る。だが、その「言語」について、われわれは上に言ったように「母国語」の実態さえも正しく理解していないのである。
 人間なら誰しも関わっているにもかかわらず、これほど正体が曖昧で謎に包まれている「言語」というものを探究する学問だからこそ、言語学は広範な分野に影響を与えるような考え方が発見されてきたのではないだろうか。


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