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私が私を生きないと、誰が「私」を生きる?

眠れない夜は文章を書こう。

今日はそんな夜。

ふと思い出した。
しばらく前まで私は自分について思い悩み、眠れない夜も多かった。
小学生から大学生まで、そういう夜が何度かあった。
きっとこの記事を読んでくれた貴方もそんな時期があっただろうし、絶賛只今そんな時期かもしれない。

私らしくいること。

私が私であること。

私にとってそう「ある」ことは難しかった。

皆が当たり前に出来ていることが出来ない。
そう思い悩む20代前半。

自分の考えや意見は明確にあるのに、周りの意見を聞きすぎて、取り入れ過ぎて判断の軸が分からなくなり、身動きが取れなくなる。人の目を気にしすぎていた。

(MBTIが関係してるか分からないけれど、私はINFJだからそういうところがあるのかもしれない。
あ、何でも当てはめてラベリングして考えるのは好きじゃないと思いながらも、そういう見方も参考にしてもいいかもと柔軟になってきている今日。)

私は自分を生きることは苦手なのに、人が望む生き方をするのが得意だった。
私みたいなものを演じて生きること、それらしく振る舞うこと。

良く言えば俳優、悪く言えばまるでピエロのよう。
そんな自分が自我が芽生え始めた小学校高学年頃から嫌いだった。

写真に写る自分も、なんか気持ち悪い笑い方をしている。誰だよ、これは私ではない。
太宰治の「人間失格」の気持ちにはすごく共感していた。

意見があっても相手が気に入ることを言い、相手が望む行動をしようとしてしまう。
葛藤があるのに「八方美人」になってしまう。
学生時代、通りすがりのおじさんにレジの時に言われた言葉を時々今も思い出す。

「あんた八方美人だね。」と。

通りすがりのおじさんに見透かされた。
ああ、なんて薄っぺらい私なんだろう。
自分なりに頑張ってきたつもりの人生でも、この人からしたら私の生き方は甘っちょろく見えるのだろう。

何度も自分の中で反芻して、その度に自分や他人に対して不誠実な自分を直さないといけないな、と自信を失くす。

そんな生き方は望んでいないのに、なぜか人が望む生き方を反射神経的にしてしまう。
困った性格だ。これでは自分の物語を生きていない。

それに気づいたのは24歳頃。

子供の頃、小学生の頃は何故か俳優に憧れていた。役を演じること、その役の気持ちになること。
小学六年生の時、学校の芸術鑑賞会で児童代表として劇団員と一緒に村の娘役を演じた時の役になりきる、演じきった時のあの清々しさと達成感。

自分を客観的に見ながら、そのように振る舞うことは好きだった。

それを俳優として行えば仕事として成り立つのかもしれない。
けれど現実世界で自分の人生の中で行ってしまうとたちまち生きづらくなる。
自分に自信を持って、幸せに生きることが難しくなる。

中学生になって、「劇団ひまわり」に所属している同級生がいた。
その子と仲良くなって、学年集会の時に二人で考えたが脚本で、100人くらいの前で発表した記憶もある。
だから俳優への憧れを持ったことがないと言ったら嘘になる。

役を演じることで、自分に自信が持てたことがあった。

だけど田舎で学校と家しか居場所がなかった私は、主体的に自分の興味から外部の人との関わりを持つことが出来なかった。
そのような環境は残念ながら当時の私の身近になかったからだ。

もし舞台や演劇が身近にあったら、私の人生の中で劇団に入る選択肢を持ったかもしれないと今になって思う。

都会だったらどんなに良かっただろう。
片田舎に住む私にとっての世界は、インターネットで世の中を知ることくらいだった。

高校生の時に町の劇団があることを知ったが、物事の分別がついた年齢になり、自分の将来結び付く行動にはならないと思い、チャレンジすることはなかった。
中学生の頃、服に興味が湧いてきたことで、高校生では服飾の道に進みたかったから、俳優とか、演劇への興味はその時点で薄れていた。
その時には吹奏楽にも夢中だった。

思えば服に興味を持ったのも、「人生」という名の舞台で、自分が「主役」として生きたい、せめて服を着て理想の自分になりきりたいという願望の表れだったのかもしれない。

好きな服を着ることで、憧れに近づけた気になっていたのだと思う。

自分らしさを服に託していたのだとも思う。
中身は追い付いていなかったかもしれないけれど、それが心の支えとなっていた。

それから高校の部活に演劇部もあり一度入部も考えたが、かなり個性的な男子部員二人の中でやっていける気がせず入部は断念した。

そして今27歳。

最近ようやくそんな自分から少しずつ脱皮出来ているように思う。

つい最近まで手放したくない環境や人がいた。
それでも手放さざるを得なかった。
一生を共にしたいし、気が合っていると思っていた人と急にリズムが合わなくなり、コミュニケーションにすれ違いが生まれ、もうお互いが取り返しの付かないことになってしまった。

ようやく4か月が経って、別れも何かの運命なんだと思うことにした。

まだ予測変換で少しだけ住んでいた土地の名前が出ることで、少しだけ胸の奥がキリリと痛む。

だけどある意味物理的にも「脱皮」したのだ。


だからなんだろうか?


もっと素直に振る舞って、自分の気持ちに素直に生きることが出来たらどんなに楽だろうと思っていたけれど。


「私らしく笑い、優しくいれば平和だ」

「誰かを大切に想うように、誰かを大切に扱うように私を扱うこと」

そんな言葉が脳裏を掠めたのはついこの間。

服だってメイクだってショートヘアのこの髪型だって。
好きな場所、好きな音楽、好きな絵。
誰にも干渉されない、邪魔されない。
もうあの人のことなんて気にしなくていい。
自分の好きなように生きていい。

これからは私が好きな「私」でいよう。



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