藤本敏夫って知ってるかい!?
去る7月31日、鴨川自然王国にて“藤本敏夫20年忌に集う会”を楽しんだ!
“元反帝全学連委員長”、1972年下獄、“歌手加藤登紀子と獄中結婚”などその過去は結構世間を騒がせた。彼によれば刑務所生活で農業の奥深い世界に触れることになる。2年余の“刑務所ぐらし“ ののち、出所。1976年、縁あって大地を守る会初代会長”になる。
ぼくはその年、彼を訪ね、話をし、すっかりハマってしまった!
そして彼は1981年、事業化に邁進する“大地”の代表を退任する決意をし、次のあるべき姿を求めて千葉県鴨川に自ら生産拠点をつくり“にわとり倶楽部”という、今でいうCSA(コミュニティ・サポーティッド・アグリカルチュア)づくりにチャレンジ。その後名前を変え、鴨川自然王国という「場」づくりに入る。
その間、納豆の持つ食としての可能性を追求。“納豆は地球を救う”をコンセプトに“地球納豆倶楽部”という一つの商品に特化した、今でいうサブスク、納豆の定期購入システムを作りあげ、若手が引き継ぎ今でもちゃんと続いている。
そして何より、1990年代、“時代の感覚”を読み取り、半農半Xの礎を築いたのは藤本敏夫だとぼくは思っている。今の若者の農業へ向かう心情、定年後に農業の世界に向かう時代感覚を予測し、“青年帰農”、“定年帰農”という表現でその動きを加速させようとした。
そして2002年、彼は亡くなる直前、時の農水大臣武部勤宛に農林水産省の役割は「”健康と環境”を保全する”持続と循環”の仕組みを持った農業と地域社会を創り上げ、” 公開と公正”に基づく国民的合意の中で、日本及日本人の”自給と自立”を達成すること」と題し、“建白書”を送付している。
その中には、“エコファーマー”、“ウェルネスファーマー”、“ワークシェアリング”などまさに今を予測したコンセプトと言葉が散りばめられている。
彼は「ウェルネスファーマー」を「健康・教育・環境・レジャーに対応する農業の多様な価値を担い、農民でなかった人が新規に就職したり、他に定 職を持ちながら農業にも携わる兼業農家を目的に志したり、まったく趣味として農的生活 を楽しむ人と説明している。
そして最後に・・・
「持続循環型田園都市」と 21 世紀型生活 スタイル「里山往還型半農生活」(半農半X)を創造すること。「農業」を中核に据えた日本の地域社会 づくりと「農的生活」をベースにした、日本人の生活設計が農林水産省の目指すべき目的・ 目標だといえましょう。
今こそ 21 世紀の希望を行政目標として、そして個別政策として語ることが必要なのだと 確信するものです。
と述べている。
これが、ちょうど20年前の文章。ぼくは彼の直感力の鋭さに何度も触れている。そして亡くなる前、彼が次の時代を考え作ったもう一つの会社をぼくは引き継ぎ、らでぃっしゅぼーや代表を退任した。
藤本敏夫のことを書くと、どうしても長くなり、とりとめがなくなる。
兎にも角にも没後20年、鴨川自然王国に全国から70名ほどが集まった。藤本敏夫が描いた世界がここに凝縮し、現実となっている。
次女が半農半歌手として夫婦でここを引き継ぎ、長女夫婦も7年前からこのすぐ近くに住み農家に転身、大山千枚田で7反歩の棚田を耕している。三女は沖縄で福祉事業の会社を起こし、今回3姉妹が揃い踏みした。
この日参加した人はひとかどの人ばかり、紹介すればこの10倍は書かなくてはならない。
というわけで、ぼくは
せっかくの年、藤本敏夫を伝え、これからの有機農業を語る
“藤本敏夫没後20年記念シンポジウム”
を今年中、11月ごろに1日かけてやると、この場で宣言してしまった。
悪い癖だが・・・
齢71、これがぼくが主催する最後のシンポジウムかな!
11月23日、空けておいてくださいね!
有機農業、これまでの50年、これからの50年を語りつくすシンポジウム
を開催します。是非情報拡散、シェアをお願いします。