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『すべて忘れてしまうから』を忘れない

断片的回顧録。
燃え殻氏によるこのエッセイは、そんなふうに名づけられている。
それならば言いたい。
なんて純度の高い、まばゆい断片たちなのだろう、と。

早朝のコンビニで出会う異国のアルバイト「ド」さんのこと。
「和製マイク・タイソン」たる不良の彼が、作者にかけてくれた恩情のこと。
テレクラで「あんたさ、つんく♂に似てる?」と言われ、「はい、似てます」と答えてみたら切られたこと。
最初の授業で「お前らの九割にロクな人生は待っていません。だからせめて健康でいような!」と半笑いで言った担任教師のこと。

普通の人ならば記憶にも留めないかもしれない小さな出会いやささやかな出来事も、燃え殻というフィルターを通して気取りのない言葉で語られるとき、印象的で色鮮やかな「断片」に変わる。
そんな断片たちを、いったいこのひとはいくつ抱えているのだろう? いくらでも見せてほしくなる。
人は記憶でできている、とつくづく思う。

ヴィレッジヴァンガードや餃子の王将へ自分の手柄のように連れてゆく女性のくだりでは、愛媛県に住む姉に「美味しい讃岐うどんのお店に連れてっちゃる!」と丸亀製麺に連れてゆかれたときのことを思いだし、苦笑してしまった。
でもなぜだか、自信満々に紹介されたものというのは、たとえ既知のものであっても何割か増しで良く思えるのだよなあ。

「北は駆け落ち、南はバカンス」そんなキャッチーにして真理を突いたフレーズも好きだ。
たしかに、北へ向かう旅には演歌が、南へ向かう旅にはポップスが似合う気がする。なんなんだろう。
誰もが思うのに今まで言葉にされたことのなかったものたちが、ふさわしい名前や形を与えられて本書の中をいきいきと飛び回っている。

深夜の六本木のキャバクラのエピソードには、胸を突かれた。
自分より格下の人間には人権がないとでも思っているらしい某局のプロデューサーが、深夜2時過ぎに作者を呼びつける。
「な、呼んだら来るんだよ」
自分の支配力や影響力を誇示するためだけに呼びつけた彼は冷笑する。
愚にもつかない雑談に使われただけで退店しようとする作者はしかし、同郷のキャバクラ嬢に階段の上からかけられた言葉に救われる。
ちゃんと社会の数にカウントしてくれた彼女に——。

ちょっとだけ悔しいのは、男性にしかできない貴重な経験のことだ。
何も考えずにふらりと石垣島を訪れて、ネオン街で酔い潰れ、翌朝知らない異性の家で目覚めるなどという無防備なことは、女性にはまずできない。
下着姿で海に飛びこんだり、知らない町のクラブに突入してゆくことも、難しい。追体験しようと思っても容易じゃない。
悔しさを覚えると同時に、美術制作会社で過労気味に働く作者にほんの時折天使のようなひとときの休息が与えられることを、喜ばしく思う。

「あの夜、『ナイトクルージング』を一緒に聴いた」のエピソードを読んでいるとき、ちょうど夫がフィッシュマンズをかけていて『ナイトクルージング』も流れたばかりだった。
そんな奇妙な符合に興奮するわたしを、書棚から大槻ケンヂの『リンダリンダラバーソール』が見下ろしていたりして、もはや運命かと思ってしまう(何のだ)。
『パラサイト  半地下の家族』で最もグッときた台詞も引用されていたし。感無量だ。

良いことも、悪いことも、そのうちすべて忘れてしまうのだと作者は言う。
でもこの本に書かれていたことたちは、たとえ作者自身が忘れても、わたしが忘れない。忘れられないという予感がある。
だから、もし脳がキャパオーバーなのであれば、そのまばゆい断片たちをレンタル倉庫のようにわたしの脳に預けておいてくれませんか?
無期限でお預かりしておきますから。

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