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毒親に妊娠を教えてしまった結果、子供を流産してしまいました。
私は毒親に虐待を受けて育ち、結果として16歳の時に摂食障害と双極性障害になりました。摂食障害は15年の長い歳月をかけて完治し、双極性障害も回復しましたが、
ここまで来るのに、沢山悩み、色々な挑戦をし、試行錯誤してきました。
大学生になってからは、毒親から逃げて過ごしていました。
その時の話はこちらになります。↓
他にも毒親に関する記事を書いていますので、それはこちらからご覧ください↓
こちらの記事は流産などのセンシティブな内容が書かれています。
お辛い方はゆっくりと落ち着いて読んで頂くか、記事から離れて頂いても大丈夫です。
毒親から逃げ続けた私ですが、1番上の記事にある通り、結婚するにあたって母親を夫と住んでいた家に呼び、結果として家を知られてしまいました。
母親は連絡もなく、頻繁に家に来て私に毒を吐くようになってしまいました。
居留守を使っても、アパートなのでバレてしまう事もあり、また毒親に怯える生活が戻って来てしまい、とても失敗したなと感じました。
そんな時に、私は第一子を妊娠しました。
初めての妊娠で右も左もわからない中、母親はやってくるので、妊娠したことをつい話してしまったのです。
すると毒親は、「あんたが妊娠なんてするから!!」などと言い始め、自分のイライラやうまくいかないことを私のせいにして、暴言を吐いてきました。
元々、私が早くに結婚してしまった事を、「家にお金を入れてないのに、結婚なんかしちゃって!!」とも言い捨てていました。
毒親はいつも、「こんなに金かけてきてやったのに!!」と言い放っていて、
子供は資産だとでも思っているのか、「お金をかけてきてやったんだから、その分を返せ!!」という感覚が強いようでした。
典型的な毒親発言だと思います。
ちょうど夜に夫がいなかった時でしょうか、母親と2人で居酒屋に行くことになり、
個室に入ることになりました。
とても狭くて窓もない個室でしたが、母親は構わず煙草を吸いました。
「妊娠しているから、タバコはやめてくれる?」
と言いましたが、
「あんたがマスクでもすればいいでしょ?!」
と言って、スパスパとタバコを吸い続けました。
10年ほど前の話で、コロナ禍でもなかったので、マスクなど持っているはずもなく、
私はつわりも始まっている中で、赤ちゃんと共にタバコの煙を吸い続けなければいけなくなってしまいました。
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妊娠してからもそのような毒親からの仕打ちは続き、私は精神的にやられてしまって、過呼吸になってしまい、倒れるほどの胃痛を起こしてしまいました。
その後すぐに、元気で何も問題なかった赤ちゃんは、亡くなってしまいました。
母親が呼吸ができなくなると、赤ちゃんに酸素が行かなくなってしまって、赤ちゃんは亡くなってしまいます。
私は、自分が過呼吸になったせいで赤ちゃんは亡くなってしまったんだと感じ、
赤ちゃんを守ってあげられなかった弱い自分をとても責めました。
初期の流産は赤ちゃん側の染色体異常などが原因で、お母さんのせいでは無いと
言われる事は多いです。実際そうだったかもしれません。
しかし、こんな事があった直後に赤ちゃんが亡くなってしまうという悔しさ、苦しさ、虚しさは消えませんでした。
そしてもう一つ残ったのは、母親への怒りと憎しみでした。
その後、陣痛が起きて、自宅で赤ちゃんは出てきてしまいました。
出血多量で私自身が、危ないところでした。
出てきた小さな小さな赤ちゃんを手の中で抱きしめ、泣き叫びました。
「元気に産んであげられなくてごめんね。」
その言葉ばかりがぐるぐる回っていました。
私は1人で自宅で強烈な痛みと悲しみと苦しみに襲われました。
自分1人では動く事もできず、夫は会社に行った後でしたが、戻ってきてもらい、
一緒に産婦人科へ行きました。
しばらくは、なかなか立ち直れませんでした。
うつ状態はひどくなり、病気も悪化していたと思います。
私と夫は、早急に毒親から離れる決意をしました。
このままでは、また子供ができても毒親に殺されてしまう。
そう思いました。
もう2度と自分の子供にこんな想いはさせない。
絶対に自分たちの手で子供を守ろう。
そう2人で話し合いました。
それから、実家から電車で1時間半以上かかり、オートロックでコンシェルジュ付きで、下からでは絶対にいるかどうかわからないような大きなマンションに引っ越しをしようと決めました。
家賃は高かったですが、また妊娠した時の為にも、私の病気を回復させるにも、今は必要な出費であると感じていました。
毒親達に、私が流産したことを知らせると、「流産した事を聞いて過呼吸になった!!」といきなり、父親が母親を連れて夜遅くに、連絡もなく突然やってきました。
その時、私は母親に関して、私はこの人は一体何を考えているんだろう?
自分のせいでこうなったのかもしれないのに、結局全て人のせいにして、
いつも自分が辛い辛いとばかり言い放ってくる。
涙を通り越して、その時はなぜか笑いが込み上げてきました。
母親は私が結婚した後、60歳を過ぎてから不安神経症と診断されました。(それも本人がいつも言う事が違うので、何の病気なのかはわかりません)
その為、私と夫はこの流産はあなたのせいかもしれないんだよ、と言う話は一切しませんでした。
しかし10年の時を経て、最近毒親に「あなた達がしたことは虐待なんだよ、あなた達は毒親なんだよ、私は死ぬほど苦しんできたんだよ」と言う内容を伝えた時に、
この時の流産はあなたのせいだったのかもしれない、私は当時はすごく辛かったんだ、と言う内容も話してみることにしました。
しかし、「お母さんのせいにしないでよ!ひどい!縁を切る!」などと言われて、終わっただけでした。
今でも毎年、1人目の流産した子の命日に水子供養に行っています。
その度に当時の事を思い出し、母親に関しての怒りや憎しみが蘇ります。
毒親とは縁を切りましたが、この怒りや憎しみは今も消えません。
ただそこに留まっていても、良い方向には進まないので、
1人目の子の分も、今育てている2人の息子達に沢山愛情をかけて優しく育てる。
そして、出来る限り「いつも見守ってくれてありがとう」と、1人目の子に心の中で感謝の気持ちを伝えてあげる。
そうして、生きて行こうと思って今を生きています。
流産してからは、素直に友達の妊娠が喜べなかったりして苦しみました。
職場の保育園では、自分が育てるはずだった子供と同じ年齢の子のクラスを担当することになり、「生きていたら今こんな感じだったのかなぁ」と考えたりして辛くなることもありました。
その感情は、無事に長男を出産するまで、常に心の中にありました。
そんな苦しい日々を過ごしていたので、長男を出産した時の喜びは本当に計り知れないものでした。
そうして毒親から逃げたおかげで、無事に1人目も2人目も出産する事ができました。
妊娠しても毒親に伝えるのは安定期に入ってからにし、極力妊娠中は毒親に会う頻度を減らしました。
出産の際も事後報告で、産まれた後に、「何月何日に産まれました」と言う連絡をしました。
もちろん里帰りなどは一切せず、子供達は退院後からずっと夫と2人育児でしたが、
確実に毒親と離れていることが1番ベストだと感じました。
毒親に悩んでいる方、自分が毒親かもしれないと感じている方、妊娠中で毒親との関わり方を考えている方、
そんな方の参考になれれば嬉しいです。
私はココナラで相談や愚痴聞きのお仕事をしています↓
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