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研修をやっていて気づいた、大学院の授業で得た応用力

大学院での学習はどのようにプラスとなるのでしょうか? 理系の場合、修士くらいまで行くのは専門性を確立するため、また就職のためにある程度必要と見なされているかもしれませんが、文系の場合にはどのようなメリットがあるのかと、迷うこともあるでしょう。
先に進む前に、この「文系・理系」というのに問題を感じている一人として書いておきます(別記事が必要かもしれませんが)。今の時代、文理を明確に分けるのはナンセンスであり、実際、分野によっては両方をまたいでいる場合もあります。心理学など、文系科目と考えられていますが明らかに理系的要素も入っています(やることにもよりますが、統計学や生理学・脳科学などの知識が求められるところなど)。
多くの研究や学習は学際的であることを求められています。あまり固く「文理」を分けて考えるのは弊害があるかと思います。

さて、いきなり話が逸れてしまいましたが、3年くらい前から企業研修をやっています。コロナ中だったのでオンラインの、それも録音によるものが多かったのですが、最近はライブでインタラクティブなものや、対面の研修も行うようになってきました。
私の場合、少数を除いて「雇われ講師」なのですが(契約先からパワポが送られて来、それをプレゼンする)、かなり多くのトピック、おそらく30~40~くらいを扱ってきています。主には、メンタルヘルス・ウェルビーイング系なのですが、健康・医療に踏み込んだものや、組織内コミュニケーション等、多岐に渡ります。
私は暗記はしませんが、これをパワポが来てからできるだけ短時間で消化し、関連する話のネタなどを事前に考え、あとは(もちろんスライドを見ながらですが)ほぼアドリブでこなします。

この週末、フトこのことについて考えていて、なにがこれを可能にしているのだろう? と自問しました。
そこで思い当たったのが大学院(修士・博士)での授業です。日本の大学院にいたことがないので、やり方が違うのか分からないのですが、アメリカの大学院、私が通った2つの学校はともに「セメスター制」を採用していました。9月始まりで、12月までの秋学期と、1月から5月までの春学期があり、間に長い夏休みが入っています(夏休み中も希望者には講座があります)。よく、「9月新年度論」が言われていますが、だいたいは9月、1月、夏のどのタイミングからでも入学できるというのがアメリカのシステムです。
(蛇足ですが、個人的にはセメスター制が好きで、というのはトライメスター制、クォーター制だと学期の回転がせわしなく、インプットした情報を十分に「沈殿」させ、消化・熟成する期間がないと思うからです。夏休みが長く、レジャーであれ研究・学習であれ、自由に使えるというのも非常に良いことです。)
学期始めにはいくつか取りたい授業に出てみ(最初の頃だとほぼ必修で固められることもありますが)、履修登録をしますが、授業の始めにはシラバスが配られ、お馴染みの「圧倒される」気分を味わうことになります。というのはそこに書かれている大量の参考文献があるからです。
白状すると、最初の修士の頃にはあまりちゃんと予習(主に文献を読むこと)をしていきませんでした。日本でのときのように、試験前に勉強しなんとかクリアしていたような感じでした💦
が、さすがに博士課程に到達する頃には、それではいかん!と思い、というのは読んでいなければディスカッションに参加できないからです。読まずにそこで出てきた話題になんとなく食いつくということも可能ですが、読んでいないと先生にバレバレかもしれませんし、なんとなく罪悪感から居心地が悪くなってしまいます・・・
という訳で、18時からの授業(大学院は仕事している人のため、授業が遅め~16時、18時、20時スタートなど)のために、だいたいその前2時間くらいはカフェに座って文献を読んでいました。

このようにして、科目や内容によりますが、「未知の分野」にセメスターごとにタックルする訳です。年次が進んでいくたびに関連する知識は増えていく(はずな)ので、大変さは減っていくはずです。が、学期始めの「圧倒」は変わらないままでした💧
つまりは未知の、あるいはあまり知らない分野の情報を大量に突きつけられ、そこから自分の課題や興味を探し、学期末にはレポートとして提出するということを繰り返します。いわば新しいものを自分事としてある程度消化した上にアウトプットを出すのです。
このような、「インプット」→「消化・リサーチ」→「アウトプット」のサイクルを凝縮したものが、研修の内容を受け取り、実施をするということにつながっていると思うに到ったのです。
大学の先生であれば、このようなサイクルを自分の専門分野に関して行っていると思いますし、中には大学院卒業からストレートに教員になられる方もおられます。
この究極がいわゆる博士論文と呼ばれるもので、その分野に追加する価値があると思われる、独自性のある内容や質が求められます。(昨日、ある記事でその「独自性」を否定され博士課程からドロップアウトした研究者が、後にその彼女を追い出した教授の名前のついた賞をもらうことになったという、「皮肉」な結果-がんばったということですが-が書かれていました・・・)

大学院卒の強みはこのような大量のインプット・アウトプット、消化力やリサーチ力、専門分野に関連づけた情報の整理力、言語化・形にする力などかと思います。人脈も重要です。というのは、博士は博士同士とつながっていくこともできるからです。もちろんそれ以外の人もつながれない訳ではないのですが、「ツーカー」感があるのは事実かと思います。(まだまだあるかと思いますが。)
日本で大学院教育、特に博士課程がないがしろにされてきたことが今頃問題視されていますが、要はこのようにつながっていける可能性のある人材を十分に育ててこなかったことも、「ガラパゴス化」の理由の一つかと思われます。
しかし、大学院や高等教育機関での研究の本質は「かならずしもすぐに役に立つ訳ではない」というところにあると思っており、その辺が即時の成果や経済的メリットを重視しすぎる日本の政財界に理解されないまた別の理由でしょう(その視野の狭さのために、さらに遅れを取っていくのです!)。

今日の話で、大学院での学習と研修実施の類似や、大学院で学ぶメリットが多少分かってもらえたのなら嬉しいです✨ちなみに、自社制(厳密には個人事業なので「社」ではないですが)研修も行っておりますので、上記のようなトピック(+ダイバーシティもやってます)で研修を行いたいという企業・団体様はぜひご連絡ください♪
(大学院生等のカウンセリングも行っています。アメリカでは特にストレスの多い時期として知られており、カウンセリング・心理療法を受ける人も多いです。)

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