フロイトの『夢判断』放送に当たって~「精神分析的心理療法」とは?
同僚に当たる人からフロイトの『夢判断』がNHK100分de名著で取り上げられると聞き、非常に驚いています。驚いている理由を述べるだけで時間がかかりそうなので、ある程度割愛しますが、精神分析は欧米では非常に威力を持ったものです。言ってみれば社会のあらゆるところにその考え方や影響は浸透しており、今日の心理療法やカウンセリングの原型はそこにあると言っても良いものです。
『夢判断』は1900年(本当は1899年だが、フロイトが「20世紀の書物」にしたいとして1900年として刊行)に出版されていますが、日本で知られてこなかった訳ではなく、精神分析コミュニティも以前から存在していますが、このような形で一般向けの放送で扱われるというのは、最初の出版から1と4分の1世紀経ってとうとう精神分析が日本に到達した、というように感じます。(まったく別の感想をお持ちの専門家の方々もおられるかと思いますが。)1世紀以上生き残り読み継がれているということだけでも、やはり色褪せない古典であるということを感じさせます。
偶然にも、今年に入って『夢判断』を(英語で-手元にあったので)読んでいました。あらためてゆっくりと読んでみると、フロイトの野心を感じます。夢というものが単に見たままにされるだけでなく検討・解釈に値するということ、それはシンボル(象徴)に意味を当てはめるような一般的なやり方でなく、夢を見た夢主により違ってくるということ、当時(今もかと思いますが)医学会で無視されていたように夢は無意味なものではない、ということを自分の夢を持ちだしてまで力説しているからです。
実際、私は2004年に国際夢研究協会(IASD, International Association for the Study of Dreams, www.asdreams.org)に加わってから夢というものにそれなりに関わってきていますが、意味がないとは言えないでしょう。予知夢とまでは言いませんが、未来をポイントするようなことは夢によく出てきますし、浅い眠りなのに夢を立て続けにみると、朝起きてスッキリしているようなこともあります。これは、夢を見ながらも瞑想状態に近いのかなと思っています。一般にレム睡眠ごとに夢を見ると言われていますが、ストレスや感情的な問題がある場合、真夜中の夢から明け方に向けて、漸進的にプロセスされていっているようです。要は、「重い」方から「軽い」方へ進む、ということでしょう。
私の場合、夢に取り組んできたばかりではなく個人セラピーを受けたり、自分でもセラピストをしたり、またボディワークなどもしてきていますから、どれがどれに効果があったと言うのもなかなか言いがたいとは言えます。すべて夢のおかげとも言いがたいですが、夢にはそれだけのパワーがあり、もちろん意味もあります。
100de名著のテキストで京都大学の立木先生が見事に述べられているように(まだ読了していないのですが)、夢の「発見」というだけでなく夢を含む「無意識」というものの「発見」、その密かなる働き、それが起きている間の私たちの生活に大きく影響しており、場合によっては神経症といった心身の症状にも影響しているということを発見したのも、フロイトの大きな功績の一つです。
日本では夢というとユング派というイメージがあるかと思いますが、たしかにユング派では夢を中心に据えます。が、ユングも最初はフロイトの弟子でした。ある年、ニューヨークに呼ばれた二人は大西洋航路の船上で毎朝のように夢について議論しつづけ、そのあまりの解釈へのアプローチの違いに二人は袂を分かったと言います(修士時代にニューヨーク大学のアイリス・フォーダー教授から聞いた話です)。コミュニケーションは重要ですが、ときに話しすぎはこのような結果に終わるのかもしれません。
フロイトの夢はその性的シンボルに比重を置いたアプローチで知られていますが、それはあくまで精神分析学の始まりであり、その後精神分析学・精神分析コミュニティの中にはさまざまな学派やアプローチが分派し共存してきました。主なものだけでも挙げると、自我心理学、対人関係学派(サリヴァン派)、対象関係論(クライン派やウィニコット、ビオンなど)、自己心理学(コフーと派)、フェミニスト精神分析、関係精神分析などがあります。
究極には、こうしたおおざっぱな学派というよりは、それぞれのトレーニングを受けた臨床家(分析家)により精神分析の中にありながらそれぞれ独自の「理論」やアプローチがあると言っても過言ではないでしょう。
自分と効果的に働くことのできるセラピストや分析家との出会いは、人生を大きく変えるものだと言えるでしょう。
「精神分析」と正式に呼ばれるのは、週3回~の面談を重ねるもので、正式には4回以上かと思われます。イスとイスを向かい合わせたような「対面」の形でなく、カウチ(寝椅子)を使い、患者(と伝統的に呼ばれます、あるいは「被分析者」)はその上に横になる(実際にはリクライニングの角度)ことにより、分析家の姿や反応が目に入らない分、不自由なく連想をしていける、というものです。
実際にはやってみると、なにもかもスムーズに流れていくわけではなく、つっかえるところが出てきます。突然黙ってしまったり、言いたいことを忘れたり、あるいは話題を突然変更したりします。こうした部分が「つながっていないところ」と考えられ、抵抗と言いますが、精神分析的治療では抵抗の分析というのも行われていきます。それにより、心のエネルギーがより自由に流れるようになり、それまで神経症的な症状(不安など)に費やされていたものが、より創造的な活動に向かうことになります。
週3回~の面談については、以前から多くの批判がありました。社会における限られた人たち(時間的にも経済的にも余裕のある)にしか、手に入らないというものです。そこで、現在では一般的に「精神分析的心理療法」というものが行われており、週1~2回の頻度でカウチを使わずに面談が行われます。これでも、現代の忙しい人たちには「多い」と感じるかもしれません。大人の習い事などを考えて見ても、週1回というのはかなり頻繁に思われるかもしれません。が、ある程度の近しさや親密さ、感情的なつながり、前回の内容をある程度覚えており継続性を得るといった、効果を上げるための条件として「週1回」はなかなか譲れない線であると考えられています。
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