満員でない「満員電車」? 東京とNYの違い
ハッキリ言って、満員電車は好きではありません。時間帯的に、早めに行かなければならないのが週2日、帰りの混雑時間は別路線を使ったりもしています。なんと言っても日本で最大の乗降客数を誇る新宿駅を通らなければならないというのも、なかなかのことです。
スシ詰めになり、それでもぎゅうぎゅうに乗ろうとする日本の首都圏や都市圏の混雑ぶりは、多くの外国の人には理解しがたいでしょう。とは言え、アメリカの大都市圏に見られるような1~2時間の渋滞といったことも、考えられないのですが・・・
人のスペースがなくなっても、なおも押し込もうというような日本の感覚は、NYにはありません。電車(地下鉄)に乗ろうとして、人がある程度入っているところに入り込もうとすると、だいたいみんな頑として立ちはだかり乗せてくれません。要は自分のスペースを「譲らない」のです。
そんな・・・と思われるかもしれませんが、東京に比べNYでは、ホームで次の電車を待つ人が多いです。私もそのせいで、東京でも場合によっては(時間の余裕があるときは)1本見送ることにしています。
遅刻したらどうなるの!?と思われるかも知れませんが、私の感覚では(アンケート等を取ったわけではない)、5分以内くらいの遅れならあまり遅れと見なされないように思います。前にどこかで書きましたが、17時に閉めるお店であれば16時55分には閉まってしまうという。要は17時に従業員が去れるようにしているということで、そうしたささいな時間感覚は違うと言えるでしょう(一口にアメリカと言っても広いので、街や会社等により差はあるかもです)。
日本だと融通が利かないと見られそうな、このパーソナル・スペースの死守ですが、そこから思い浮かぶことはいろいろありそうです。まず、パーソナル・スペースや身体の境界というのをもっと意識して、大切にしているということ。対極にあるのがお祭りのときのような日本かと思いますが、いわば身体の境界が消失して渾然一体となっている感があります。
もう一つは境界、バウンダリーということ。「ま、いっか」が少なく、いったん設定した境界は守ろうとします。これは仕事上などで如実に表れます。これも、「これくらいいいじゃん」のように甘く見ると、ハッキリ言って軽蔑される怖れもあるでしょう。リスペクトがないと思われるからです。
境界(バウンダリー)はいろいろなところにありますが、スペース、時間、職掌の範囲、責任の範囲などでしょうか。時間で言えば、どちらかというと(残業含め)ダラダラと残る感じが多い日本に比べ、アメリカはさっと去ります。大学院時代も、授業が終わるとみんなあっという間に消えていました。代わりに、ちょっと早めに教室に来ておしゃべりするというスタイルだったようです。
ことにNYのような場所では「ヒマそう」に見えることがスタイリッシュではないのです。一つ終わったら、次があるというようにさささっと(次がなくても)退散する、ということなのでしょう。
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