お気に入りだった丼のこと。代償は大きかったけれど。
ストレスが溜まりに溜まって、お気に入りの丼を割ってしまいました。
ことの発端は親の体調不良。
父が健康不安で家に引きこもっていました。
左瞼が上がらない、耳が聞こえにくい、目眩がする、気持ちが悪い、食欲がない、肩が凝る、血圧が高い。日によって違う症状が出ていましたが、動かなければ症状が気にならないと言い、ずっと横になっていました。不安でメンタルをやられた父は、用意した食事を大量に残したり、食べたくないと言ったり、逆にこれなら食べられると謎のリクエストがあったり、諍いも起こりました。
2週間かけて病院通いをしたけれど、目にも耳にも異常はありません。父は突発性難聴だと疑っていましたが違うようでした。脳外でMRIを撮影しても何の問題も無かった。
耳鼻科医にも眼科医にも脳外科医にも年相応の老化だと言われ、やっと父は落ち着きを取り戻しました。何の解決もしていないのに、何にも無かったかのように元通りの生活が送れるようになりました。
…いったいなんだったんだろう。
母はデイサービスや訪問看護を休みがちでした。当日になって自分でキャンセルの電話をするのです。秋に転倒した母は出歩くのが億劫になっていました。←手足に多数の擦り傷と打撲。骨に異常はありません。
冬は大概、家族の体調が悪い。
家族の健康と私の自由は直結するのです。それは修行のようで。何もしない前期高齢者ふたり。そこに病院通いと年末年始の準備が加わってストレスになっていました。ふつふつと小さな怒りは溜まって大きくなっていました。
荒れた心で、割ってしまった丼。
不吉な…と呟く私に、人災だと妹がバッサリ言いました。その通りです。自分のせいです。
スマホで最後に撮影したのは、冬至の七種うどんでした。レシピを前回のnoteに追記しました。
高いものでも無ければ自分で買ったものでもありませんでした。いつの間にか家にあったもの。母に聞いても覚えてないとのこと。
とても使い勝手が良くて、使わない日は無かったほど。納豆丼や麺類を食べるときの器は必ずこの器でした。
怒りの代償は大きかった。器というのはそれほど大事な存在だったと、失って気づきました。
そんな丼が割れた日に豆乳クリームスパを作りました。おいしくできて良かった。傷心でもお腹は空きます。心は荒れていても料理は作れるし撮影もできました。
一ヶ月ぶりに訪問看護師さんが来てくれ、母に料理するといいよと言ってくれました。料理できないわけではないのです。ただ嫌いだと言う母に、簡単でいい、何日かに1日でもいいと。味噌汁がいいんじゃない?と。
そんな言葉を受けた翌日、母が久々に味噌汁を作ってくれました。豆腐とワカメの味噌汁は若干しょっぱかったけど、ありがたかった。
私の代わりにいろんな言葉を母にかけてくれ、とても頼りにしています。私が言ったって聞いてくれなくても彼女の言葉ならスッと入る。やっぱり来てもらえると助かります。そのためにも健康が大事。1年前に担当の看護師さんが退職されたときは残念だったのですが、新しい方も良い方で本当に心強く思っています。
そして、私は料理が嫌いでなくて良かった。けれどそれは母のおかげでもあるのです。
料理嫌いな母が自分のようにはならないようにと、私には幼いころから料理をさせていました。そんな親心があったからこそなのだと。
荒れた心で台所に立たない。
失うものはあっても、持っているものもある。
年末に新たな教訓を得ました。