楚の子玉の殺意。左伝僖公二十三年。では何故楚は晋と戦う羽目になったのか?それは子玉が文公を殺す可きだと文公の流亡時代から言い続け、城濮の戦いに於いても楚王は天徳のある人と敵対してはならないと言ったにも関わらず兵を動かして王の怒りを買い、少数の兵を与えたられただけだったのです。

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