晋の悼公、復た覇となる。左伝成公十八年。悼公は百官に命じて法と礼を遵守させ、六官の長は民の輿望を担った者であり上下の軍律を正したので民の謗言がなかったそうです。是が復た覇となる所以なりと明言しているのです。民心掌握が覇たる所以であり民の政治参加が富国強兵の近道です。

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