福澤の愛読書『左伝』 【小泉信三『読書論』】
『春秋左氏伝』は、儒教における四書五経の一つです。
このうち五経として、「書経」「詩経」「易経」「春秋」「礼記」の五つがあります。
「礼記」の中から「大学篇」と「中庸篇」が独立して、宋代の頃、四書として重視され、陽明学においても、この四書(「論語」「孟子」「大学」「中庸」)を中心に展開されていくようになりました。
小泉信三著「読書論」では、第八章の「文章論」において、福澤の文体を
「情理を尽し委曲を尽し、しかも滔々洋々として不思議な明るさと力とを持つことにおいては、それは古今独歩と評すべきもの」であるとし、「明治の興隆を指導した福澤の事業は、この文章なくしては成し得られなかったといえるであろう。」と絶賛しています。(小泉信三著「読書論」P.94)
福澤は、少年の頃に漢籍を学んでいたことを「福翁自伝」で述べていますが、そこで「左伝通読十一遍」というタイトルがつけられています。
福澤の流れるような文体でみられる名調子は、「左伝」を十一回も通読し、面白いところは暗記してしまうほど精読したところから生まれたものでしょう。
一例をあげますと、「左伝・昭公二十五年」で、鄭の子産が「礼の本質」を述べたところがあります。
「礼」というものは、天道が地の道に明確にあらわれ、民の行いに明確にあらわれたものであるから、為政者は民の行動を天地の礼があらわれたものとして尊重せねばならないとしたのです。
鄭の子産は、ある種の民本主義を唱えた「鄭の国の名宰相」として有名でした。
「左伝」に、子産の言辞が多く採用されていることは、専門家も指摘しています。(野間文史著『春秋左氏伝』研文出版参照)
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という名文で始まる「学問のすゝめ」は、福澤のこのような学問と修養の結晶と言えるでしょう。
ある意味では、鄭の子産のような歴史上の賢者たちが、福澤に「学問のすゝめ」を始めとする多くの著書を書かせたと言えるかもしれません。
読書をすることの意義は、このように過去の先人たち、特に聖人や賢者の言葉を己れの身体に血肉として吸収し、精神の骨格を練り上げることにあります。
福澤のように、歴史に残るほどの名著を書いた人は、皆そうであったはずです。
「文は人なり」と言われているように、文体には、その人の精神性が如実に出てしまうものです。
つまらない文を書いている人は、自ら「つまらない人間であること」を、世間に言いふらしているようなものです。
文は、その人の精神性そのものです。
書を読む価値はまさに、ここにあると言えるでしょう。