J・S・ミル「功利主義」
このJ・S・ミルの言葉は、高校の倫理で資料集に出てくるくらい有名なものです。
これは、彼の著作「功利主義」からの引用です。
昨年、岩波書店から、初めて文庫として出版されました。
明治時代、福澤諭吉も、「功利主義」を愛読していました。
(小泉信三著「読書論」岩波新書P.51)
「功利主義」という言葉は、どうしても自分の利益だけを考える「利益至上主義」「拝金主義」「金儲け主義」のイメージでとらわれがちですが、そうではありません。
J・S・ミルが言っている「功利主義」は、他人を害してでも自己の利益を追い求める「利己主義」とは全く異なる言葉です。
岩波文庫の表紙カバーには、次のように記されています。
功利主義とは「ユーティリタリアニズム(utilitarianism)」の訳語であり、元々「ユーティリティ(utility)」を尊重する立場から来ています。
ユーティリティは「効用性、実用性、有用性、公益性」という意味ですから、役に立たない抽象論ではなく、具体性をもった実益、即ち人の幸福の具体性を重んじる立場です。
特にミルは著作「自由論」の中で、多数者の専制よりも個人の幸福という個人主義・自由主義を重視した人ですから、「功利主義」とは「個人の具体的幸福を実現化する立場である」と考えられます。
また、ミルは「婦人参政権」をイギリス憲政史上はじめて「議会で立法化の主張をした国会議員」でもありましたので、「功利主義」の意味するところは、女性の具体的かつ実用的な幸福論であると言うこともできるでしょう。
この「有用性・実用性を重視する立場」に対するものは、ドイツやフランスなどで主張されていた「観念論」でしょう。
カントやヘーゲル、デカルトやパスカルといったヨーロッパ大陸の思想家たちが唱えていた、一般的な「理性中心主義の観念論」がそれに当たります。
イギリスやアメリカでは、実用や実益を重視する「経験論的」「実用的」「個人的」な立場が尊重されていました。
アメリカのプラグマティズム(実用主義、実際主義)も、この流れとなります。それは、大陸のものとは一線を画しています。
それは、「自由や人格的な独立への愛から生じる」(同書P.30)こともありますが、最も適切な呼び方は「尊厳の感覚」であるとミルは言っています。
高次元の人の不満は、不幸ではありません。
そこには、高い理想を求めて、あくなき探求と向上を生涯追い求める「尊厳の感覚」があるからです。
ソクラテスは、不満ではあっても、不幸ではなかったのです。
あくなき探究心をもって、人間の尊厳に生きた彼の姿勢こそ、「知への愛」と言うことができるしょう。
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