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早稲田の古文 夏期集中講座 第4回 歌論集 幽玄体

早稲田大学では歌論集がよく出題されるようです。中世で重要な歌論集を挙げるとするなら源俊頼(1055‐1129)の『俊頼髄脳』・藤原俊成(1114‐1204)の『古来風躰抄』・鴨長明(1155‐1216)の『無名抄』・藤原定家(1162‐1241)のものと思われる『毎月抄』・頓阿(とんあ)(1289‐1372)の『井蛙抄』・正徹(しょうてつ)(1381‐1459)の『正徹物語』と言ったところでしょう。

なかでも、定家の提唱した「和歌の十体」という概念が、後世にも大きな影響を与え、特に、歌体としての「幽玄体」というコンセプトは、新古今和歌集を考えるうえで無視できないものと思われます。

「もとの姿と申し候は、勘へ申し候ひし十躰の中の幽玄躰・事可然躰(ことしかるべきたい)・麗躰(うるはしたい)・有心躰、これらの四つにて候べし。」(『毎月抄』日本古典文学全集 小学館 刊 藤平春男校注 訳)

藤平氏の頭注に以下の説明があります。「定家の『幽玄』の用例は、『近代秀歌』原形本俊頼歌評のほか歌合判詞にもあるが、俊成の用い方とほぼ同じで余情美の一様相であり、崇高への志向性を持つ優美の特殊相といえる。」(同書P514)

『近代秀歌』には、

うづら鳴く まのの入江の 浜風に 尾花波寄る 秋の夕暮れ (金葉巻三 254)
ふるさとは 散るもみぢ葉に 埋もれて 軒のしのぶに 秋風ぞ吹く (新古今巻五 533)

「これは幽玄に面影かすかにさびしきさまなり。」(同書P486)藤平氏の頭注に、「『幽玄』は、俊成の場合、自然の超俗感や孤独の寂寥感が繊細な気分としてあらわれているのを指し、遥かな美しいものへの憧憬が導き出す美感である。定家の場合もそれとほぼ同様とみられる。」とあります。(同書P486)

Z会の『最強の古文』の解答解説には「寂寥や静寂の感に固定されるものでなくある時には、優艶の美となり、またある時にはその艶を去った枯淡の境を表します。能楽の世界では初々しい少年の可憐さも幽玄なのです。」とあります。(同書P131)

定家は、「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」と歌いました。花や紅葉の優美艶麗なるものと苫屋という静寂なるものを対比させたのです。

貴族的な美はありながらもそれだけに終わってない。この世の価値観を全て否定する無常観もあるのです。両者は対立的ではなく融合的です。仏教においての「寂滅為楽(じゃくめついらく)」というものでしょう。仏教の最終目標は「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」(サンスクリット語でニルヴァーナ)です。寂滅もって楽となす。歓喜と法悦が最後にあるのです。

そのためには、一度は死ななくてならない、という美学です。西行の

願はくは花のしたにて 春死なむ その如月の 望月のころ (山家集 春 77)

も、まさに寂滅為楽だったのでしょう。(『西行』西澤美仁編 角川ソフィア文庫参照)

これはいわゆる滅びの美であり、これこそ、幽玄と言えるのではないでしょうか。

散ればこそ いとど桜は めでたけれ うきよになにか ひさしかるべき(伊勢 82)

というものでしょう。幽玄の美は滅びの美であると思います。

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