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早稲田の古文 夏期集中講座 第18回 藤原俊成の歌

早稲田の文学部で2018年、和歌が十九首出題されたことがあります。藤原俊成が最愛の妻・美福門院加賀と死別した後に詠み重ねた一連の和歌を自ら記録したものです。いわゆる私歌集です。

 くやしくぞ ひさしく人に なれにける 別れも深く 悲しかりけり (A)
 さきの世に いかに契りし 契りにて かくしも深く 悲しかるらむ  (B)
 おのづから しばし忘るる 夢もあれば 驚かれてぞ さらに悲しき(C)
  山の末 いかなる空の 果てぞとも 通いて告ぐる まぼろしもがな (D)
  嘆きつつ 春より夏も 暮れぬれど 別れは今日の ここちこそすれ (E)
  いつまでか この世の空を 眺めつつ 夕べの雲を あはれともみむ (F)

 建久四年二月十三日。夕暮れの空が特に昔のことを独り思い続けて、書きつけた歌であると作者の詞書にあります。法性寺の墓所にて詠める歌が続きます。

  思いかね 草の原とて 分け来ても 心をくだく 苔の下かな  (G)
  草の原 分くる涙は くだくれど 苔の下には 答えざりけり (H)
  苔の下 とどまるたまも ありといふ 行きけむ方は そこと教へよ (I)

 苔の下の亡き妻の魂はどこへゆくのか、と問いかけた歌です。「たま」は「玉」であり、「魂」であると分かれば、問二十二の③の問題は㋩の加賀の亡魂が赴いた場所とするのが答えだと分かるでしょう。

 これらの歌を思いがけないことに前斎院である式子内親王の知る所となり、歌が送られて来ます。その御返歌に

  身にしみて 音に聞くだに 露けきは 別れのにはを はらふ秋風 (J)

 御返しに

  色ふかき ことの葉送る 秋風に 蓬のにはの 露ぞ散り添ふ (K)

 これは感謝の歌ですから「色」すなわちカラーであると、考えてはなりません。「色ふかき言の葉」とは最高の賛辞であると考えて、問二十二④は㊁の「心がこもったお見舞い」というのが正解となります。

 七月九日、秋風が激しく吹いて雨となる日、左少将様が訪問、歌を残していきました。

  たまゆらの 露も涙も とどまらず 亡き人恋ふる 宿の秋風 (L)

 御返しとして

  秋になり 風のすずしく 変はるにも 涙の露ぞ しのに散りける(M)

 翌年二月十三日・忌日法性寺にて

  かりそめの 夜半も悲しき 松風を 絶えずや苔の 下に聞くらむ (N)
  思ひきや 千代と契りし 我がなかを 松の嵐に ゆづるべしとは (O)

この歌の解釈が問二十四です。嵐吹くこの日、松の嵐によって二人の中はこの世と苔の下の冥界とに引き裂かれてしまったのか、と嘆く歌です。㋩の「永遠の愛を誓った妻が泉下の人となり、誓いも空しくなったことを悲嘆している」を正解とすべきでしょう。このように、歌は(P)(Q)(R)と続き最後の歌(S)では仏教的思想が問われています。(問二十五)

  別れては 六(む)とせ経にけり 六つの道 いづ方とだに などか知らせぬ

 これを安易に(二)諸行無常、(ロ)一期一会、などを選んではならないでしょう。ここに書かれていない幽玄の理想は何かと考えるべきでしょう。今見えていない理想とは、生まれかわっても夫婦となりたいということです。貴女の魂はどこの世界に行ったのか、どうして教えてくれないのか、と後を追いたいのでしょう。答えは、㋩の輪廻転生です。

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